2015/5/10

コメント投稿者に水を差すブログ  
今回は最初から最後まで余談の連続であることを、あらかじめお断りしておきたい。

すべての投稿に目を通してはいるものの、記憶に残っているものは少ない。どうでもいいようなコメントが多過ぎるからだ。その大半が沖浦氏がらみのもので、堂々巡りのようなやりとりも少なくない。

そうした中で唯一だろうか、関の山氏のネパール大地震云々の記述が問題提起としてはなかなか有意義なもので、わたくしもいろいろと考えさせられた。しかし、結局のところは沖浦騒動(?)にかき消されてしまった格好である。

まさに騒動である。これが紙媒体だったら、どれほどのムダだろうか? ようは資源のムダである。

では、余談めいた話をしよう。

あるところに立派なビルディングが完成した。しかし、見た目だけではそれがどういう目的で建てられたものか、判然としない。
たぶん素人であっても、建物を見れば、それがマンションであるか、オフィスビルであるか、あるいは店舗であるか、それくらいは区別がつくだろう。わたくしもわかる。
ところがくだんのビルはわからない。外観からはまったく判断がつかない。何しろ窓がほとんどない。しかも人の出入りもほとんどないのだ。
それはデータ・センターと呼ばれる建物だった。ようはパソコンにおけるハードディスクの役割りを担うものであり、いわばビルそのものが巨大なハードディスクなのだそうである。

なるほど、窓がないことも、人の出入りが少ないことも頷ける。今の時代はこの手の建物が日本中にたくさん建てられているらしい。

そもそも、なぜにそれがそんなに必要なのかがわからない。具体的にはどのようなデータが保存されているのか、それがわからない。もちろん企業秘密というか守秘義務というか、たぶん聞いても教えてはくれないだろう。

そこで以下はわたくしの勝手な想像であるが、もしかしたら拙ブログのデータなども、そうした建物に収納されているのかもしれない。あらゆる個人サイト、あるいは掲示板など、便所の落書きと言われても仕方がないような低レベルの投稿までもが、すべてデータ・センターに収まっているのではないか、ということなのだ。

ご存知のごとく、拙ブログは無料である。もちろん閲覧は無料、コメント投稿も無料、そして何よりもわたくし自身が一切の費用なしでこうして十年間、やってきたのである。こんな不思議な話はない。

インターネットは原則無料というか、無料にもかかわらずクオリティの高いサイトがたくさん存在するので、有料サイトはたいていが淘汰されていく運命にある。そんなわけで利用者側も感覚が麻痺してしまって、無料が当たり前のような錯覚を起こしている。かく言うわたくし自身、元来がケチなので有料サイトはほとんど見向きもしない。

それにしてもである。いったい無料サイトはどのような仕組みで維持されているのか、それがよくわからないのだ。いちおう、民法のテレビと同じ理屈なのだろうとは思う。あれも不思議なもので、テレビさえ持っていれば、タダで視聴できるのだ。

ただし、テレビ局は数が限られている。ところがインターネットの場合はチャンネル数がほぼ無限である。いったいそんなものがどうして維持できるのだろうか?

拙ブログは投稿数がすでに二千を超え、コメント数も三万有余を数える。ところが、わたくしのパソコンの中には、それらのデータは存在しない。おそらくはどこかのデータ・センターに収まっているのだろう。こうした個人ブログが無数にあって、掲示板もたくさんあって、それらの膨大なデータがどこかに保存されているのである。そのために立派なビルディングが建てられ、データを収めるための機器が設置される。タダのわけがない。ビルの建設費用にしても、機器の設置費用にしても、安くはないだろう。ところがわたくしはそれを払った記憶がない。基本的には回線の通信料だけである。

ともかく生産性のない世界である。虚構の世界だ。ゆえに、これが現代人のライフスタイルを形成しているとして、はたしてどこまで維持ないし発展が可能なのか、わたくしにはまったく想像がつかない。

さらに話を脱線させると、わたくしは現代日本を一億総ニート化の時代だと思っている。中高年のニート化が進みつつあるとの指摘もあるが、それはそうだろう。二十代三十代のニートの人たちが、年数を経ればやがては四十代五十代になるし、さらには六十代七十代にもなる。わたくしもその一人だ。

インターネットは無料だと書いた。通信料は必要であるものの、それ以外にはさして費用が掛からない。つまり、いちばん安上がりな遊びなのである。今の日本人の多くがこの世界にドップリとはまり込んでいる。生産性はほぼゼロに等しい。こんなテイタラクでいいのだろうか? はたしてこんな享楽がいつまで続くだろうか? わたくしにはまったくわからない。

話が脱線の連続だったが、最初に戻ろう。

各方面からたくさんのコメントが寄せられているが、もしこれが紙媒体だったらどれほどのムダであるかが一目瞭然である。紙は意外や意外、重さがある。ヒラヒラの薄い紙も枚数が重なれば相当である。

ところがネット環境においては、その実感が持てない。巨大なビルを建て、大量の機器を導入して、そこに便所の落書き同然のデータを保存するという、そのムダというか、ヘンテコさ加減に気がつかないのだ。

そんなわけで沖浦氏も沖浦氏だが、それにいちいち反応している人たちもどうかしているとしか言い様がない。

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