2017/10/10

シリメツレツ  
沖浦氏の今朝のコメントを読んで思うことは、かく言う沖浦氏自身が実は折伏的な生き方を貫いているのではないかということである。これを自己矛盾と言うのだろう。

そう思っていたら、直後にひじょうに厳しいコメントが寄せられた。

・・・正気の沙汰と思えない。自語相違と支離滅裂も甚だしい。

巌虎よ、オマエがいちばん矛盾しているのだ。

こう言われているわけであるが、特に積極的に反論する気分にはならない。なぜならば、しょせん人間なんてものは自己矛盾のカタマリみたいなものだからである。

ただし、それが組織ともなれば、大勢の人を巻き込むことになるわけだから、リーダーには大きな責任が生じてくる。わたくしのようにたった一人であれば、アイツは頭が狂っている、まったくどうしようもないヤツだ、と言われても、それはわたくし一人に対する評価であって、それ以上でもそれ以下でもないわけだが、それが組織であれば話が違ってくる。ゆえにわたくしは顕正会の批判もすれば宗門の批判もするわけである。

しかし、顕正会員から見ると、わたくしは猊下に対しては相当に甘くて、逆に浅井先生に対しては相当に厳しい、と映るようである。

これは顕正会員による浅井先生絶対論の裏返しだと思っていただくしかないだろう。

浅井先生が絶対であるとする根拠はどこにもない。それにもかかわらず、顕正会員たちは先生は絶対だと言う。だったら猊下にも同じ理屈がつけられるだろう。ましてや猊下は唯授一人の血脈相承を受けし御方なのである。この点はとてつもなく大きい。

結局、創価学会もそうだったが顕正会も同様で、これに対抗する有力な方法論が見当たらないので、いわゆる御相承の断絶みたいなことを言い出す始末なのである。

わたくしはこれに大反対である。何をトチ狂っておるものかと思う。

猊下は猊下として奉った上で、己の主義主張を貫けばいいのである。かつて顕正会で細井管長・阿部管長と申し上げていた時分は、まだそうした節度が保たれていたと思う。しかし、後に呼び捨てにするようになってからは、まさにタガが外れてしまったごとくで、もはや後戻りができなくなってしまっているのだ。

この点をぜひともお考えいただきたいものである。

さて、今日も顕正新聞の続きを見ていくが、わたくしのやっていることもようは矛盾の追及である。問題は矛盾の度合いだろう。先ほども書いたように、しょせん人間なんてものは矛盾だらけである。問題はその矛盾が許容範囲なのか、それともどうしようもないほどの深刻なる自己矛盾なのか、である。

以前、語義矛盾として、安倍政権の悪政は必ず裏目に出る、というような文章にツッコミを入れたことがあった。悪政が裏返ったら善政になるのでは、と指摘したのだ。顕正新聞側としては、なるほど、と思ったのか、それ以降の紙面にはその手の表現が消えたのだった。わたくしとしては事前にアゲアシ取りであると断ってはいたわけだが、顕正新聞側としてはこれを真摯に受け取ったわけである。

実はこの問題はけっこう重要なことを教えてくれているのだと思う。

総じて人間は、わりと簡単なミスについては、あっさりと己の非を認めるものなのである。ああ、これは失礼しました。自分のうっかりミスです。
ところがである。重大なミスを犯してしまった時には、一種のフリーズ状態になってしまって、そこで対応が止まってしまうのである。あるいは意固地になって、もしくは逆ギレして、自己正当化を図ろうとする場合もある。
これはもう、誰もが経験上、知っている事象だろうと思う。自分自身がそうなってしまっている場合もあるし、身近にそうした振る舞いをする人物を目の当たりにしている場合もある。

わざわざこういうことを書くことの意味は、自分自身が何か重大なミスをした時に見苦しい行動を取らないようにしたいという、ようは自戒の意味である。

さて、話を戻そう。

 「今の学会員は池田先生を仏様としているから問題ない」

これは第五男子部長の記事に出てくる創価学会員のセリフである。彼は祖母の代からの創価学会員で、現在の年齢が二十歳、そして高校時代は高等部長として三百人の後輩を取りまとめていたそうである。凄い人物だ。

前後の脈絡は省略させていただくが、それにしても上掲のセリフが気になるところである。いわゆる会長本仏論が問題視されたのはけっこう昔のことである。その後、創価学会は会長本仏論を取り下げた。それが近年になって、復活したのだろうか?

 「成仏なんて初めて聞いた…」

これも前後の脈絡は省略する。実は同じページの下段に男子部第八十一隊班長の記事があって、そこには創価学会員のセリフとして次のようなものが紹介されているのである。

「学会に入会して御本尊を頂いたら即、成仏だ」

今日の矛盾はこれである。先ほどの創価学会員は成仏なんて初めて聞いたと言っていた。しかるに今度の創価学会員は上掲のごとく言っているのだ。もっとも前者は二十歳の若者であり、後者は詳細は不明ながらも高齢と思われるので、その世代間のギャップが理由かもしれない。つまり、今の創価学会では成仏を教えていないということになるだろう。

 学会では凡夫と仏様の境界の違いがわからず、「御本尊は自分の姿を映す鏡」などと大慢心の解釈がなされており・・・

沖浦氏が何か言ってきそうなところである。ちなみに、わたくし自身は上掲を大慢心の解釈だとは思っておらず、難信難解の仏法を平易に理解せしむるための一つの表現方法として、アリだと思う。まあ、これについてはまた別の機会にやりたい。

本年五月から自宅拠点をさせて頂いております・・・

わたくしは組織を離れて相当の年月が経つので記憶がアイマイであるが、確か自宅拠点は副長以上でないとできないルールだったはずである。この点、詳しい人がいれば、ぜひともご教示願いたいところである。

トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