2022/2/24

アヤマチ  
顕正新聞の続きである。

 まさしく上野殿が幕府の怒りを買い、直ちに逮捕されて頸を刎ねられてもおかしくない緊迫した状況下・・・

理事長の成人式での祝辞である。逮捕される理由は何か、打ち首の罪状は何か、その辺が明確ではないと思う。

不当な公事責めを受けたゆえに・・・

常識的に考えれば前掲はウソだろう。逮捕される理由はないし、ましてや打ち首はあり得ない。ゆえに幕府としては公事責めという手段に出るしかなかったわけである。

ついに三百万に至らしめんとしておられ、いよいよ20年代の然るべき時に、第三回目の一国諫暁をご決意・・・

幹部たちの発言を拾うと、三百万達成を機に一国諫暁を行なうとの見解が見られる。と同時に、もう一つの要素として、二十年代云々がある。ところが現状を見るに、三百万達成は三十年代にずれ込む可能性が高いのだ。その上、浅井先生の年齢的な限界もある。この問題を理事長としてどのように解決するか、それがまったく見えてこない。

そして近く必ず成る御遺命完結の御奉公を・・・

理事長ともなれば、責任重大である。

国立戒壇に詣でられる先生の後ろで、紅の涙に咽ぶことさえ叶えば本望・・・

早い話が願望を述べているに過ぎないのだろう。問題は実現しなかった時にどうするのか、である。理事長としてどう責任を取るのか、考えているのだろうか?

教学部登用試験問題・解答(令和4年1月施行)

これには驚いた。以前は問題と解答を別々に掲載していた。それを今回はひとまとめにしてしまったのだ。その理由は何だろうか?

さて、次は新成人代表決意であるが、いつものごとく男女二名ずつが登壇している。四人に共通しているのは、いずれも母親の縁で高校入学と同時に入信している点だろう。前述の話題と関連する意味では、男子部第百七十四隊支隊副長(首都圏)の記事に注目である。

広布の瞬間を目の当りにさせて頂ける宿縁・・・

今現在の年齢が二十歳であるから、広宣流布は自分の生きている間には達成されるに違いない、と思ったとしてもおかしくはないだろう。ところが違うのである。

無二の師匠・浅井先生のもと国立戒壇を伏し拝ませて頂くその日まで・・・

理事長と同じ見解なのだ。

お忘れの人もいるかもしれないが、かつては明確に期限を切っていた。あと〇〇年、である。あるいは、あと十有余年、を多用していた時期もある。ところが言わなくなってしまった。無理だとわかって誤魔化し始めたのかもしれない。

ゆえに過去の大言壮語を反故にしてしまっている段階でアウトなのだが、まったく反省することなく、今もなおそのアヤマチを繰り返し続けているのである。

三百万を達成できるかどうか問題。
二十年代中に一国諫暁をやれるかどうか問題。
浅井先生の存命中に広宣流布が達成できるかどうか問題。
浅井先生の存命中に国立戒壇が建つかどうか問題。

言えることは、一国諫暁はやる気になればいつでもやれる、だがそれで日本が動くかどうか、おそらくは動かない、ということである。

2022/2/22

カンシャ  
前回の拙稿に対しては、有意義なコメントが多数寄せられた。

一、死後の五時も六時も動かす可からず、此れ古人の深き誡め也。
(略)
一、断末魔と云ふ風が身中に出来する時、骨と肉と離るる也、死苦病苦の時也、此の時指にても当る事なかれ、指一本にても大盤石をなげかくる如くに覚ゆる也。人目には左程には見へねども肉親のいたみ云ふ計りなし、一生の昵み只今限り也、善知識も看病人も悲しむ心に住すべし、疎略の心存す可からず、古人の誡也。惣じて本尊にあらずば他の物を見す可からず、妙法にあらずば他の音を聞かす可からず云云。
(同265頁)


日寛上人の御指南だそうである。不勉強のわたくしはまったく存じ上げなかった内容であるが、これをもって大沢氏はエンバーミングを不要としている。なるほど、顕正会が同意見であることも上掲が根拠なのかもしれない。何しろ彼らは日寛上人を絶対と仰いでいるからである。

此れ古人の深き誡め也。・・・古人の誡也。

再掲であるが、具体的にはどのような典拠に基づくのだろうか?

青草を切る者猶地獄に堕つ、況んや死骸を切る者をや。

この御書が関連するかもしれない。別の御書に死骨を刎ねるという意味のことが出てくるが、現代的に言えば死者に鞭打つみたいなことなのだろう。先般、石原慎太郎が亡くなった。この人は毀誉褒貶の激しい人物だった。死後も評価はさまざまで、批判を続ける人もいる一方で、死者に鞭打つのはよろしくないと弁護する人もいた。御書にある死骨を刎ねる行為はもっと過激で、ようは憎き相手がすでに死んでいて埋葬されているにもかかわらず、それをわざわざ掘り出して一太刀浴びせるわけである。それに比べれば、言論による批判などはカワイイものだろう。

話が脱線気味のようである。

ここで信心を疑われるようなことを書くが、日寛上人の御指南はわりと現代感覚で解釈できると思う。五時六時云々と。これは現代の時間だと十時間ないし十二時間に相当する。死亡時刻から二十四時間経過しないと火葬できないという現代の常識にかなり近い。また、死者をゾンザイに扱ってはならないことは、現代人においてもほぼ常識となっている。遺体が苦しむ云々は譬喩程度に理解しておいても差し支えないのではと思う。

いずれにしてもである。不勉強のわたくしはまったく知る由もなかったことだが、顕正会儀礼室の言っていることは日寛上人の御指南に忠実であるということなのだろう。

これはあくまで信仰上の仮定の話ですが、もし身近に末期の(治療をしなければ回復の見込みのない)人がいて、信仰している側としてどのように勧めるべきなのか、という話にも繋がると思いますが、こう言う話はケースバイケースで、一概にこれが正しい、こう有るべきだと決め付けられないのかもしれません。

さて、今度は人工透析の話から発展して、透析だけでなくあらゆる意味で治療を継続するか否か、その判断基準についてはケースバイケースというのが結論のようである。

命と申す物は一身第一の珍宝なり。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり。

百二十まで持ちて名をくたして死せんよりは、生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ。

二つの御書を並べて拝すると、なるほど、まさにケースバイケースである。長生きに越したことはない。とは言え、ダラダラと長生きしても仕方がない。医者の立場としては、さすがに言い難いというか、言ってはいけないことであり、そこが医療倫理の難しいところではあるが、逆に宗教家こそが見識を示すべき場面かもしれない。

いくつもコメントしてしまっていますが、一分(いちぶん)は顕正会用語なのでしょうか?

