2018/3/24

ユユシキ  
浅井先生の目師再誕説が組織内で流布しているとすれば、ゆゆしき大問題である。ゆえにもしそのような発言をしている幹部がいるのならば、ここで具体的な名前を挙げるべきだろう。もしそれが末端の無名の幹部ならばまだしも、部長クラスの誰かが言っているのだとしたら深刻だ。

それから細井管長と阿部管長の間に授受がないとするのは顕正会側の主張であって、それをそのまま鵜呑みにするのは危険である。ゆえにそうした前提で今の管長から受ける必要性があるのかと問うのは、まさに手前ミソの論理そのものである。

そこで堂々巡りを覚悟で書けば、では浅井先生はいったいどうやって猊座に登るのか、である。

わたくしはここに感動的なシナリオを思い描いても無意味だと思っている。それは単なる夢想に過ぎない。常識的には御当職から譲り受ける以外に、実現性のあるプロセスは存在しないはずである。

この点、確たる反論があれば承るにやぶさかではないが、そうでないのならばあまり出過ぎたことは書かないほうがいいだろう。

それからもう一人、おかしなことを言っている人がいる。

目師の再誕であると自称するのは勝手だが、誰からも認知されないとすればこれほど無意味な話もあるまい。冗談もほどほどにしないといけない。

さて、顕正新聞の続きを見ていこう。

成仏へと導いて下さるお方は、全世界で浅井先生ただお一人・・・

お断りしておくと、これはいわゆる切り文である。しかしながら、凄い発言であることは間違いない。男子部総務の一人である。

次は第十八男子部長だ。

 大聖人様のかかる御振舞いを拝し、浅井先生の仏法・世法ともに一分の過ちも犯さない正々堂々のお姿が重なり・・・

これも凄い発言である。

ところで第四十七女子部長の記事には次のようなくだりがある。

「千葉先陣」と「記念碑建立」のお約束を果たしてまいる・・・

記念碑とは何のことだか忘れたが、あるいは立宗宣言の地に記念碑を建てるつもりなのかもしれない。ただ思うのは、記念碑は建てようと思えばいつでも建てられることである。いわゆる大標識タワーがそうだった。しかし、百万達成記念のタワーは、諸般の事情から取り壊されてしまった。

第二十五婦人部長の記事はわりとタイムリーだ。

 昨日、米株式市場において、過去最大の下げ幅を記録し、日本の株価も大きく下落したというニュースには、慄然といたしました。

誤解のないように書いておくと、当該新聞は二月二十五日号である。つまり、二月初旬に行なわれたであろう集会での登壇である。株価は上がったり下がったりを繰り返すものなので、一時的な落ち込みを云々しても仕方がないだろう。しかしながら、その後の株価の推移は決して芳しいものではなく、昨日あたりはまた一段と値を下げたようであり、あまり明るい展望は描けない。

第九婦人部長も同様のことを書いている。

 ・・・との指導からわずかにして、米国株は歴史的大暴落をし、瞬く間に世界に波及する様相を見るとき、先生のご発言の重さ、それに呼応する諸天の働きを眼前にし、国難五年とはいかに凄いのかと、理屈抜きに迫りました。

出た。諸天の働きである。

引用文の直前について説明しておくと、一月度総幹部会の会長講演では経済事案についてけっこう詳しく説明していた。そこで浅井先生は間もなく大暴落を始める旨の予言をしたのである。それがめずらしく当たった格好であり、登壇者はそれを浅井先生の発言に呼応する諸天の働きだと言っているわけである。

次の第六男子部長の文章については、アゲアシ取りと思われるかもしれないが、いちおう指摘しておきたいと思う。

「現証ほど重いものはない」とのお言葉がずっしりと命に響いては「一切は現証に如かず」の仰せが千鈞の重み身に迫り・・・

本人に悪気はないのだろう。というか、これが問題なのかどうかも微妙なところであり、わたくし自身も悩ましいと思っている。そこであえて修正案を言わせてもらえば、カギカッコのどちらかを削除すべきである。そのほうがスッキリとした明快な文章になるはずだ。

第二十一婦人部長の記事からは次のくだりを紹介しておこう。

 そして広布前夜にただ一度だけ起こる大不祥事が、まさに六十六・六十七代の貫首によって起きたとき・・・

以前、浅井先生は二度だと言っていた。すなわち日精上人の時代にも大不祥事が起こったとの認識である。近年の大不祥事を含めて、七百年間でたった二回だと言っていたのだ。

するとこれは見解を改めたことになるだろうか?

日精上人の問題については、わたくしはまったくの不勉強ゆえに何一つ語れないが、どうやら教義的に相当の問題を含んでいるようである。それを日享上人も指摘されているし、創価学会あたりが盛んに言っていることでもある。ところが近年、日蓮正宗の俊秀が新見解を発表したらしく、それで日精上人への評価が百八十度転換したそうなのである。

こうした経緯を踏まえると、浅井先生はこの新見解を踏襲して日精上人への評価を改めたことになりそうである。

ただし、そうではない可能性もある。

ようするに広宣流布前夜の今、たった一回起こった大不祥事だとしたほうが、顕正会の存在意義を高めることができる。御遺命守護の価値をよりいっそう高めることができる。ぶっちゃけ言えば、浅井武勇伝の宣伝効果を高めることができる。

まさに手前ミソの論理に基づくものなのかもしれないということだ。

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