2019/6/2

シュウマク  
四月度総幹部会の会長講演は取り上げるべき点が多く、たいへんである。今回は順番を崩して、重要度の高い事案から拾っていきたい。

 しかるに今、平成十六年の講義録を冊子として発刊して、全住職にこれを配布したという。

宗門の顕正会対策本とでも表現すべきものだろうか、二月に発刊された例の本についての情報である。わたくしは驚いた。なぜならば広く一般向けに刊行されたものと思い込んでいたからである。

以前の拙稿で、法華講員たちがこれにまったく言及していないのは内容があまりにもお粗末だからではなか、というような意味を書いた。しかし、上掲の浅井発言が事実ならば、わたくしの想像は間違っていたことになる。ようするに法華講員の多くはその存在すら知らないのだ。ゆえに言及しようにも言及できない、当たり前の話である。

また、もう一つの意味でも驚いたと言えるだろう。

浅井先生がなぜにその情報を知っていたのか、どこから仕入れた情報なのか、というような疑問が生じてくる。住職だけに配布した冊子なのである。それをなぜに浅井先生が知っているのかである。

普通に考えれば住職レベルの人間が情報を流したわけなのだろう。早い話が顕正会と内通している宗門僧侶が存在すると考えられるのだ。

そして次の浅井発言は長いけれども重要なので煩を厭わず引用する。

 もし宗門の全住職が、この十五年前の講義録に与同して「国立戒壇」を否定するのであれば、私は全教学委員に命じて、それらの住職の一人ひとりと、決着がつくまで何度でも論判させる。
 これこそ正系門家に御遺命の正義が蘇る無二の好機、大聖人様がこの機会を与えて下さったものと、私は拝しております。


くだんの冊子が裏目に出てしまったことになるだろうか?

浅井先生に宗門攻撃の口実を与えてしまったことになるからだ。冊子を出さなければこうはならなかった。冊子を出したことがいわば宣戦布告となり、開戦のキッカケとなってしまったのだ。

そして本年の前半戦だけを見ても、顕正会の活動報告においては宗門末寺の話題が絶えない。〇〇寺の住職が逃げただの、完全逃避だの、無道心がどうのこうのだの、相手から見れば甚だ不名誉な文字がたくさん躍っている。中盤ないし後半戦もこのまま行きそうである。

 前年の平成十六年三月に、自ら宗規を「法主は、遷化又は自らの意志による以外はその地位を退くことはない」と改訂して「終身法主」となったにもかかわらず、この「大扉開かず」の大現証を目にして、怖畏し猊座を退いたのであります。

この浅井発言は悩乱しているとしか言い様がない。何しろ宗規を掲げておきながら、それがまったく読めていないことを自ら暴露しているからである。

自らの意志による・・・

ちゃんと明記されているごとく、日顕上人はこの宗規に基づいて退座されたのである。

逆にいつも言っているように、顕正会における会長職のほうが問題だろう。終身会長である浅井先生こそ、顕正会の将来を見据えてしっかりと布石を打っておく必要がある。しかし、もはや手遅れというか、広宣流布のゴールを云々してしまっていることが軌道修正を不可能にしているという根本的な問題があって、おそらくはどうにもならないのだろう。

この登座も、二人が示し合わせたうえであったことは間違いない。

この見方も皮相的である。池田大作氏が宗門史上において有数の実力者だったことは事実だろう。有数と書いたが最高と書いてもいいかもしれない。ただし、あくまで在家信徒の立場においてである。ゆえに日達上人との有形無形の攻防においては最終的に会長辞任にまで追い込まれてしまった。かくも法主の権威は絶大なのである。ならば日達上人から相承を受けられた日顕上人もしかりである。なぜに池田氏と示し合わせる必要があるだろうか?

