2015/4/25

不遇者の論理  
沖浦氏のコメントを拝見するに、これまた開き直りの論理であることに驚く。

 浅井さん、貴方が今そういう事で会員に発破かけられるの、創価学会の路線変更のおかげです。

まあ、しかし、創価学会員が浅井先生に対して反発心を懐くのは自然のことである。何しろ今、多くの創価学会員が「学会員を救う特集号」を読み、正義に目覚めつつあるからだ。

問題はそれがどの程度の規模であるかだ。

顕正会は誇大宣伝がうまい。何事も大袈裟に言うものだから、実際のところがよくわからないのだ。現状、創価学会員の何パーセントが特集号を読み、また、そのうちの何パーセントが顕正会に移籍したのか、まるで見当がつかない。浅井先生はしばしば「八百万学会員」という表現を使うが、もしこの一パーセントが移籍したとすればそれだけで八万人にもなるのだ。こう考えると、現実には微々たる成果なのだろうと思われる。

さらに言えば、顕正新聞の記事を読む限り、創価学会からの入会者の多くは年配者である。青年層の入会者はほとんど見当たらない。

これは際立った特徴であり、これが何を意味するのか、ひじょうに興味深い。

いろいろな理由が考えられるけれども、煩瑣になるのでやめておこう。ともかく以前に比べると、創価学会からの入会者が増えたであろうことは間違いない。しかし、その大半が年配者である。もしこれが若年層に広がれば事件であろう。あの大創価学会であるから、常に一定の脱会者が出ることは織り込み済みのことであろうけれども、やはり若い人が抜けていくのは問題のはずである。もちろん、わたくしにはまるで見当がつかないことだが、おそらく現時点ではそこまでの深刻さはないと見るのが妥当なところかと思う。

さて、顕正新聞第1339号を見ていこう。

 阿部日顕が池田大作と心を合わせて為した、自己申告による登座劇についての段では・・・

婦人部鷹巣支区班長がケシカランことを言っているが、ともかく続きをご覧に入れよう。

・・・登座劇についての段では、かつて池田大作が第三代会長になるとき、当時の学会幹部の「なぜ池田大作なのか?」などの会話を耳にしたことと思い合わせ、池田がかなり強引に会長の座に就いたことを記憶しております。

この人の発言をどこまで信用してよいかは、わたくしの知ったことではない。ようするに、この人はそういう古い時代を知っているわけだから、当然、年齢は推して知るべしということだ。

また、この隣に掲載されている記事の人も創価学会歴五十年で、現在は婦人部横浜支区班長とのことだ。

 その当時は、学会も縁をたどっての折伏でしたが、あるときから「横線」と称して地域単位の折伏となり・・・

ネット上でも創価学会関連の記事で、縦線だの横線だのと言っているものを散見するが、確かに選挙戦の便宜を考えたら横線のほうが有利だろう。創価学会が選挙に力を入れるようになって横線に方向転換したという話は、なるほどツジツマのよく合う話である。それにしても続きの文章が不可解だ。

・・・地域単位の折伏となり、そのときも「折伏は立正、選挙は安国」との言葉を信じて、折伏の手を緩めることはありませんでした。

折伏は立正、選挙は安国?

なんだそりゃ、というのが正直な感想である。そんなことが本当に言われていたとしたら、アホだなあと言う以外にないところである。

ちなみに平成二十四年入会の平会員の男性は、創価学会員だった時に次のように言われたそうである。

「公明党が政権を握れば人材が集い日本が安泰になる。これこそ立正安国」

前掲の「折伏は立正、選挙は安国」よりも、むしろこちらのほうが整合性が高いような気がする。もちろん、大聖人の仏法とは無関係であるが、いわゆる創価学会的理念としては筋が通っている。前者のほうは、折伏と選挙を両立させたくてそのように言ったのかもしれないが、いかにも強欲が過ぎる。その意味では後者のほうがスッキリしているのだ。

「誰でも宿命はある。それを乗り越えて各々輝いて行こう。最悪こそ最善だ」

同記事にはご覧のような言葉も紹介されている。池田大作氏の発言だそうである。

最悪こそ最善・・・

けっこう名言だと思う。顕正会側の意図としては名言ならぬ迷言のつもりで引用したのだろうけれども、わたくしは悪くないと思う。あるいはこういう発言にこそ、池田大作氏の魅力があらわれているのかもしれない。

ちなみに、登壇者は昭和五十七年に創価学会に入ったというから、ざっと三十年ほどのキャリアがあることになる。

また文証の「一期弘法付嘱書」「三大秘法抄」も初めて知りました。

なるほど、やっぱり教えていないらしい。もちろん顕正会も同じことであって、自分で勉強する気がなければ教団の恣意的なセレクトによってしか御書を学べないというのが実情である。これは宗門も例外ではないだろう。

さて、もう一人の入会者は本年一月に創価学会・法華講を経て移籍してきた男性である。昭和三十一年に十六歳で創価学会に入ったというから、現在は相当の年齢である。そして法華講へ移籍したのは意外や意外、一昨年だそうである。とは言え、それまで創価学会で熱心に活動していたわけではなく、かなり早い時期に脱会して二十年あまり悶々としていたそうだ。ともかく法華講に入って、そしてわずかの期間に八名の入信を叶えたというから大したものである。

しかし、わたくしは残念に思う。以下は顕正会へ入会した直後の記述である。

この日から自宅で遥拝勤行を実践・・・

なんだこりゃ、と思う。

昭和三十一年の入信であれば、御寺で御授戒を受けたであろうし、その時に御本尊を下付されたと考えられる。顕正会はその御本尊を否定するのだろうか?

あるいは一昨年に法華講へ移籍した旨の記述があるので、その時に日如上人書写の御本尊を頂戴しているのかもしれない。顕正会はその御本尊を否定するのだろうか?

 後日、御本尊を返納するため、群馬県伊勢崎市の宗門末寺・常行寺へ赴きました。

推測の域を出ないものの、諸般の事情を勘案すれば、どうやら日如上人書写の御本尊なのだろう。すでに顕正会では細井日達・阿部日顕の御本尊を用いないことを表明している。すると、いよいよ早瀬日如の御本尊を用いないということの表明であろうか?

わたくしに言わせれば、これこそが顕正会における開き直りの論理である。御高徳の三上人の御本尊を用いないとは言語道断の悪行である。道念あるならば後生を恐れよと言いたい。

頭に血が上ってきたので、今日はこんなところでやめておこう。

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