2019/2/16

ギュウギュウヅメ  
顕正新聞第1463号を見ていこう。

第一面は合計十三枚の写真を使って元旦勤行の様子を伝えている。まずは右下の三つの写真について感想を述べたい。本部会館二階の第一集会室で三者それぞれが浅井先生に新年の挨拶をしているのだ。

女子部最強を印象付ける写真である。

三者とは男子部女子部婦人部の三つの組織のことで、それぞれが別々に集合して浅井先生を迎えるような格好である。入れ替わる時間を考えると、けっこう面倒臭いことだが、それはともかく三つの写真を眺めると明らかに違いが存するのだ。

畳の空きスペースを見ると、女子部はギュウギュウヅメ、男子と婦人はそれほどでもない。つまり、人数が違うのだ。

さらに言えば、かつては壮年部が存在した。ゆえに旧の四者体制に戻せば、男子部壮年部はスカスカ状態になる。あるいは単純に男女別にすると、掲載されている男子部の写真はそのままで使える。そして女子部婦人部の連合軍は、想像するだけでも凄いことになる。まさにスシヅメ状態だ。

先生の「年頭ご挨拶」のビデオ放映に感動がたぎる。盛岡会館(右)と秋田会館(左)

左下には二列三段で六つの写真が掲載されている。中段の二つの写真にはご覧のような説明があるわけだが、わたくしには甚だ疑問である。ようするに盛岡会館を左に配置するなり説明文を逆にするなりすれば自然のはずなのである。つまり、そのようにすればわざわざ右とか左などと書く必要はないのだ。それとも何か特別な理由があるのだろうか?

さて、二面から三面には元旦勤行における浅井先生の御挨拶が掲載されている。

 ここに顕正会は自然と、御遺命に背き奉った細井日達・阿部日顕が書写した本尊ではなく・・・

これはウソである。この点はハッキリと言っておかねばならない。

ごく単純に、解散処分直前までは妙縁寺で御授戒を受けていたはずであり、当然、御本尊も妙縁寺経由で授与ないし貸与されていた。ゆえに今となっては希少な存在ではあろうけれども、妙信講員の中にも日達上人御書写の御本尊を頂戴している人がいるわけである。
あるいはそれ以降、おそらくは平成十年ごろまでのことだろうか、創価学会や法華講から移籍してくる人たちは、その多くが日達上人ないし日顕上人の御本尊を携えてやってくるのである。それを顕正会では肯定していたのだ。
ところがここ十年ないし二十年くらいは返納が普通になってしまった。顕正新聞を調べれば一目瞭然である。逆に平成十年以前においては返納云々の記事がほとんど見当たらないと言っても過言ではなく、つまりはこの頃に方向転換したわけである。

自然と・・・

再掲である。浅井先生は解散処分を経て自然とそのようになったかのごとく言っているが、事実は上述のごとくであるからして、これは許し難き変節であり、かつまた歴史の改竄なのである。

 日本は世界で初めて広島・長崎に原爆を投下された国・・・

拙ブログではすでに何十回も指摘していることだが、浅井先生の始めてと初めての使い分けには何か法則性があるのだろうか?

 いよいよ本年、三百万への死身弘法を大きく進め、全員で二〇年代の決戦場に馳せ参じ、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。

締め括りの一節である。そして同時に今回の浅井発言における最大の問題点である。

三百万と決戦場の関係性がわからないのだ。

三百万は数値目標である。その数字を達成するために前進していく。ゆえにいつかは到達できるものだと思う。
決戦場は場所である。そして二十年代を云々してしまっている。ゆえに必ずその時がやってくる。
しかし、決戦場の時期はすぐそこまで迫っているにもかかわらず、三百万のほうは十年以上先のことだと考えられるのだ。まるでわけがわからん話である。

つまりはデタラメなのである。

決戦場云々は顕正会が勝手に言っていることであって、そこが本当に決戦場なのかどうかはわからない。三百万云々にしたって、過去の目標値を調べれば一目瞭然であって、ようは下方修正の繰り返しなのである。ゆえに信用に値しない。

結局のところ、会員の士気を鼓舞するためには当面の目標を掲げないといけない。ゆえに浅井先生としてはその都度、場当たり的に見栄えのいいことを言うしかないのだろう。その繰り返しなのである。

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