2019/2/7

ヘントウフノウ  
マイケル氏は障害をお持ちとのことであるが、具体的にはどのようなものなのか、気になるところである。おそらくはあまり詳しくは書きたくないのだろう。これまで膨大なコメントを残されているけれども、障害の具体的な話はまったく出てこない。ゆえに書きたくないのだろうとは思う。ただ、それならば障害のことにはまったく触れなければいいわけで、少しでもそれを匂わせるようなコメントを書いている時点で、もしかしたら逆に他人に聞いてほしいのではないかとも思えるところである。もちろん書く書かないは自由である。

さて、今日も顕正新聞を見ていこう。

 そこに、いよいよ「二〇年代の決戦場」まであと一年。

女子部総務の発言である。わたくしはあと何年というフレーズに敏感で、以前の浅井先生がそれを多用していたことをいつまでも忘れずにいる。あと十有余年と言っていたのはいつ頃のことだろうか?

結局、十年を切ることはなかった。いわゆるカウントダウンされることはなかった。

今回の女子部総務の発言には、いきなり「あと一年」というフレーズが出てくるので、けっこうインパクトがある。十有余年は先が長いけれども、あと一年はあっという間だからだ。問題はそこで何をするかである。

宗門末寺「聞正寺」住職も返答不能
 嘘・はぐらかし・詭弁の果て「罰が出るぞ」と


新潟男子部長の記事に付された見出しである。まず、住職も、と書かれている。ようするに最近の顕正会男子部では宗門末寺に行って住職をやっつけるのが一つのトレンドとなっており、あちこちの末寺の住職が返答不能になっているらしいのだ。そこで今回は聞正寺の住職が返答不能になったと報告しているわけなのである。

罰が出るぞ・・・

住職の発言だそうである。ただし、これはむしろ顕正会のお得意のセリフであって、いわゆる逆縁の者に対しては必ずそれを言い切るようにと指導されているのである。

顕正会の創価学会批判にはさまざまのメニューがあるけれども、創価学会は世間に迎合して罰論を言わなくなった、というのもその一つである。これを逆手に取れば、創価学会はそうかもしれないが宗門は今もしっかりと罰を言い切っていることになるだろう。もっとも詭弁云々とあるように、苦し紛れに罰が出るぞと言っているようでは話にならないわけだが・・・

カネ儲けのためにペットの塔婆まで立てる卑しさに、情けない思いになりました。

今回の記事は先日の男子部総務と違って新潟男子部長自らが寺に乗り込んで行ったらしく、この点は評価できると思う。ゆえに上掲は彼自身の目撃談である。寺に立ち並ぶ塔婆の中に、カタカナ名があった。外国人かと思ったら、そうではなく、ネコの名前だった。

それにしても悩ましい話である。顕正会ではペットの塔婆を否定していることになるわけだが、もっともそれ以前に塔婆供養そのものを廃止してしまったという経緯があるものだから、余計に話がややこしいのだ。ゆえにここは改めて顕正会側の見解を質さないといけない。

ようするに、塔婆は不要である、いわんやペット塔婆をや、というロジックなのか、である。

あるいは中間的な意見として、塔婆は必要である、しかし、それは人間界のことであって畜生界には不要である、という考え方もあるだろう。

他にも考え方があるかもしれないが、ともかく顕正会側の見解を確かめたいものである。

しかし、待っていても答えが返ってくることは期待できない(返答不能)ので話を進めよう。

宗門の伝統からすれば、塔婆供養は肯定されてしかるべきである。問題はペットのそれであるが、わたくしは肯定派である。宗門にしたって何もカネ儲けのためにペットの塔婆供養を奨励しているわけではあるまい。そうではないのだ。むしろ飼い主の愛情がそうした行為を生むわけである。ペットは畜生界の衆生だから云々かんぬんという議論もあるのかもしれないが、愛猫家ないし愛犬家にとっては家族の一員なのである。ゆえにペットのための葬儀もすれば塔婆も立てるのである。

