2020/1/24

コウミョウ  
開眼の要不要については専門外ということで言及を控えたい。わたくしの知るところでは法華講の樋田氏が得意としている分野のようなので、そちらに問い合わせるといいかもしれない。

さて、今日も顕正新聞をざっと眺めてみたい。

また今後、正信会・宗門からも続々と有羞の僧が出現し、僧俗一体になって国立戒壇建立に戦う正系門家になる日が間もなく事実になることを思えば・・・

副総合婦人部長である。前回の拙稿で述べたように、浅井先生は偉くなり過ぎちゃった。ゆえに僧俗一体はひじょうに実現しづらい状況なのである。この点が彼女はわかっていないようである。

 「広宣流布の時、光明を放つべし」
 との仰せは、大聖人様が日興上人に仰せあそばされた御金言であることに・・・


引用範囲が狭くて恐縮だが、副総合女子部長の発言である。上掲を素直に読むと、カギカッコは日興上人に宛てた御書のようである。しかし、わたくしの知る限り、御書のどこにもそのような文言は見当たらない。

明年から始まる御遺命成就完結の戦い・・・

凄い表現力だ。成就と完結はかなり重複的に思える。それよりも何よりも御遺命守護の完結はどうなったのか、そこが問題だろう。いちおう最終章を迎えたことになっているものの、大団円を迎えたわけではない。この点が彼女はわかっていないようである。

「偽戒壇・正本堂こそ御遺命の戒壇」との悪言が・・・

女子部第二総部長である。カギカッコということは、誰かの発言なのだろう。しかし、この発言者は頭のおかしな人である。ようするに当時の創価学会や宗門の人間が偽戒壇などと言うはずがないのである。つまり、これは顕正会員の発言なのである。ところがカギカッコの外には悪言とある。偽戒壇を悪言が打ち消している。早い話、構文が支離滅裂である。この点が彼女はわかっていないようである。

啓正寺住職藤本値道「法主絶対論」振りかざす
 「猊下は大聖人と同じだよ」と放言


副総男子部長の活動報告である。興味深い見出しであるが、その前に同席した六名の法華講員のことを書いておこう。本文には次のようなくだりがある。

 あとでわかったことですが、「法華講員」と称した者たちの大半は実は妙観講員であり、ここでも「寄生虫」の謀略体質を眼前にしました。

顕正会がどれほど妙観講に怯えているかを示す文章である。妙観講は法華講の一組織であるから広くは法華講員と称して何の問題もない。それを謀略と感じるところが過剰なのである。

私が「大聖人様と猊下、どちらが上なんだ」と諫めると、なんと藤本は「同じだよ」ととんでもないことを言い出したのです。

わたくしは逆に顕正会員に問いたい。大聖人と浅井先生、どちらが上なんだ、と。浅井先生に決まっているだろ! と顕正会員なら言い出しかねない。何しろ大聖人は師子吼で浅井先生は大師子吼なのだから、その可能性は否定できない。この点が彼はわかっていないようである。

 「いい話ですね。自分も三十数年前に、『妙信講』という団体から宗教の話をされたが、断わってしまった。忘れたことはありません」

婦人部武蔵野支区部長(首都圏)の活動報告に出てくる話である。妙信講から顕正会に名前を変えて四十年弱だろうか? ならばギリギリでツジツマが合っていることにはなるだろう。しかし、忘れたことはない? 本当だろうか?

疑って恐縮だが、もしそれが本当ならば平成九年ないし平成十六年の一国諫暁で入信してもおかしくはなかった。逆に言うと、その二回の一国諫暁はショボかった。ゆえにくだんの人物には届かなかった。この点が彼女はわかっていないようである。

恵妙寺法華講員「御遺命より塔婆供養が大事」
 御遺命破壊・音声捏造を糾弾、回答不能に


男子部第二十六隊支隊長(栃木)の登壇にも興味深い見出しが付いている。その前に本文中から別の部分を引用しよう。

 「諸天が阿部日顕との別れを悲しんでいる現象」

いつも言っているようにカギカッコはセリフである。彼はこれを法華講員のメールだと言っているわけだが、まさか法華講員が阿部日顕とは書かないだろう。その意味では捏造に等しい行為をしていることになるのだ。この点が彼はわかっていないようである。

さて、くだんの見出しについてである。本文中にも法華講員のセリフとして、御遺命より塔婆供養が大事、とある。それに対する彼の反論が以下である。

 そこで
 「熱原の法華講衆は塔婆供養をしなくとも、大聖人様に一度もお目通り叶わずとも、恋慕渇仰・不惜身命の信心に住し、戒壇の大御本尊様の願主となられた。これでも塔婆供養が最大事と言い切れるのか」と追及・・・

わたくしは素朴に思った。あれ? 熱原の方々が塔婆供養をしなかった云々は何を根拠に言っているのだろう?

もちろん、した、とも断定できないし、しない、とも断定できない。しかるに彼はしなかったと言い切っている。顕正会員は御書を読まないので知らないのかもしれないが、少なくとも大聖人の時代にはすでに塔婆供養が行なわれていたのである。ゆえに熱原の方々も塔婆供養をしていた可能性は否定できない。この点が彼はわかっていないようである。

男子部第百六十三隊支隊副長(栃木)は父親の臨終について発表している。

 斎場から帰宅する車中、空にはくっきりと大きく綺麗な虹が輝き、七歳の息子が「じぃは、あの虹をわたって大聖人様の処に行ったんだ!」と言ったことに・・・

先ほどの記事では、諸天が日顕上人との別れを悲しんでいる現象、というくだりがあった。これに対して登壇者は、失笑を禁じ得ない、などとバカにしていた。では上掲はどうなのだろうか?

たぶん一般人の感覚では、七歳のお孫さんがそのように言うのは可愛らしい、大のオトナが言うのはちょっとどうかと思う、という感じのはずである。しかし、顕正会員の感覚はそれとは異なるのだ。ぶっちゃけ言えば、顕正会では成仏できるが宗門では無理、という理屈なのである。ハタから見ればテマエミソも甚だしい。この点が顕正会員たちはわかっていないようである。

 しかし顕正会には上限があり、浅井先生自ら参加されている・・・

これは婦人部籠原支区(首都圏)の記事である。登壇者は現在八十四歳になるそうだが、統一教会に騙されて億単位の献金をしたという。ようはお金持ちなのだろう。それはさておき、上掲が悩ましい。上限があることは画期的なのかもしれないが、浅井先生自ら参加がイヤらしくも感じられるのである。この点、登壇者本人ではなく、この話を吹聴している幹部たちに言いたい。ある時期までは美談として通用していたとしても、今はまったく通用しないどころか逆にウサン臭く感じられる。この点が幹部たちはわかっていないようである。

 令和二年度の元旦勤行・・・

まったくわけのわからない表記である。通常、四月を新年度とし、三月を年度末とする。その意味からすると、二年度はまだ始まっていないことになるのだ。わたくしならば、令和初の元旦勤行、と表記するだろう。昨年の元旦はまだ令和ではなく平成だったからである。この点が編集部はわかっていないようである。

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