むしろ話は逆である。池田氏は猊下に背くとロクなことにならないことを肌身に感じていた。ゆえに日顕上人の御登座を知り、どこまでも猊下に信伏随従することを誓ったのである。このことは不勉強のわたくしであっても、当時の創価学会系の書籍に明らかであることを承知しているくらいなので、周知の事実と言えるだろう。

その上で余計なことを言えば、池田氏は在家信徒としては最高の実力者だった。けれども正信会系の僧侶たちの画策で会長辞任に追い込まれた。これを恨みに思っていたことは明らかだろう。ゆえに日顕上人への信伏随従をよりいっそう強調したという意味もあった。結果として正信会系の僧侶を排斥することに成功した。これは単に在家信徒の実力者だから可能だったという話ではなく、積年の恨みを晴らすべく用意周到に事を進めて行ったからである。それはそうだろう、傍若無人が許されるわけがないのだ。繰り返しになるが、池田氏はそれで痛いしっぺ返しを受けているのである。気に食わないからクビにしろみたいな前時代的なことが、いつまでも通用するわけがないのである。

 よって以後、私は一切の敬称を用いず「細井日達」と呼ぶことにした。

歴史修正主義の典型である。今回の発言が正しいとするならば、昭和五十年七月七日以後ということになる。厳密には日達上人の御発言を知って以後ということになるわけだが、控えめに言っても昭和五十一年以降の浅井発言はすべて「細井日達」となっていなければおかしいことになる。

ところがである。おそらくは現役の顕正会員たちも承知しているように、浅井先生はその後も長いこと細井管長と言っていたのである。つまり、上掲は真っ赤なウソということになる。

さて、どうしたものだろうか?

顕正会には優秀な弁護士が二名もいるわけだが、彼らはこれに対してどのように説明するつもりなのか、そこがひじょうに気になるところである。法律のプロがどのように言おうが、世間の一般常識からすればウソを言っていることは動かない。わたくしはそう思うのだが、いかがだろうか?

 御遺命破壊の謀りも
   いよいよ最終章に


昭和三十九年を起算とすると、五十五年になるらしい。そこでようやく最終章を迎えたと言っているわけである。

ただし、これもじゃっかんの歴史修正主義を感じさせるところであり、いわゆる平成十年の御遺命守護完結をどのように整理するかが問われることになる。何しろ当時は不思議の還御を第一の不思議と言い、第二の不思議を見させていただこうと言っていたからである。すなわち広宣流布の実現である。

もちろん長い間にはいろいろなことがある。ゆえに途中のそうした細々としたことをあげつらっても仕方がないし、それこそアゲアシ取りに過ぎないということになるだろう。とは言うものの、御遺命守護完結は別格である。今の顕正会員は知らないかもしれないが、それまでは経本に御遺命守護完結を祈念する文言が載っていたくらいなのだ。

ともかく浅井先生はこうした歴史的事実を覆い隠して、最終章がどうのこうのと言っているわけである。

 このときすでに彼は細井日達を籠絡して、「これから作る正本堂を、ぜひ御遺命の戒壇と承認してほしい」と、前もって約束を取り付けていたものと思われる。

思われる?

思うのは勝手であるが、証拠がなければ話にならないだろう。今まさに最終章を迎えようとしているのならば、それこそ証拠を示すべきである。ここで証拠が出てくれば、まさしく文字通りの最終章であり、顕正会にとっては感動的な終幕を迎えることになるだろう。

逆にである。証拠がないとすると、すべては浅井先生の思い込みだけで構成された壮大なるフィクションだった、ということにもなりかねないのだ。

浅井先生は御遺命守護関係の書籍をたくさん出している。それ自体は悪いことではないが、細かく読んでいくと必ず自語相違が見つかる。自語相違は言い過ぎにしても、毎回毎回、少しずつ表現を変えたりして、本人的には工夫を凝らしていることが、逆に意図的作為的にも思えたりするのである。この点を弁護士の二名を含めて顕正会の大幹部たちでもっと研究すべきと思う。その上で御遺命守護の決定版を完成させるのだ。

以上、最後は二通りの可能性を書いた。早い話がフィクションかノンフィクションかの二択である。結論を言えば、どうやら浅井先生には無理なのである。自分で自分の歴史を総括することはできない。ゆえに後継者たちがそれをやらないといけないのだ。

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