2016/12/11

基礎教学書を斬る  
遅ればせながら基礎教学書を入手したので、わたくしなりの視点から少し論評させていただこうかと思う。

 全国の顕正会員によって配布されたカラーコピーは、すでに二百万枚を超えたと、昨日、理事長から聞きました。

八月度総幹部会での会長発言である。つまり、今顕正会では基礎教学書の新聞広告をコピーしたものを大量に配布しているらしく、それが八月末時点でご覧の数字となっているわけだ。

 広告のカラーコピーはすでに三〇〇万枚を超えましたが、いよいよこれからです。

これは九月度総幹部会での会長発言だ。その後の数字は詳らかではないが、順調に行けば今頃は五百万枚を超えているかもしれない。

しかし、それがどうした、と言いたい。

基礎教学書そのものが五百万部も売れれば大したものだと思う。いや、百万部だって十分だろう。今の時代、そうそうミリオンセラーは出ないものである。ゆえにそうした記録そのものが人々の関心を集めることになって、さらに相乗効果を生むことになる。いわゆる加速度を増すことになるのだ。顕正会としてもそれを狙ってはいるのだろうが、残念ながら現実は厳しい。なかなか皮算用どおりには行かないものである。

実はそのカラーコピーも入手することが出来た。

A3サイズと思しき紙面には文字がギッシリと詰まっている。さすがは浅井先生だと思うのは、その一枚の紙に言いたいことをうまく要約して言い尽くしていることだ。

ただし、それがどれだけの効果を発揮するかは不明である。

わたくし的には紙がデカくて保存に困っている。通常、A4サイズが一般的であり、その大きさであれば保存用のファイルもたくさん出回っていて苦労がない。それがA3だとファイルがないので、もし仮にA4用のファイルに入れるとすると、二つ折りにしないと保存できない。しかし、折り曲げたくない。

いかがだろうか? 現役の活動会員たちの気持ちも同じなのではないか?

こんな立派な広告を折り曲げてしまっては申し訳ないと。いや、もしかしたら大量配布をしている人はそこまで気にしないのかもしれない。平気で折り曲げてカバンに入れたりしているのかもしれない。ただし、やはり永久保存用としては折り曲げたくないだろう。

ところがである。ここまでは顕正会員側の気持ちを汲んでの話だった。では、一般人はどうか、それが問題なのだ。

はっきり言えば、ただの紙切れなのである。

新聞の折り込み広告だとかポスティング広告の扱いを想像すればいい。顕正会員だって同じだろう。自分にとって興味関心のない広告はゴミ箱行きである。資源ゴミとして出す場合、いわゆる古新聞と一緒に積み重ねて、適当な分量になったところでヒモで括って指定日に出すことになるだろう。わたくしの家ではA4相当のストッカーに溜めているので、くだんのカラーコピーを出すとすると、二つ折りにしてそこに入れることになるだろう。それが一般人の扱い方である。

だから先ほど書いたのだ。カラーコピーを三百万だの五百万だのと配ったところで大した意味はないと。まったく無意味だとは言わないが、大した効果は期待できないだろう。

広告で注目すべきは下のほうにさりげなく刷られた次の表記である。

amazon 第1位 2016.7.13 日蓮宗(一般) 関連書籍

繰り返しになるが、実際に何万部売れたかである。いわゆる仏教書の日蓮宗というカテゴリにおいて一位を取ったところで、書籍全体の順位は高が知れているだろう。

さて、いよいよ基礎教学書本体についてである。

基礎教学書 日蓮大聖人の仏法 冨士大石寺顕正会

書体が素晴らしい。格調高い筆跡であり、本の重厚さとよくマッチングしていると思う。

ちなみに、函の背表紙と本書の背表紙はまったく同じ表記であり、同じ書体が使われているが、物凄く印象が異なる。これは当たり前と言えば当たり前のことかもしれない。つまり、函のほうは黒字であり、本体は金文字なのだ。同一表記同一書体でも印象が異なる。これは何かの例に使えるかもしれない。

価格が二千円。これも妥当な額だろう。なかなか凝った装丁なので、それ相応の値段になるのだと思う。

問題は中身である。二千円の価値があるかどうかは読者が決めることで、ツマラナイと思えば損した気分になるし、面白ければ得した気分になる。まあ、これが一般人の一般的な尺度だと思う。中身については次回以降に書きたいと思う。

最後にもう一点、本書の欠点を書いておこう。

立派なご本である。しかし、立派過ぎていけない。携行に向かないのだ。携行ではなく、携帯と書くべきか?

遠距離通勤者の一つのテーマはその時間をどのように過ごすかである。一昔前までは本を読んでいる人が多かったように思う。本・雑誌・新聞などである。しかし、その多くはコンパクトであるとか、あるいは駅のゴミ箱に捨ててしまってもいいような軽い読み物だったはずである。ましてや今はスマホ全盛の時代であり、本を読んでいる人は少ない。それを一言で言ってしまえば便利だからだろう。スマホは便利、逆に本は不便なのだ。

いかがだろう、その意味で基礎教学書はベラボウに不便である。もはや重厚な書物はいらない。邪魔なだけだ。ならば、基礎教学書もスマホで閲覧できるようにすべきだろう。ケチなことは言わず、無料で出すべきだ。

もちろん、それは極論であるが、思えばかつての折伏理論書の装丁がわりと扱いやすくてよかったのではないかと思う。

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