2014/11/20

冬の到来  
傍観者v氏のコメントを読んで、どうやって対応したらよいものかと思案しているところに、成田氏から絶妙のコメントが寄せられた。短い文章であるが、ひじょうに鋭いと思う。いずれにしても顕正会の宗門復帰はわたくしの個人的願望であり、客観的にはきわめて実現性の低い話であることを承知の上で、書かせていただいているのだ。創価学会が宗門からのいっそうの乖離を示し始めた今のこの時期だからこそ、意味のある発言なのではないかとひそかに思っている次第である。

関の山氏からは傾聴に値する数々のご指摘をたまわった。

保田や西山からの入会者は、基本的にはあり得ない。なぜならば教義信条が異なるからだ。たぶん、このようなお考えなのだろうと思うが、なるほど、それはごもっともな話である。

ただし、現状でどれほどの信者がおられるのか知らないが、おそらく、その最大の供給源は創価学会なのではないかと思う。ようするに創価学会からの移籍者という意味だ。
これが何を意味するかと言うと、かの二つの寺院は由緒のある古刹ではあるものの、長らく自前の信者組織を持たなかった。今、それ相応の組織があるとすれば、それは日蓮正宗系から流れてきた人たちによって構成されている。その最大の供給源こそが創価学会なのだ。
もちろん、当てずっぽうである。調べたわけではない。その前提で話を進めさせていただくが、もし、わたくしの観察が正しいとすれば、彼らは教義にそれほどコダワリを持っていないのではないかと思う。つまり、大石寺教学(ないし創価学会教学)の間違いに気づいたからとの動機で移籍するなんて人は、ごく少数なのではないかと思うのだ。

いやいや、そんなことはないと、おっしゃるかもしれない。

拙ブログに集まる人たちは教学に詳しい人が多い。関の山氏もその一人だ。わたくし自身はそれほど教学に詳しいわけではないが、関心はある。
つまり、我々は錯覚しているのだ。我々の視点で考えると、まさに教義信条が第一義であって、それによって大石寺の信仰を捨て他山に移籍するというのが自然な動機だと考えてしまいがちなのである。
しかし、そういう人ばかりではない。むしろ、それは少数派である。

では、移籍の理由は何かであるが、甚だ矛盾するようなことを書くと、移籍の理由は教義信条である。ようするに、表向きの理由がそうだという話なのである。紹介者であるとか説得者がいて、彼らが教義信条を説いて移籍を促す。ゆえに表面上はそれが移籍の理由となる。しかし、信仰者の多くは案外にわかっていない。関の山氏のように教学に明るい人からすれば想像を絶することかもしれないが、己の宗教がどのようなものかよくわからずに信仰している人が案外に多いのである。

なぜ、わたくしがこのような考えに至ったかを書いておこう。

今でこそ口舌の徒の典型であるが、かつては折伏を実践していた時期があって、当然ながらさまざまの人たちに遭遇したものだった。そうした中で、昭和二十年代に創価学会に入信したという婦人の話を、その子息から聞いたことがあった。子息は信仰心のカケラもない人物だったが、少年時代は熱心な母親の勧めであろう、わけもわからず創価学会の集会に行ったことがあったそうだ。そこで、池田先生からパンと牛乳を手渡された、などと言っていた。母親は二十年代入信のツワモノである。それ相応の幹部だったのかもしれない。当然、わたくしは母親に会って折伏するつもりでいたので、子息にその機会を設けるように言った。ところが子息はそれを渋った。結局、実現しなかった。

子息の話によると、すでに母親は創価学会をやめており、当時は別の宗教をやっているらしかった。宗門だろうか、正信会だろうか、などと勝手に想像していたが、なんとそれは神道系の新興宗教だという話なのである。その名称はわかっているのだが、ここでは伏せておこう。

ともかく、わたくし的にはけっこう衝撃的な話だった。

そんなわけで、顕正会にもいわゆる正義にめざめて入会してくる人がたくさんいるけれども、いったいどこまで理解して入ってくるのかは、甚だアヤシイと言わざるを得ない。実際、トンチンカンな発言をする人がいるのも事実で、拙ブログでもそうした事例をこれまでいくつも取り上げている。

理解度は人それぞれである。記憶のメカニズムも複雑で、過去の情報が完全に消去されて新たな情報がインプットされる場合もあれば、過去と現在が混ぜこぜになってしまう場合もある。人生経験の内容だとか長短によっても、それが変わってくる。ゆえに同じことを教えても、まったく違った理解を示すことが起きるのだ。

日蓮正宗(創価学会)から他山・他門に移籍するのはまだしも、神道系の新興宗教に移籍するというのは考え難いことだ。しかし、現実にこうした事例が存在するのだから、仕方がない。

わたくしの結論はすでに書いたごとく、教義信条こそが第一義だというのは必ずしも正解ではなく、わけのわからない衝動こそが信仰者の行動原理なのではないか、というのがいちおうの結論である。

先ほど、創価学会を供給源と書いた。

この意味は、既存の仏教各派は信者の新規開拓が困難となっており、そうした中で日蓮系の各派は創価学会のおこぼれを頂戴しているのではないか、という少々馬鹿にしたような意味を込めて書いたわけである。ちなみに顕正会はこれに当てはまらない。けっこう誤解があるのだけれども、顕正会はともかく片っ端から折伏しまくって、その結果として創価学会員にも当たるだけの話である。ゆえにどうだろう、わたくしはデータを持ち合わせていないので本当のところはわからないが、おそらく顕正会の構成人員のうち元創価学会員の割合はせいぜいが二割くらいなのではないかと思う。法華講員からの移籍は一割にも満たないだろう。すると全体の七割以上は新規開拓ということになる。

前回、顕正会の純粋さが光り輝くと書いたのは、創価学会に比してである。功績者を降格ないし粛清して来た組織が純粋かとの質問は、やや的を外していると思う。

ただし、その一方で言えることは、実力のある人材を潰してしまえば組織にとってマイナスのはずである。なぜ、そのような馬鹿なことをするのか知らないが、なるほど、顕正会の組織が伸び悩むのも当然である。

十万前後だと聞いた事ありますよ。

公称数と実数の乖離の甚だしさは、もはや取り繕いようのない事実である。実数で十万前後はおっしゃるとおりだろう。実は直近の顕正新聞に興味深い数字を発見したので紹介しておきたい。第1326号の五面に載る、総合女子部長の記事だ。

 この十月、全国で開催された「男子部大会」ビデオ放映に、女子部のビデオ放映としては過去最高の二七、四五七名の大結集が叶いましたこと、感激で一杯であります。

ご存知のごとく、顕正会には女子部の他に、男子部と婦人部がある。面倒臭いので四捨五入して、それぞれの結集人数を三万人ずつとすれば、九万人となる。

なるほど、十万前後は相当だ。

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