>一分の験(しるし)も無く(御書367頁)
>一分信心の有る輩に(御書1873頁)
>一分も徴(しるし)無し(御書1877頁)

大聖人様、日興上人の仰せにもいくつかありそうです。

上記の意味とは違いますが、確か十数年前、キムタクの「武士の一分」という映画もあったと記憶します。


これがまた嬉しくなるようなコメントである。平成新編御書検索で調べると、一分は127件もヒットするのだ。ちなみに一部もたくさんあって、87件ある。

これに関して沖浦氏から秀逸なコメントが寄せられた。

 一部と一分について御書から説明致します。

 『法華経一部八巻二十八品には』
 (衆生身心御書)

 一部八巻二十八品とありますので、この一部は全部との意味です。
 対して、

 『問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、』
 (四信五品抄)

 この一分はほんの少しの意味です。
 
 一部〜全部。
 一分〜少し。

 こういう意味です。


この単純明快さには脱帽である。

面白いことに、一部は沖浦氏の指摘のごとく全部の意味なのだが、現代国語では一部分ないし部分の意味で使われる場合が多い。

今、わたくしの手元にある三省堂国語辞典(1980年)では、一部を次の順番で説明している。

ひとそろい。
一さつ。
一部分。


違う辞書で恐縮だが。集英社国語辞典(1993年)は次のごとくである。

全体の中のある小部分。一部分。
一つ。または、一そろい。
昼間部。


同じ辞書で比較しないと論証としては失格だが、おおむね言わんとしていることは理解してもらえると思う。

では、一分はどうか、まずは三省堂から見てみよう。

身のめんぼく。

ちなみに用例として、「男の――が立たない」と書かれている。

次は集英社である。

一人前の人間として譲ることのできない立場。一身の面目。

用例には、「――がすたる」「――が立たない」が出ている。

わたくしは長年にわたって浅井先生の発言を批判してきた。あらゆる面から批判してきたが、その一つとして言い回し・文章表現への批判がある。現代国語の立場からすると、それはないだろう、ということなのだ。結局、幹部たちは右に倣えでマネをする。おそらくイチブンもそうなのだろう。もちろん御書に頻出するフレーズではあるわけだが、そうした認識もなく当たり前のように使っているとすれば、世間一般との乖離がますます拡がるだけだろう。

ともかくコメント投稿者諸氏には感謝申し上げたい。

いつもは自分が今持っている知見をそのまま筆にしているので、結果的に間違ったこともたくさん書いてしまっていると思う。それに対して各方面から指摘してもらえることはありがたいことである。今回は久しぶりに辞書などを紐解いたりして、気分的にもリフレッシュすることができた。

2022/2/20

ボウフザイ  
顕正新聞の続きである。

婦人部神奈川支区総班長(神奈川県)は班長さんの臨終について語っている。七十二歳は若いが、ガンを患っていたのでやむを得ないところだろう。火葬まで一週間あったので、葬儀社からエンバーミングを勧められたそうだ。

 すぐに顕正会儀礼室に伺うと
 「エンバーミングとは、全身の血液を抜き防腐剤を入れるのです。それはご遺体に負担がかかるので、やってはいけない」
 と教えて頂いた・・・


この点、宗門や創価学会ではどのように指導しているのか、気になった。顕正会の場合、こうして顕正新聞に載せるくらいだから、これが公式見解なのだろう。わたくし的には個々人の判断で構わないと思うのだが・・・

 かくて、通夜は真心こめて同志で行い、告別式は儀礼室に厳粛に執り行なって頂きました。

これがわからない。なぜに通夜は同志で営んだのか、なぜに儀礼室を呼ばなかったのか、である。料金が半分になるとか、そういう理由だろうか?

ちなみに後の号に葬儀の料金のことが出てくる。この話題はその時にまた考えたい。

次の婦人部桐生支区班長(群馬県)の記事も臨終の話題である。

 医師は「人工透析をしなければ保たない。だがそれすらも危険な状態、どうしますか」

母親のことである。普通はお願いしますと言うだろう。

 すると母自身が延命処置を激しく嫌がり、自ら臨終の肚を決めたのです。

これがわからない。人工透析そのものは広く普及していることであって、それ自体が延命治療に相当するとは思えない。いや、もちろん、広い意味では延命治療なのかもしれないが、ともかく一般的に行なわれている医療行為のはずなのだ。それすらも断わるのは自殺行為であり、それが本人の意向だとしても周囲がそれを認めてしまうのは他殺行為にも通ずるのではないかと思う。

 また日ごろから広告文と特集号を受け取っていた母の主治医と訪問看護師も弔問に訪れました。

これは本自名人下氏の指摘通り、医療関係者も顕正会員の死相に興味があるのだろう。

次の女子部第十八区班長(首都圏)は、約二年の未活動期間はあったものの、班長になってからはコンスタントに活躍している様子である。

毎法戦十五名以上の弘通をなしてまいりました。

活動会員ならば誰もが羨む活躍である。十五名を下らないのであれば、総班長になっていてもおかしくない。ところが直近の成果は次のごとくである。

班で九名の弘通が叶った喜びは言葉になりません。

例えば、かつては毎回十五名以上をこなしていた、けれどもミカツになっちゃった、今また復活して九名を達成した、というストーリーならば納得できる。しかし、そうは書かれていない。編集部はやる気がないので、こうした矛盾に気がつかない。

さて、次は顕正新聞第1568号である。

真剣と大歓喜のなか教学試験実施
 三級・五級・登用の三種、総数二万八千余人


毎年毎年ご苦労なことだと思う。問題はなぜ四級がないのかである。普通に紙面を眺めていれば、誰もが気づくことである。すでに教学試験そのものがマンネリ化しているわけだが、その上で昇級試験が欠落している点を見れば、もはや限界を迎えていると言わざるを得ないだろう。

常識的には一級や二級がなくても何となくは理解できる。上級試験は数年に一回しか行なわれないのだろうと。ところが三と五の間が抜けているのは誰にも理解できない。

全員 エンジン全開になった。

活動に疲れてしまっている会員たちは、これをどのように読むだろうか?