ちなみにわたくし自身は犬も猫も飼っていない。ようは自分の都合で論じているわけではないことを、ここにお断りしておきたいと思う。

細井日達の悪臨終を取り繕う宗門!
 内藤班長の親族は宗門と深い関係


これはヒドイ記事である。発表者は第二十四男子部幹事・第八十隊長であるが、なぜに内藤班長が登壇しないのかである。わたくしは前に言った。内藤班長の母親が自ら発言すべきであると。しかし、おそらくはすでにお亡くなりになっているのだろう。だったらその息子が発表すべきである。しかるに今回は上述の人間が登壇している。いわゆる弁護士的な手法を気取っているのだろうか?

内藤みどり、渡辺まつ子、清水正、高野日深、阿部日顕、柳沢金次郎、柳沢喜惣次

話が込み入っているので大幅に省略するが、詳しく知りたい人は顕正新聞を入手して確認されるといいだろう。上掲は記事中に出てくる登場人物である。内藤班長の親戚筋という意味では最初の内藤みどりだけがそれとわかる。実際、この人物こそが班長の母親であり、くだんの悪臨終云々の証言者とされている。ところがである。その他の人物は名前を眺めているだけでは何が何だかさっぱりわからない。もちろん本文を読めばそれなりには理解できるのだが、全体像はかなり不鮮明である。

実に簡単な話である。ここに列記される人物には一人として細井姓が存在しない。それが答えである。

 内藤班長の親族は宗門と深い関係

再掲である。もうおわかりだろう。すでにしてこの見出し自体がブレているのである。日達上人との関係が問題だったはずなのに、いつの間にか宗門との関係に話がスライドしてしまっている。もちろんそれはそれで重要なことではあるのだが、話はもっとシンプルのはずなのだ。ようは内藤みどりの周辺に細井ナニガシという登場人物が出てくれば話は終わるのである。

 ちなみに、この「大白法」のたばかり文書には、「四十年近く経って細井日達の臨終を『悪臨終』『堕獄の相』などと口汚く罵る様は、人間としての品性を疑うものだ」と、浅井先生に対する悪口を書いておりました。

どこかのサイトに転載されているはずなので、興味のある人は調べてみるといいだろう。この続きが問題である。

 しかしこれ、大聖人様が中国における真言宗の元祖・善無畏三蔵の悪臨終を挙げて
 「人死して後 色の黒きは地獄に堕つとは、一大聖教に定むる所なり」
 と、御在世から数百年も昔の、善無畏三蔵の臨終の様を御書に留めておられることを「品性を疑う」と言っているに等しく・・・


これが顕正会の公式見解だとすると、顕正会もずいぶんレベルを落としたものだと思う。もしかして思慮の浅い人ならばこれで納得するのかもしれないが、こんなデタラメなロジックに騙される人はそう多くはおるまい。

大聖人は臨終の相について善無畏三蔵以外にもたくさんの例示をあそばしているが、ここでは善導和尚の話を紹介しよう。楊柳房という一種のアダ名がある。これは大聖人が創作されたものかそれ以前から存在するものか知らないが、善導和尚を指して楊柳房と呼ぶ。その事情は念仏無間地獄抄に詳しい。思い切り端折ってしまえば、ようは柳の木に縄を掛けて首つり自殺を図ったという話である。次の一節に注目したい。

此の事全く余宗の誹謗に非ず、法華宗の妄語に非ず、善導和尚自筆の類聚伝の文なり云云。

ようするに誹謗ないし妄語であれば品性が疑われて当然なのである。ゆえに大聖人は誹謗でも妄語でもないと断わられているのである。

翻って今回の一件は、顕正会の誹謗ないし妄語であると、そのように見なされても文句が言えなくらいの、ようは不確かな情報を元にしたデタラメ極まる話なのである。大聖人を引き合いに出すこと自体、まったくのお門違いと言わざるを得ないだろう。

この点、顕正会側は大いに反省すべきである。

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