2015/3/29

顕正新聞第1336号の記事から  
大沢氏の迅速なレスポンスには驚いた。しかも内容が的確である。わたくしが更新して三十分足らずの短い時間に、これだけの芸当が可能なのは、日頃の準備に怠りがないからなのだろう。

さて、写真の件で少し揉めているようだが、これは水掛け論になりかねないので、ほどほどにしたほうがいいだろう。いわゆる雑乱勧請の問題を考えるならば、仏壇の中には余計なものをなるべく入れないほうがいいに決まっている。ただし、わたくしの見聞の範囲では、中央の最上段に位牌を据えて下段の然るべき位置に故人の写真を置くのが世間一般の通例のように思えるので、その辺の順列さえ間違えなければそれほど問題ではないような気がするのだ。よって正宗系の場合は、中央最上段に曼荼羅御本尊を安置してあれば、下段のほうに物故者の写真を置いてもいいのではないかと思った次第である。しかし、大沢氏によればそれすらもダメらしい。

もっとも池田大作氏は故人ではないので、その写真を仏壇に飾るのはヘンな気がしないでもない。あるいは生き仏のような意味があるのかもしれないが、しかし、んっ?氏によれば、せいぜい経机の上に写真を置くのがギリギリの線のようである。つまり、仏壇の中には飾らない、いわんや御厨子の中をや、ということらしい。

いずれにしも、沖浦氏が言っているように、創価学会員はひじょうに人数が多いのでマレにはおかしな人がいても不思議はない。そこを針小棒大にあげつらっているような面が我々にはあるのかもしれないと、いちおうは反省しておきたいと思う。

学会副本部長として活動、男子部大会で覚醒
  「学会員を救う特集号」に大衝撃と熱涙
学会幹部の臨終はすべて悪相だった!


さて、わたくしはわりと冷静というか、客観的にものを見ているつもりなのだが、顕正会は丸っきりダメである。その見本が顕正新聞第1336号に出ているので紹介しよう。

「学会より正義にめざめて」

このタイトルは今回が初めてだろう。特集号と連動していることは一目瞭然だ。その登壇の一つが前掲である。副本部長がどれほどの地位なのか知らないが、内容的にはちょっと腑に落ちないところがある。

学会幹部の臨終
  すべて真っ黒


この小見出しのついた一節が問題である。

 私は学会を正しいと信じ、五十五年間の人生を学会に捧げてきました。
 そして学会時代、幹部から「これが成仏の相です」と言われて見てきた、たくさんの学会幹部の臨終の相はすべて真っ黒であり、「黒くなるのが成仏した証拠」と思い続けてきました・・・


五十五年もの間、いったい何をやっていたのかと思う。御書を読んだことがないのだろうか? そんなバカなことはあるまい。

つまり、いかにもウソっぽいのだ。

創価学会員の臨終が悪相かどうかは主観的な部分が少なくないので何とも言えないところである。しかし、彼らも御書を読むわけで、御書には臨終の相についての御指南もある。ゆえに五十五年もやっていれば、しかも副本部長を仰せつかるほどの人物であれば、それを知らないはずはあるまい。ゆえに腑に落ちないと書いたのだ。

もう一人の登壇者についても少し触れておこう。

・・・学会幹部に相談すると、「愚痴と文句は功徳を消す」と言われ、納得がいかなかった私が意見を言うと、「反発する者は第六天の魔王の使い」「組織を乱す者は師子身中の虫」と罵られ・・・

 私も亡き父の遺産を全額供養しましたが・・・

この人は昭和三十五年に入信したという。それで創価学会時代の思い出を語っているわけだが、途中からなのでわかり難い点はご容赦願いたい。ようは顕正会だって似たり寄ったりだろうということなのだ。上段の愚痴と文句は功徳を消すなど、おそらく顕正会経験者ならば、先輩に言われたことがあるし、自分自身も後輩に対して言ったことがある、という人がザラにいるはずだ。下段のほうは正本堂の御供養についてであるが、顕正会も御供養に参加しているので一方的には批判できないはずである。

