2020/5/21

メンシキ  
ハラダ氏より引き続きご質問を頂戴しているが、前回も書いたようにわたくしは内部事情に詳しいわけではない。ゆえに大したことは書けないのである。

顕正寺は消滅した。わかっていることは、建て替えが行なわれたのだが、その時に発展的解消と表現すれば聞こえはいいものの、早い話がドサクサに紛れて消滅させてしまった、ということである。
松本師は早くに亡くなったのでまったく存じ上げない。八木師もいつの間にか宗門に戻っており、存じ上げない。村松師はいちおう面識がある。
ところが上述のごとく、顕正寺を取り壊して典礼院なるものを建てた。実質、僧侶不要の方向性を打ち出したわけである。村松師は居場所を失った。

 結局のところ御遺命守護完結≠ニした後、昭衛氏は顕正寺を取り壊し、平成十五年五月に住職不在の「冨士大石寺顕正会典礼院」に建て替えた。村松師は、顕正会の本部職員(儀礼室執行員)として雇用されていたが、いたたまれずして退職を余儀なくされた。

これは名著『迷走する顕正会を斬る』の記述であるが、わたくし自身はこれ以上の情報を持ち得ていない。上掲にしても、具体的にはどのタイミングで退職したのか不明であり、この点は著者もしくは村松師本人に聞かない限り、わからないことである。まさか顕正会側が好んで情報を発信することはあり得ないからだ。

いずれにしても葬儀法要は教団幹部職員が執り行なっている。

墓地墓石についてはもともとお墓のある人はそれを利用する場合もあると思う。それ以外の人たちは典礼院への納骨を希望する場合がほとんどだろう。塔婆供養はまったくやっていない。いちおう春秋の彼岸会は行なっている。

以上、わたくしの知っている範囲で書かせていただいた。本来ならば現役の活動会員の証言が待たれるところだし、もしくはわりと最近まで顕正会の中にいた人たちが証言すれば信憑性が高いだろう。

さて、沖浦氏である。

八風について御書を引用しているが、それがあまりにも唐突過ぎて何を言いたいのかわからない。むしろその一つ前のコメントを読むと、沖浦氏自身が八風に冒されているのではないかと思えてくる。

 降りてからそのスタッフが確かめたら、上村愛子さんでした。

誰が読んでも自慢話に聞こえるからである。

 あまり知られていませんが、釈迦は僧侶が葬儀を行う事を禁止していました。

ところでこれは何を根拠に言っているのだろうか?

 現在の日本でも南都六宗は葬儀を行いません。
 それらの宗派の信徒の方々は葬儀が必要な時は他宗の僧侶を呼んでいます。


これはいつだったかリンクを貼っていたところの情報である。

不勉強を承知で言わせていただくと、奈良の古くからある寺は観光寺院として存続しているだけであって葬儀をするだけの余力がない、それが答えのような気がするのだ。実際、わたくしの居住地域には律宗の寺院が存在しない。グーグルマップで調べても出てこないのだ。当然ながら日蓮正宗はたくさん出てくる。天台宗や真言宗も出てくる。

こうして見ると、上掲はかなりアヤシゲな話であり、インチキなロジックのように思える。

例えばわたくしが日蓮正宗の総本山に葬儀をお願いしたとしよう。どのような対応をするか興味深いところだが、とりあえずは最寄りの日蓮正宗寺院を紹介してくれるのではないかと思う。もしくは信者以外の葬儀はやらないと断わられるかもしれない。
信者以外はやらない云々は日蓮正宗ならではという感じがする。他宗他門であればお布施がもらえるならばと喜んで引き受けるだろう。今は葬儀が簡略化されつつある時代なので、お坊さんたちにしてみれば檀家だろうと飛び込みだろうと関係なく引き受けるはずなのだ。
話を戻して、では観光寺院はどうかである。観光で潤っていることもあって、葬儀での収入を当てにする必要がない。また、現状では末寺のネットワークが存在しない。こうなれば必然的に葬儀の依頼は受けられないだろう。

もし上述のことが事実であれば、沖浦氏の言っていることは完全なるデタラメということになるだろう。

 700年に72歳で没した際、遺命により日本で初めて火葬に付された。その記録も現存している(『続日本紀』)。

法相宗の道昭についてである。

 火葬はこの方が最初で証拠があるようです。
 葬儀の形は大聖人の時代と現在は全く別でしょう。
 ですから、今後も変化があって当然です。
 宗門の如く僧侶を呼ばないからとか、戒名がとか、塔婆にこだわる必要はありません。


今後も変化があって当然、という意見にはおおむね賛成するが、自分たちを正当化するために言うのはどうかと思う。わたくしの思うに、時代の変化には抗えないわけで、例えばゆくゆくはガラケーが全面廃止になるかもしれない。つまり、もしそうなってしまったら、いくらガラケーにコダワリを持っていようと、どうしようもないのである。今こうして書いていてさすがに適切な例とは思えないものの、ともかく変化を余儀なくされることはあり得るだろう。とは言え、わざわざ変える必要がないのであれば、そのまま続けるのが普通である。

さて、いよいよ顕正新聞第1505号の話題であるが、今日はもうやめておこう。

トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