世間一般では試験に合格することが一つの到達点と考えられている。ところが顕正会は違うのだ。試験は出発点なのである。今年一年を戦う準備の一環に過ぎない。

総罰激増の今・・・

当該号は一月二十五日号である。新型コロナの感染拡大を彷彿とさせる。

 学び得た感激を一分でも表そうと・・・

初めて指摘するかもしれない。顕正会では一分をイチブンと読む。まさに顕正会用語である。この直前には午後二時に試験が開始されたと書かれている。すると世間一般の言語感覚からは、イップンと読んでしまうかもしれない。

拍手が起こり、鳴り止まぬ会場もあった。

これまた世間一般とは異にする。試験終了後に拍手が起こる世界は異様かもしれない。

涙をぬぐう姿も見られた。

顕正会的には感涙なのだろう。世間一般の場合、試験会場で涙を拭うのは答えがわからなくて絶望感に襲われているか、もしくは悔し涙だと思う。

あまりの熱気に暖房を切るほどの熱烈さ・・・

毎年のように目にする記述である。それにしても熱気と熱烈が重複的で気になる。

受験者のみならず全員の胸に沁み入り・・・

登用試験を報道する部分である。顕正会の教学試験、とりわけ登用試験は引率者の多さに特徴がある。実質的には活動会員が全員集結するような感じなのである。まさに最初のほうで取り上げたエンジン全開がこの意味なのだ。いよいよ二月から折伏法戦が始まります、何なら今から折伏に行きましょう、誰か対象者いますか、という感じである。

さて、一面下段には成人式の報道がある。写真が六枚あって、その中でわたくしが注目したのは、和装の男性である。女子部員の和装はお馴染みであるが、男子部員のそれは珍しい。

2022/2/19

ゴチソウ  
コメントのやり取りが俄かには理解できない。どうやらリンク先までしっかりと読み込まないと全体像を把握できないようである。ゆえに興味のある人は隈なく読むだろうが、そうでない人は面倒臭いと思って流し読みをすることになる。例えば足立正信会についても、わたくしはとりあえず保留としたい。先方がリニューアルしたら、ちょっと覗いてみようかと思っている程度である。

わずか十分後、父はまるで私の到着を待っていたかのように、唱題のなか静かに臨終を迎えました。

女子部第四十五区総班長(首都圏)の記事は父親の臨終を伝えている。親の死に目に会う・会えないということが、仏法の上ではどのくらい重視されているのか知らないが、顕正新聞にはすでに息を引き取った後だったという話が多く出ている。その意味で上掲は少ないケースのように思う。

また勝手な想像ながら、死んでから連絡してくれ、というような人たちもかなり存在するような気がする。現代の場合、医療が発達しているがために死にそうで死なない状況が長く続く。すると死に目に会うために何度も病院に駆けつけるが、逆に言うと何度も無駄足を踏むことになる。おそらく医者としてもどのタイミングで連絡を入れるべきか、常に悩んでいるに違いない。こうした事情を勘案すると、死んでから連絡してくれという近親者はけっして冷酷なのではなく、病院側にも配慮した大人の対応なのかもしれないと思う。

 また不思議にも、同じ日に臨終を迎えた顕正会員の方が同じ葬儀場に運ばれ・・・

これはいわゆる不幸の話題なので喜べないが、顕正会としてはそれだけ会員が増えたと言いたいのかもしれない。

またしても話は脱線する。上掲の雰囲気からすると、いずれも病院から葬儀場へ直送したと思われる。昔は自宅で葬儀を行なうことが多かったからかもしれないが、病院で亡くなっても一度は自宅に帰すのが一般的だったように思う。近親者ないしご近所さんが亡くなった方にお帰りなさいと声を掛ける。しかし、現代は合理性を重んずるからなのか、自宅へは戻らず病院から葬儀場へ直行することが多いような気がする。

絶頂期の学会、クルーズ船に仏間を特設

男子部第八十三隊組長(神奈川県)の記事が興味深い。この人は貿易船でコック長をしていたという。基本、遠洋航路で仕事をしていたようだが、見出しが示すように創価学会員を乗せたクルーズ船にも乗ったことがあるらしい。

 四百人ほどの学会員を乗せた四千トンのクルーズ船には、三百人が入れる仏間が特設されており、仏間の壁が開くと厨子になるよう改造されておりました。

正本堂ができる直前くらいの記憶だそうである。わたくしが気になったのは、このような登山会がいつ頃まで実施されていたかである。平成二年まではコンスタントに行なわれていたのだろうか?

新潟・四国・九州などから静岡県の田子の浦港まで航行したことが何度もありました。

ここは部分的ながら疑問である。ずばり新潟がそれである。もともと四国や九州は橋が架かっていなかった。ゆえに最初から海路のほうが乗り換えの手間も少なくて好都合なのだ。しかし、新潟はさすがにどうかと思うところで、往復を考えたらほぼ日本一周に相当する長旅の航路になる。鉄道のほうが効率的だろう。

学会員でもないのに大石寺に連れて行かれ、夜中に題目を一万遍も唱えさせられ、土産に紅白の餅をもらいましたが、それぐらいでは納得できず・・・

乗組員に、ツイデだから大石寺にお参りしたらどうか、と勧めることはあり得るだろう。しかし、一万遍の題目を唱えさせるようなことは、さすがに非常識にもほどがある。はたして本当の話なのだろうか?

