2017/6/12

微々たる影響力  
沖浦氏の一大秘法論は一年前に破折済みである。その一例を紹介しておこう。

http://white.ap.teacup.com/ganko/2215.html

もっともこれは沖浦氏一人の責任ではなく、創価学会首脳部の責任だろう。ようするに近年の教義改変によって、あちこちに矛盾が生じて来ているのだ。迷走しているとも言えるかもしれない。思えば公明党もしかりである。いわば内側から安倍政権の暴走に歯止めを掛ける、それが公明党の役割のはずだろう。しかし、現実にはほとんど何もしていないに等しい。創価学会にしても公明党にしても、いったいどこに向かって進んでいるのか、それが実に不明瞭である。

安倍政権崩壊をこれほど前面に押し出すのは、地震などの自然災害よりも「的中率の高い予言」だからではないでしょうか?

あべしん氏のコメントであるが、的中率の意味ではすでに外してしまっているとわたくしは思う。先日も書いたように、浅井先生は三年前に安倍政権の崩壊を予言していた。三年未満で崩壊すると言っていたのだ。ゆえに予言は外れたのだ。

ただし、多少のズレはあっても本年中くらいに現政権が終われば、当たらずとも遠からずとは言えるのかもしれない。実際、森友問題以降は次々に問題が発覚して、ここに来てようやく国民も安倍政権に対して愛想を尽かし始めたような流れになりつつある。

けれども以前にも書いたように、安倍政権は今の段階でも十分に長期政権なので、仮に今すぐに辞めたとしても別におかしくはないだろう。もちろん、その辞め方が問題になるわけで、本当ならばさまざまの疑惑を完全に払拭し、かつまたアベノミクスの成果などを強調した上で、次の人に禅譲するような格好を取れば、いちおうパフォーマンス的には見事な退き際と言えるだろう。いわば、その辺の着地の仕方が問われているのだと思う。

自然災害よりも的中率が高い・・・

実はこれ、物凄く大事な視点であり、大聖人の御予言にも当てはまる議論なのだと思う。いわゆる三災七難の内の自他の二難は他の五難と大きく性格が異なる。まさに五難は自然災害などにカテゴライズされるものであり、残るところの二難はいわば政治的な問題である。自界叛逆難は国内政治であり、他国侵逼難は国際政治の問題である。

しかし、わたくしの思うに、むしろ的中率の意味では五難よりも二難のほうが遥かに当たらない。それは科学が発達すればするほど、顕著のように思えるところである。

今の気象情報は相当に正確である。科学の進歩によるのだろう。自然科学はもちろん未知の部分もあるけれども、相当の部分が解明されてきて、まさに気象情報などは相当の的中率を誇っているのではないかと思われる。では逆に、人文科学的な範疇に属するであろう政治経済はどうかと考えるに、実はこちらのほうが複雑怪奇であって、誰にもわからない。ゆえに当てるのが難しいのだ。

そんなわけで浅井先生の予言は当たらない。政権崩壊もしかり国家破産もしかりである。ましてや外国が攻めてくることなど、国際情勢に詳しい人でもわからない。最終的にはその国の指導者がゴーサインを出すか否かなのだから、そんなことがわかる人はおるまい。他人の心の中までわかる人はいないのである。

逆に言うと、大聖人の御予言的中の価値はそこにあるわけだ。仮に五難を当てたとしても、自然科学の発達した今日から見れば、甚だ幼稚な当て事のように思えてしまうわけで、大聖人の御予言がそのレベルに過ぎないのであれば、もはや信ずるに値しないだろう。実際はそうではなく、先難たる五難ではなく、後災たる二難を御予言せられ、かつまた的中せられたわけだから、これがどれほど凄いことなのかと改めて思いを深くするところである。

当然ながら、御本仏たる大聖人と、凡夫に過ぎない浅井先生との、歴然たる差である。

確かに安倍首相はどうなるかわかりませんが、浅井会長が自然災害の予言をやめたら、今度は何らかの大災害が起きるかもしれませんね。

イヤミな発言であるが、3.11の例があるので要注意だ。

浅井先生はあの大地震を予言し損なってしまったのである。何度も書いていることだが、当時はネット上で浅井先生の予言癖を批判する人がたくさんいた。大地震の予言を繰り返しているが、まったく当たらないと。それを気にしたものか、浅井先生は一頃、地震に関する予言めいた発言を控えていたフシがあるのだ。幸か不幸か、そのタイミングであの大地震が起きたのだった。実に皮肉な話である。

ところで大沢氏は国立戒壇についての戸田城聖氏の文章を紹介して下さった。

顕正会員は顕正会の書籍に載るその手の文証はよく知っているが、逆に言うと、それ以外の文証は知らない。わたくしもわりと不勉強なほうなので、ご紹介の文証は初めて拝見した。ここでは詳述しないが、もちろん顕正会でもそうした批判は百も承知していて、だからこそ近年は盛んに六千万を云々しているわけである。しかしながら現実が伴っていない。近く達成されるであろう二百万にしても、しょせんは名目上の数字に過ぎないわけだから、まったく話にならないレベルなのである。

ひるがえって、近く安倍政権が崩壊したとしても、だからどうなるわけでもあるまいというのが現実だろう。つまり、顕正会が存在しようがしまいが、いずれは安倍政権も終わるのである。残念ながら影響力の意味では、それ程度の存在でしかないのが顕正会なのだ。

自然災害が起きるか否かを予言するのではなく、如何にして犠牲者の数を極力少なくするかという視点が、何より大切なのではないでしょうか。

もちろんマイケル氏のおっしゃる通りである。顕正会でも災害に備えて、いろいろとやっている。備えあれば憂いなし、ということだ。

当然、政府のやっていることも同じであり、反対の声が多かったのも事実であるが、安保法制なども理念としては国民の生命と財産を守るという大義名分で強行されたわけなのだろう。何事も賛否両論があるのは当然だが、では原発の再稼働はどうかという問題があって、わたくし的には反対を唱えざるを得ないところである。それこそ大事故が起これば取り返しがつかないことになる。これはもう予言とかの問題ではなく、事故は必ず起こるわけであり、その時の被害を考えたら原発はやらないに越したことはないのである。こんな簡単な理屈がなぜわからないのか不思議に思うのだが、いかがだろうか?

今日はこんなところで終わりにしたい。

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