そして次が問題である。

 学会の早口で長い勤行・・・

あれれ? という感じだ。かつての創価学会は五座三座の勤行をやっていた。その時であれば早口で長い勤行は当てはまる。しかし、近年の創価学会は違うだろう。早口かどうかは知らないが、少なくとも勤行の長さは相当に短くなったはずである。

こんなテイタラクである。

さて、その他の記事も見ていこう。第二十四女子部長のお出ましである。

・・・極限の大謗法を犯した学会を責めんと、先生が新たな戦いを開始された意義の重大さであります。

イジワルな見方かもしれないが、顕正会員は折伏三昧の日々に疲れている。そこで目先を変えて気分転換を図る意味も兼ねて、今回の創価学会破折キャンペーンを開始したのだろう。

いよいよ最後、最重要段階に突入したことを肌身に感ずるものであります。

最終段階という表現はもう使い古された感がある。そこで新登場したのが上掲なのだろう。たぶん初出のはずである。

第十九男子部幹事・第五十八隊長の記事にも類似の表現がある。

いよいよ迎えた広布史上最後の戦いに、悔いなき戦いを決意するばかりであります。

さて、今度は婦人部片瀬支区部長の登壇であるが、ここには久々に会長本仏論を思わせる記述が出てくる。原文はやや煩瑣なので、少し加工した上で紹介させていただくことにする。

大聖人様の「必ず身命を喪わんか」との御覚悟で国主諫暁に望まれた御心と、身を捨てて御遺命守護の戦いに敢然と立たれた先生のお姿とが重なり、ひれ伏す思いになりました。

大聖人と浅井先生とを重ね合わせてはいけない。

「試練と忍従の時代」以来、先生が待ち望まれてきた、顕正会が二百万の仏弟子の大集団になって国を揺り動かす日を・・・

これはじゃっかんアゲアシ取りの気味がなくもないけれども、いつも言っているようにそんな何十年も前から二百万を目指していたなどという話は信用ならないところである。事実、そのような文証は存在しないはずである。

男子部第108隊支隊長は元ヤクザを売り文句にたびたび登場しているが、今回の記事ではヤクザ云々の記述がまったく見当たらない。それはともかく、わたくしはこの記事にいろいろとイチャモンをつけたいと思っている。失礼ながらチグハグ感が拭えないのだ。前の職場にいたら思う存分に顕正会の活動が出来ないので転職したわけなのだろう。けれども結局はまた元の職場に戻ったわけである。まあ、しかし、ここには文章ではあらわせない、さまざまの葛藤もあるだろうから、あまり深く突っ込むべきではないのかもしれない。

有難くも前法戦では支隊結成初の誓願達成も叶えさせて頂きました。

この人がいつ支隊長になったのか確認していないのであまり大きな声では言えないが、しかし、意外な感じがした。ようするに連戦連勝のイメージがあったからである。

残り五年、浅井先生から頂いた支隊長としての使命をよりいっそう強く果したい・・・

なるほど、前述の大幹部たちが「最後、最重要段階」だとか「広布史上最後の戦い」などと言っているのは、残り五年のことだったのだ。しかし、あと五年で終わるわけではあるまい。彼らはそれをわかっているのだろうか?

大音響の「防犯ブザー」

これは販促と呼ばれる記事の一種だと思われるが、なぜか前号にもまったく同じ記事が掲載されている。編集部がうっかりしたのか、あるいはこれを強力に売り込みたい理由があるのか、その辺はわたくしの知るところではない。

最後に創価学会ネタに戻って、婦人部栃木支区部長が興味深いことを言っている。

 四年前、配布先で、「神社の供養を一切やらない、熱心な学会員がいる」と聞いたのがきっかけで、学会の一婦人と出会いました。

四年前はつい最近の部類に入るだろう。創価学会は今も謗法厳禁の精神を堅持していることの証拠と言えるかもしれない。

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