ちなみに登壇者は現在八十歳だそうである。記憶違いがあるのかもしれない。

 そのころの中国は極めて貧しく、船の荷物の積み下ろしをする中国人の給料は安く、彼らの昼食弁当は野菜ばかりで肉が入っているのを見たことがありませんでした。

少し偏見というか、時代感覚の違いを感じる。今ならベジタリアンも相当にいるし、貧しいから野菜ばかりという発想にはならないと思う。しかし、この人の年齢からすると中国どころか日本もそれなりに貧しい時代だったので、幼少期には肉が大御馳走だったのかもしれない。まさにその人の目線からすれば、上掲のようになるのだろう。

 町ではおびただしい人数の老若男女がみな人民服を着て自転車で移動しており、車などは滅多に見ない状況でした。

わたくしの場合は映像でしか見ていないが、このような印象が強く残っている。ただし、こうしたイメージは完全なる時代錯誤である。今の中国はまったく違う。現実に、あらゆる意味で日本を凌駕している。

一億円もの血税で
  安倍晋三を守った国の卑劣


世相閻魔帳の第二十五回は、いわゆる認諾についてだ。この聞き慣れない言葉を少し前にニュース報道などで耳にした人も多いと思う。森友問題における裁判結果の一つである。

 国が賠償責任を全面的に認めたことは良い判断で、雅子さんにとって望ましい結果になったと思う人がいるようだが、決してそうではない。勘違いをしてはならない。

思いっきり端折ってしまえば、カネで解決する汚いやり方、ということになるだろう。しかもそれは国民の税金であり、当事者の懐はまったく痛まない。

諸悪の根源である安倍が未だに政界にのさばっていることは断じて許されない。

筆者は相当にご立腹のようである。もっともこれは顕正会だけでなく、反権力側の多くが同様の感慨を懐いているわけだが・・・

 安倍の逃げ切りを絶対に許してはいけない。

わたくしはもう一人のアベを思い浮かべた。あるいはイケダである。結局のところアサイは、アベにもイケダにも逃げ切られてしまった。おそらくアサイは、理不尽さにおいて同質のものを感じているのだろう。上掲の紙背にはそのような憤懣が込められているように読めるのだ。

2022/2/17

ジョウショウチョウ  
拙ブログには熱心なコメント投稿者がたくさんいるわけだが、すべてに対応できていないことを申し訳なく思う。そこは独白ブログということでお許しいただきたい。とは言え、重要と思われる事案については触れておかねばなるまい。

佐藤秀和氏よりお気遣いをたまわった。

勝手な推測ながら顕正新聞のウォッチングはかなりの重労働と思われているのかもしれない。わたくしはそれを長年にわたって続けてきた。確かに普通の人には続かないだろう。自画自賛ながら拙ブログは最長不倒距離を更新し続けているとも言えるかもしれない。

しかし、それほど重労働ではない。見ればわかるように更新のペースも一定ではないし、ようは時間のある時に書いているだけのことであり、そんなに無理はしていないのだ。

おそらくは顕正新聞を読むのが大変と思われるのだろう。その通りである。似たような記事ばかりが並んでいて読んでいてウンザリする。実は活動会員にしても隈なく読んでいる人は少ないかもしれない。編集部だって仕事だからこなしているだけであって、やる気はないのだろう。紙面に工夫が見られない。逆にツッコミどころが満載である。

顕正新聞は興味関心を失った人にとっては単なる文字の羅列であって読む気も起きないはずなので、その立場から見れば拙ブログの作業は驚異的に映るのだろうと想像する。しかし、わたくし自身はそれほど大変だとは思っていない。読むのはウンザリだけど、とりあえず今もぜんぶの記事を読んでいる。書くのは時間さえ都合がつけば書けるのだ。

この件はおおむね以上である。

ところで俄かに匿名か実名かの議論が巻き起こっている。これはおそらく沖浦氏に対するわたくしの評価が関係しているのだろう。氏が実名であることは確実である。この点においてわたくしは氏を信頼しているわけである。では逆に匿名は信頼しないのかと問われれば少し説明が必要になる。

いわゆるハンドルネームにおいてもコテハンとステハンがある。これが答えだ。

わたくしのコメント投稿者に対する態度もおおむね了解いただけると思うが、ステハンに対してはかなり冷たい態度を取っている。さすがにこれは本人も文句は言えまい。前回も書いた通り、覚悟を持って書いているのか、責任を取るつもりで書いているのか、というのがすべてである。

自画自賛ながら昔話を書いておこう。

かつて創価学会系の顕正会批判サイトが複数あった。わたくしの見たところ、それらは創価学会員の有志が自主的に運営しているものだった。それがある時期、悉く閉鎖になってしまった。どうやら顕正会が法的手段を取るみたいな脅しを掛けてきたらしいのだ。その頃、拙ブログに出入りしていた創価学会員がつぶやいた。なんで巌虎独白は潰されないのだろうと。この話は過去の膨大なコメント群の中に厳然と残っているはずである。興味のある人は探してみるといい。

簡単な話である。わたくしのやっていることは謀略でも何でもない。真面目な言論活動である。ゆえに本気で潰すつもりならば姑息な手段は使えない。正々堂々と戦う必要がある。しかし、顕正会側にメリットはない。

この件はおおむね以上である。

なお、拙ブログではコメント投稿者の間でいくつもの確執が起こっている。これについてはいろいろと思うところがあるものの、最終的には当事者同士で解決してもらうしかない。そもそもが他人のブログのコメント欄なのである。何が何でもそこに居座る必要もあるまい。ゆえにどちらかが退けばそこで終わるわけだが、それぞれ意地というものあるのだろう。難しいものだ。

