2015/3/21

顕正新聞第1334号を中心に  
いよいよ馬脚をあらわし始めたようである。次のコメントがまさにそれである。

大沢某・沖浦某の低レベルな投稿に、厳虎さんが御丁寧に答えている事によって、この掲示板の水準が更に下がっている様子を例えると、「住民が野良犬にエサを与えて、狂犬化させてしまった」ようなものだ。(爆笑)

大爆笑だ。

掲示板の水準? 何を寝ぼけたことを言っておるのかと思う。ここは掲示板ではない。個人のブログである。そのブログのコメント欄に各方面からさまざまの声が寄せられているのだ。貴辺もその一人であるが、何の制限もなく投稿できることを深く考えるべきだろう。

しかもである。再掲しよう。

大沢某・沖浦某の低レベルな投稿に、厳虎さんが御丁寧に答えている事によって・・・

何を寝ぼけたことを言っておるのか、貴辺も耄碌したものである、ここ最近において、わたくしがいつ彼らに御丁寧に答えたと言うのだろうか、そんな事実はどこにもない。

ご存じないようなので書いておくが、大沢氏はかつて頻繁にコメントを寄せていた。しかし、ここ数年はまったくのご無沙汰だった。その理由はいわばケンカ別れのようなものである。わたくしの口舌の徒ぶりに業を煮やして去って行った、それが大沢氏である。先月あたりから再び頻繁に投稿するようになったけれども、わたくしは必ずしも氏の投稿に対して丁寧に返答しているわけではない。

また、沖浦氏は拙ブログが独白を看板に掲げていることをよく承知していて、こちらが何も反応を示さなくても苦情めいたことはまったく言わない。実際問題として、今月は顕正会の話題ばかりを取り上げているので、沖浦氏に対しては挨拶程度の応対しかしていない。これが事実である。

以上、貴辺は一個人のブログに過ぎない巌虎独白を掲示板と勘違いし、しかも独白ブログであることを弁えずに返答がないことに不満を漏らし、かつまた大沢・沖浦への対応との差を詰るがごとくの言動をしている。これらは単なるイチャモンに過ぎないことを自覚すべきだろう。こんな御仁が妙信講の大先輩だとしたら恥ずかしい限りだ。

さて、今日は顕正新聞第1334号である。

 日興上人はつねづね「上野殿御返事」の
 「今末法に入りぬれば、余経も法華経も詮なし、但南無妙法蓮華経なるべし」
 との御文を、噛んで含めるように、繰り返しお説法されたという。


二月七日の会長講演であるが、この部分がわからなかった。日興上人が具体的にどのような御指導をあそばしていたかについて、浅井先生は上掲のごとく言っているわけだが、この根拠はどこにあるのだろうか?

ご存知の人がいれば、ぜひともご教示願いたいと思う。

二面以降は各種の登壇記事がぜんぶで二十本掲載されている。先日の軍楽しょう氏ではないが、これらを隈なく読んでいる会員は少ない。ヘタすると、顕正新聞の編集部だって読んでいないかもしれない。テキストデータを機械的に入力するだけであれば、読んで内容を理解する必要もないからである。

まあ、しかし、今回の記事群にはそれなりの特色があって、たぶん斜め読みしているような人たちも、一つの傾向に気がついたはずである。

「学会員を救う特集号」こそ決定的な楔
 学会員の道念に訴え全員救わん

「道念ある学会員なら必ずめざめる」
 特集号で広宣流布は加速を大確信

先生は学会員の臨終をも憂えられる
 「道念とは臨終を憂えること」に感涙

「池田大作は戒壇の大御本尊の敵」
 「学会員を救う特集号」で戦わん!

今こそ背正帰悪の真只中
 「特集号」片手に全学会員を救わん

大聖人の絶大威徳を拝せる有難さ
 学会では「人間革命」を「現代の御書」と

原田稔の欺瞞と謀りを一刀両断
 学会員は必ずめざめるを大確信

「何としても八百万学会員を救いたい」
 先生のお心を思い胸が熱くなる

学会員を救わんとのご慈愛に熱涙
 学会崩壊と広宣流布近しを確信

「学会員を憎いと思ったことはない」
 先生のお心を知り学会幹部が驚く

「学会もとうとうここまで来たか」
 学会歴50年の幹部が動執生疑!

学会員を堕獄へ導く魔の本性 露わ
 「池田大作こそ天魔でなくて何か」

極限の大謗法に学会員が動揺!
 池田大作に騙された学会員を救わん

「学会員を救う特集号」の威力!
  多くの学会員に動執生疑が

「お題目は日蓮大聖人の御名」に大感動
 学会では「南無池田大聖人」と唱える
「折伏理論書」拝読、悪師に付く恐ろしさ実感


一つの傾向とかの問題ではないかもしれない。ともかく特集号の話題で持ち切りなのだ。創価学会員はこれをニガニガしく思うかもしれないが、わたくしを恨んではいけない。文句があるならば顕正会本部に言うべきだろう。

個々の記事についてはいろいろ興味深いところであるが、やはり最後の記事がひじょうにセンセーショナルだ。まさか本当だろうか、さすがにそれはないだろう、と思うのだが・・・

学会の先輩より「池田先生は大聖人様だから、南無池田大聖人様と唱えなさい」と言われていたことから、必死に勤行で「南無池田大聖人」と唱えておりました。

先ほども少し触れたように、今回に限らず拙ブログの存在そのものをニガニガしく思っている創価学会員もいると思う。何しろわたくしは宗門シンパを標榜しているくらいであるから、創価学会系の人物から睨まれても仕方がない面があるのは否めない。しかし、上掲の記事を紹介する目的はむしろ正反対の意味があるのだ。

ようするに、こんなことは常識的に考えられない、南無池田大聖人だなんて、誰が考えたってあり得ないだろう、むしろこんな記事を載せる顕正新聞こそウサン臭い、ということなのだ。

わたくしは顕正会に辛いのだ。顕正会のダメさ加減にスポットを当てるのが拙ブログの目的と言ってもいいくらいなのである。

一方、宗門には甘い。これは誰かに言われるまでもなく、自覚していることなのだが・・・

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