 そして十二月十一日、東海道本線の熱海から垂井に至る全七三駅において「皇室の一大使命」特集号の一斉配布を敢行いたしました。

女子部第十五総部長(東海)の記事である。七十三駅一斉配布とは凄い。

 かくて二時間で約三千二〇〇部の特集号の配布が叶い・・・

ややアゲアシ取りとは思うものの、次の記述が不審である。

途中、特集号がなくなって会館に求めに行ったとの報告もありました。

もし会館の空白地域だとすると、往復するだけでも二時間くらい掛かるのではと思う。

 法戦開始と同時に、私の周辺で新型コロナの濃厚接触者が次々と現われ、私自身、約ひと月、自宅待機を余儀なくされ・・・

女子部第九十区総班長(千葉県)の話は第五波に相当する。法戦開始とは八月末ないし九月初旬を意味するのだろう。わたくしの印象では、当時は第五波の末期であり、もはや濃厚接触者もへったくれもない状況だったわけだが、それはさておくことにしよう。感染症の怖さをよく示す話ではある。ようするに濃厚接触者はこれから発症するかもしれないし、他人にも感染させる可能性があるので隔離するのだ。基本、二週間のはずだが、二週間後に別の感染経路から再び濃厚接触者に認定されてしまうこともあり得る。それが現実に起きたわけである。実際、コロナ罹患者よりも濃厚接触者のほうが隔離期間が長いのだから、堪ったものではない。第六波の途中から、その辺の問題を考慮して、隔離期間が短縮されたようである。

生後三ヶ月の次男に病気が発覚して・・・成仏させて頂ける

総班員のお子さんについて報告しているわけだが、表現が悩ましい。途中を省略したものの、どこにも亡くなったとは書かれていないのだ。

「自分は釈迦が好きで仏像を百体以上集めている」

これは謗法払いが大変そうである。

誓願比三百%でお応えできました・・・

ノルマの三倍できたと言っているわけである。

さて、次の記事は女子部第二百八十八区総班副長(京都府)であるが、さすがにウソっぽくないだろうか?

 配布で出会った学会の副常勝長を務める壮年に顕正会公式サイトで「誑惑の正本堂崩壊す」を見せると、「ほんまにあの正本堂が崩壊したんか!」と動揺を隠しきれない様子でした。

副常勝長がどれくらいの幹部なのかわたくしは知らないが、それ以前に、そもそもこの副長さんが創価学会の役職に詳しい点に疑問を感じる。それはともかくとして、この壮年がずっとミカツならまだしも、役職に就いている人が正本堂の崩壊を知らないわけがなかろうと思う。

「何よりも許せなかったのは、学会員が誰も葬儀に来てくれなかったこと」

ここも不審である。まさか他宗の僧侶を呼んだとかではあるまい。現状、創価学会の葬儀は地元の幹部が導師を行なうわけで、当然、他にも手伝いの人がいるはずである。誰も来ない状況は考え難い。

「公明党はもうあかんわ。本当は山本太郎がいる『れいわ新選組』に入れたかった。あの情熱が羨ましい」

ようするに今の創価学会員は公明党への支援に消極的だと言っているわけである。

わたくしの思うに、次の参院選が一つのバロメーターとなるだろう。このところ自公の関係もギクシャクしているようだし、コロナの問題が一向に解決しないようであれば政権維持も難しい。長く続いた自公政権も終わりを迎えるかもしれない。もちろん政権選択選挙ではないわけだが、れいわ新選組にしても次の参院選を勝負と見ているはずである。

2022/2/15

ビャクニン  
今日もはりきって顕正新聞を読んでいこう。

隊誓願二四〇%の弘通が叶いました・・・

男子部第百十七隊長(新潟県)の活動報告である。誓願とは何か、一般人にはわからないかもしれないが、おそらくはノルマの一種だろうと想像するはずである。ゆえにわたくしの感覚では、一般の読者を想定するのであれば、このような表現は好ましくないと思う。単に人数を発表すべきである。

隣の男子部第百三十五隊支隊長(青森県)も誓願比一七三%などと書いている。平たく言えば前掲はノルマの二、四倍であり、こちらは一、七三倍と言っているわけである。そもそもノルマ自体が一律ではないので、人数で発表すればぜんぜんイメージが違ってくるはずである。例えば入信したばかりの高校生をそそのかせば、同級生をいきなり十人くらい入信させることができるかもしれない。するとその班は誓願比で五〇〇%の成果を上げたことになるかもしれないのだ。しかし、その十人が支隊の数字だとすれば大したことないし、ましてや隊となれば少ないくらいの印象である。

以上、誓願をパーセンテージで云々するのはいかにもノルマっぽいし、真水がどのくらいであるかもアイマイなので、やめるべきと思う。

高校生をそそのかす

自分の書いた文章を再掲した。どうだろう? 法務部がその気になればこれくらいでも裁判に持ち込むことが可能なのだろうか?

励ますと書けば無難なところではある。ただ顕正会批判の名著『迷走する顕正会を斬る』にも記されているように、成果至上主義が大きな問題なのである。そこで上述の話題を考えるならば、まさに誓願比〇〇%などと当たり前のように書いてしまっている時点で、すでに成果至上主義であることを自ら暴露しているようなものなのだ。その本質を見つめるならば、ハゲマスだろうがソソノカスだろうが大差はないだろう。折衷案としては、尻を叩く、がいいかもしれない。

さて、そこで脱線するが、このところコメント欄が少し変容している。問われるのは、覚悟して書いているのかどうか、である。コメントに一切の制限を設けていないので何を書こうが自由であるが、責任は取っていただきたいと思う。生意気ながらも、わたくし自身はそのつもりで書いている。

常陸宮正仁親王邸に行ってまいりました。

第二婦人部幹事(首都圏)の活動報告である。この人は配布活動に熱心であり、配布を通して成果を上げている印象がある。事実、手応えがあるから続けているのだろう。しかも上掲のごとく、とうてい入信しそうにない人のところにも配布に出掛けている。これも重要な点で、実際のところ街頭で配布したところで多くの人が素通りしていくだろうし、マレに配布物を受け取る人がいたとしても、そこから入信に至る人はさらにマレのことである。つまり、一人に集中しない。基本は広く浅くなのである。そうすることで相手にも悪い印象を与えない。回り道のようでも、そうして着実に成果を上げてきたのだろう。

 文京区音羽には今も先生の大情熱が

第九婦人部幹事(首都圏)の記事はけっこうワクワクさせるものがある。古くからの会員であれば一種の郷愁のようなものを感じるかもしれない。

 また文京区の護国寺駅周辺の家を訪問配布していると、浅井先生をご存知だという八十代の婦人に出会いました。

どのくらいご存知なのか、気になるところではある。

先生のお写真を見るや、「お変わりないですね」と言ってきました。

ここは微妙なところで、もしかしたら顧問先生と勘違いされているのかもしれない。何しろ約半世紀の隔たりがあるのだ。もっとも音羽にお住いのご婦人であれば、社交辞令的な意味からしても上掲のような言い方をするのが普通なのかもしれないが・・・

ご自宅の跡地に建ったマンションを指さして「ここが浅井さんの家だったんだよ」とわざわざ教えてくれる壮年・・・

かつて浅井先生は音羽時代の話をすることがあった。近年はほとんど聞かないが、昭和の末期から平成の初期くらいまでの間には、何度か言及していたと思う。わたくしの知っていることは、講談社の前に家があったという話くらいで、講談社は今も立派な社屋があるのですぐにわかるが、旧宅が具体的にどのマンションに相当するのかまでは承知していない。

ある和菓子屋さんでは・・・

姉がよく知っていたと言う。その言い方からしてすでに亡くなっているのだろう。ともかく今は和菓子屋自体が少ないので、その気になれば特定できるだろう。

音羽の多くの人が浅井先生を忘れていないことに胸が熱くなりました。

前後するが、この直前には次のようなセリフがある。

「浅井さんだろう?偉くなる前から知っているんだ」

古くからの住民はいわば町内会的なつながりがあるのかもしれない。するとそこでウワサ話のようなことで盛り上がることもあるのだろう。誰々がどうしたこうしたという話だ。その中に、印刷屋をやっていた浅井さんところはオヤジさんの代から宗教に熱心だったけど、その息子は今では教祖みたいなことをやっているらしいよ、というような話があるのかもしれない。

 浅井先生が、音羽一帯をどれほどの大情熱で一軒・一軒折伏されていたのかを想像しては涙があふれ・・・

わたくしの思うに、これは誇張が過ぎるだろう。今のような訪問折伏や街頭配布が定着したのはかなり後年のことであり、当時は縁故をたどっての折伏が一般的だった。基本、創価学会にしても縁故折伏が中心だったはずである。

顕正会発祥の地である音羽・・・

熱心な活動会員たちは聖地のように思っているのかもしれない。

 さらに茗荷谷駅では、一人の中学生が特集号を受け取りながら「悠仁に見せなきゃ!」と言ったのです。

これは何気に凄い話かもしれない。高校生になれば入信できる。悠仁親王殿下もご学友をツテに入信する可能性があるのだ。

なぜか進まないなあ。今日は一ページ四本の記事で終わってしまった。

2022/2/12

タマモノ  
大沢氏のコメントは的確である。御書の引用もなかなか鋭いものがある。次のように結論している点にもまったく異論はない。

南条殿が強い信仰を持てたのも、上野尼御前の信心の賜物でしょう。

問題は性格的な部分だろう。温厚・淳良、そして敬慕と、これは父上への評価である。さらに母上も温良な性格だったと。これらはどのように論証するのだろうか?

例えば四条金吾殿については御書の各所に性格を窺わせる記述がある。しかし、四条殿の場合は特殊な例であって、彼はその性格が裏目に出て命を落とす危険すらあったので大聖人もあえて言及されたという意味がある。ゆえに一般的には性格的な部分まで云々する例は少ないと思う。

わたくしの思うに、浅井先生の南条家に対する人物評はかなりバイアスが掛かっている。日蓮正宗系としては不満はないものの、そうした手前ミソの論理はヨソサマには通用しないことを知るべきだろう。

ドットコム氏のご紹介下さった記事が興味深い。リンク先を一通り拝見して、特に注目したのは次のくだりである。

 次回の葛飾区議会議員選挙は2025年だが、そのときには、候補者を7人以下に絞らなければ、完勝は難しい。葛飾区は東京の下町で、創価学会の会員の多い地域である。この出来事は、公明党にとって相当にショックだったはずだ。他の地方選挙でも、公明党の集票能力は低下している。

少し気の長い話ながらも次の選挙は大注目である。簡単に振り返ると、公明党は当該選挙区では九人の全員当選が常だった。ところが昨年は一人落選してしまったのだ。筆者の島田裕巳氏はさらに厳しい見方をしており、次の選挙では七人がギリギリだろうと言っているわけである。

もう一つ、わたくしの気づかなかった事実がある。

 ところが、昨年5月、婦人部は「女性部」と名を改め、11月には女子部も女性部に合流した。「聖教新聞」が伝えるところでは、会員たちはこの変化を歓迎しているとされるが、なぜ組織の改変が行われたのか、その理由は一切説明されていない。

顕正会でも話題になっていたことだが、結論的には組織の弱体化との見方が専らのようである。しかし、島田氏は別の見方も紹介している。

 現在では、生涯にわたって未婚だという女性も増え、既婚と未婚で組織を分けることに意味がなくなったと見ることもできる。

これはなかなか鋭いと思う。ある意味、前掲のなぜ女性部が作られたかの説明がなされていない理由として、整合性が高いとも言えるだろう。生涯未婚をコンプレックスに思っている人にとっては神経を逆撫でするような話だからである。

もっとも島田氏は上掲のような見方もできるとしつつも、最大の理由は組織の弱体化と言っているわけである。むしろわたくしは、上述のような細やかな配慮ができるところに創価学会の強さがあると思う。

さて、ボヤボヤしていると顕正新聞が溜まってしまうので、今日も頑張って片付けて行こう。

いよいよ広布を決する戦いに臨まれるご決意を拝察するほどに・・・

十二月二十五日の総男子部長指導である。文脈的には三百万達成の暁には・・・ということになるだろう。もちろん浅井先生がである。しかし、甚だ不謹慎ながら浅井先生が三百万を見届けることができるかどうか、かなり微妙な線だろうと思う。いかにいわんや御遺命成就をやである。

 無二の師匠のもと、二度となき御本仏の御遺命成就の瞬間を、この目で拝見させて頂ける宿縁に咽び泣くのほかありません。

総男子部長が本気でそう思っているのかどうか、思っているとしたらそれはそれで厄介だが、逆に思ってもいないことをポーズだけで言っているとしたらそれもまた厄介である。

関連する記事として、副総男子部長・第四総部長(近畿)の発言を紹介しよう。

「残された限りある戦いにすべてをかけ切らん」

わざわざカギカッコまでつけているくらいだから、そこを強調したいのは間違いあるまい。しかし、本気なのだろうか?

副総合婦人部長は相変わらずである。

「解散処分」がなければ「忠誠の証」たる「遥拝勤行」も、「広宣流布」もなかったと思えば・・・

顕正会の解散処分が広宣流布の必要条件らしい。穿った見方をすれば新手の会長本仏論かもしれない。

御在世の先例を身で読まれる浅井先生にひれ伏すのほかありません。

ひれ伏す点だけを捉えれば会長本仏論の続きにも思えるが、いちおう文脈的には浅井先生を熱原の方々になぞらえているようである。

副総合女子部長も凄まじい。

大聖人様・日興上人・日目上人そして先生に続いて・・・

何を言っておるものかと思う。

・・・先生のお姿に、「鳥の天に自在なるが如し」との仰せが彷彿としました。

唐突感が否めない。

「国立戒壇」を熱願する国民投票も近い・・・

ぜんぜん近くない。

次は新任の女子部副部長である。

清浄な宗門に蘇らせるのも、顕正会の前進にかかっていることを肝に銘じたものであります。

これは浅井先生が言わなくなって久しい発言である。今は記憶のままに再現してみよう。

顕正会が一歩前進すると御遺命守護完結が一歩近づく。

ところがある日突然、御遺命守護が完結してしまったのである。それで言わなくなった。言えなくなった。

もしくは独立教団路線に方向転換したので言わなくなったのかもしれない。

2022/2/11

セイア  
今日もざっくばらんに顕正新聞を読んでいくつもりだが、その前に前回の拙稿について補足しておきたい。

解説書で種脱相対を学ぶと、ここを間違えてしまう。

ここが意味不明だったようである。そこで次のように改めたい。

顕正会で種脱相対を学ぶと、ここがわからなくなる。

顕正会には御書がない。ところが彼らは言うのだ。御書を読んだってわからない、浅井先生を介さないと御書を理解できない、と。ゆえに顕正会の幹部の中には、ひそかに御書を読んでいる人もマレにはいるわけだが、大半は浅井先生の引用する御書しか知らない。

今、わたくしの手元には、B4の紙に印刷された下種本仏成道御書がある。一月度拝読御書と書かれている。たぶん調べれば何年の一月であるか判明するとは思うが、面倒臭いのでそこはご勘弁いただきたい。ともかく冨士が廃刊になってからは、このような形で御書講義を行なっていたのだと思う。少なくとも八回分はこの形で行なわれたようである。しかし、いつの間にか御書講義そのものがなくなってしまった。

 いかに八幡大菩薩はまことの神か。(中略)今日蓮は日本第一の法華経の行者なり。

ここまで書けば十分だろう。浅井先生は御書を引用するにしても中略を入れることが多い。何しろ御書講義においてすらご覧のテイタラクなのだ。都合の悪い御文をカットする。それで成り立っているのが浅井流法門なのである。それでいて幹部たちは浅井先生がいちばん御書をわかっていると思い込んでいる。井底の蛙とは彼らのことを言うのかもしれない。

さて、顕正新聞第1567号である。これが実質的な新年号で、メイン記事は元旦勤行の浅井先生御挨拶である。

熱原の大法難直中の建治三年・・・

この認識は正しいのだろうか?

 この父上は温厚・淳良な性格で、領民からも敬慕されていたと言われております。

上野殿の父上のことである。この根拠はどこにあるのだろうか?

 母上も温良なご性格で、信心も清らかであった。

これまた根拠は何か?

上野殿が大聖人様にお目にかかったのは、父上に手を引かれてのまだ幼少の折の一度か二度であったことがわかる。

これについては根拠として御書を引用している。

鎌倉にてかりそめの御事・・・

浅井先生はこれを根拠に上野殿が幼少の時に大聖人に面謁していると考えているらしい。しかし、これだけでは決定打とはならないだろう。あくまで可能性のレベルに過ぎない。むしろわたくしは当該御書の全体的な雰囲気からして、会っていない説、を主張したいと思う。

地元の地頭

やや重複的で気になる。

ことに幕府に狙われていた日秀・日弁等は富木殿のもとに送って匿わせた。

浅井先生はあたかも上野殿が指示したかのごとく言っているが、ここは大聖人の御指示ではなかったか?

日興上人の隠れ家

これは何か文献が残っているのだろうか?

公事責め

クウジゼメと読ませている。以前はクジゼメと言っていた。どうやらどちらもアリのようだが、クウジはかなり気取った印象がある。

くうじをばたれにかいゐあわせん。

今はありがたいことに検索すると出てくる。千日尼御返事のこのくだりを念頭に置いているのだろう。

広告文はすでに七千万枚を超え、やがて一億をも超える。

だから何なの?

かつて武道館大総会というのがあって、二回ほど行なわれたのだと記憶する。一回目は妙信講の名前を捨て顕正会と改称した。二回目は一億達成までの工程表を発表した。もちろん会員数のことである。しかもその期限はとっくに過ぎている。広告文を一億枚配ったところでどうにもなるまい。

2022/2/4

ケカウ  
コメント欄が賑わっている。しかも内容が多岐にわたるため、収拾困難である。

その中で一つの結論が出た。いや、もともと結論は出ていたのだが、それがさらに鮮明になった。

沖浦流怨嫉謗法論の破綻である。

今、世間に目を向けてみると、菅直人元首相と橋下徹氏の間でバトルがあった。簡単に言えば。菅氏が橋下氏をヒトラー呼ばわりした、それに対して橋下氏が猛烈に抗議した、いわば怨嫉謗法であると、そのように猛反発したわけである。わたくしの知る範囲では、橋下氏の取り巻き連中も一緒になって息巻いているわけだが、世間の目はひじょうに冷たい印象である。何しろ橋下氏自身がこれまで物議を醸すような発言を繰り返してきたという歴史があって、常に他者に対して攻撃的姿勢を崩さない人物だからである。ゆえに今さらヒトラー云々で揉めたところで、世間的にはまた始まったくらいにしか映らないのだ。

この構図が沖浦氏にもよく当てはまる。氏に対して何か言えば、それは怨嫉謗法であるからケシカランと反論する。拙ブログのコメント欄ではそれを何年にもわたって繰り返してきた。しかし、もはや破綻は明らかである。

手っ取り早く説明すると、怨嫉謗法論そのものは正しいと言ってもいいかもしれない。だが、その運用が間違っている、ということになるだろう。沖浦氏の場合、きわめて恣意的なのである。わかりやすく言えば、自分にとって都合の悪い話は怨嫉謗法のレッテルを貼って封殺しようとするのだ。なるほど、自分の恣意的な判断基準で怨嫉謗法であるか否かを決めていいのであれば、これほど楽な話はない。長年、こういう態度を続けていれば、やがては自己中心的な人物にならざるを得ないだろう。逆に、もともと自己中だった人物が怨嫉謗法論を悪用しているだけなのかもしれないが・・・

橋下徹氏との違いは取り巻きが存在するか否かだろう。拙ブログにおいて沖浦氏が孤軍奮闘しているのは事実である。その点は立派であると評価しておく。

さて、別の話題である。

足立正信会

すっかり忘れていた。逆に言うと、その後は顕正会でもまったく話題になっていないので、そこに何かしらの事情を嗅ぎ取るべきなのかもしれないと思う。

例えば、森友問題の当事者のご子息が顕正会に入信したことがある。確か総幹部会でも登壇したはずだった。ところが今はどうだろう。まったく話題にならない。おそらくは組織から離れてしまったのだと思う。上掲も似たようなものかもしれない。

質問主意書

これには驚いた。熱心な顕正会員は質問主意書と聞けば谷口善太郎議員を想起する。ところがそれとは別の質問主意書が存在するのだ。そもそも不勉強のわたくしは、谷口議員のそれにしても、顕正会の書籍に出てくる範囲しか承知していなかった。今はありがたい時代である。本気で勉強するつもりならば、資料はいくらでも手に入る。あとはモチベーションの問題である。

さて、次は最難関の話題である。

上記の部分を見ますと、大聖人が上行菩薩の再誕であるとすることに躊躇されているように思われます。

まず、上掲だけでは無関係の人には意味不明のはずである。とは言え、ダラダラと長くなってもいけないので、こんな感じで進めたい。

他の日蓮宗諸派とは違って富士門流としては、本仏は日蓮大聖人であるという大前提がありますから、これをどう切り抜けるかという問題があります。

上行再誕論と日蓮本仏論の整合性問題とでも言うべきか?

相伝書とされているものに門流としての解決があるように思います。

ここで沖浦氏のヨコヤリが入るわけである。わたくしと蝸牛氏が議論する分には何の問題もない。ところがそこに沖浦氏がイチャモンをつけてくる。だから話がややこしくなる。

上行菩薩の再誕であるとすることに躊躇・・・

再掲であるが、わたくしは上行再誕論に躊躇しているわけではなく、この時には別の意図があって御書を引用したのだと思う。ここは話が複雑で自分でもわけがわからなくなっているので恐縮なのだが、ようするに沖浦氏の御書引用に対する婉曲的な反証だったような気がする。ところがコメント数が膨大ゆえに、具体的には沖浦氏のどのコメントを念頭に置いていたか、今となってはわからないのである。ともかく上行再誕論すら反証可能なのである。いわんや本仏論をやというのがわたくしの考えであって、大聖人を御本仏とすることに否定的な人たちに対して容易に説得できないとしても、むしろそれが六難九易そのものなのだと思っているわけである。

現在の、日興門流(日蓮宗内(旧本門宗系列)の興統法縁、日蓮本宗要法寺、独立の保田妙本寺や西山本門寺など)において、現在日蓮本仏論がどう把持されているのか知りたいですね。なんとなく日蓮本仏を謳うところが少なくなっているような気がします。

おそらくは信徒の情熱に比例することなのだろう。もちろん僧侶側の姿勢は先ほどの六難九易が当てはまるわけであって、一般仏教と肩を並べるつもりならば日蓮本仏を言わないほうが得策という安易な選択にならざるを得ないのだと思う。保田などは正宗から離脱してしまったわけだが、その意図するところはどうであれ、ハタからは由緒ある重宝を蔵しているのでどうにかやっていけるという打算があるように見える。

さて、最後に巌虎流の日蓮本仏論を少しだけ書いておこう。

各々あつまらせ給ひて八日をくやう申させ給ふのみならず、山中の日蓮に華かうををくらせ候やらん、たうとし、たうとし。

わたくしは解説書を読まないので、今では種脱相対もよくわかっていない。ゆえにひじょうに素朴な拝し方をしている。いわゆる八日講は釈尊講である。大聖人は大師講もされていたし、他にもやっていたかもしれない。それらは世間普通の義として捉えれば法事の一種だろう。では、上掲の日蓮に華香とは何か、である。大聖人は仏なのだ、だから華香を送るのだ、とわたくしは拝する。

十羅刹と天照太神と釈尊と日蓮とは一体異名にして、本地垂迹の利益広大なり。

解説書で種脱相対を学ぶと、ここを間違えてしまう。

 諸々の権化の人々の本地は法華経の一実相なれども、垂迹の門は無量なり。

難しいところなので、何も言わないでおこう。


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