2020/5/22

ハップウ  
沖浦氏に八風のことで言っておきたいことがある。

 別に自慢ではなく、私にとっては普通の事です。

これがダメなのだ。自分にとって普通かどうかではなく、世間一般にとって普通かどうかが問われているのである。つまり、これを言ったら世間から顰蹙を買うだろうと思って、言葉を慎むことがまさに賢人の振る舞いなのである。もちろんあえて顰蹙を覚悟で発言する場合もあるだろう。しかし、多くの場合は知らず知らずのうちに顰蹙を買っているものなのだ。それが凡夫の常である。

「大聖人の御眼を恐れよ」特集号

三月度総幹部会を報ずる四月五日号には、ご覧のような名称が付されている。近年は特集号に名称を付けるのが通例になっているわけだが、何となくマンネリ化しているような印象が拭えない。

それはさておき本題に入ろう。

第一面の様子を見ると、あれ? これが総幹部会? と思うことになる。なぜならば本部会館で行なわれているからだ。従来は大会場を借りて行なうのが常だった。しかし、おそらくは貸してもらえなかったのだろう。あるいは最初から本部会館でやるつもりだったのだろうか?

当然ながらコロナ問題で日本中が自粛ムードに覆われていた。総幹部会が行なわれた三月二十六日時点ではまだ緊急事態宣言が出されてはいなかったものの、かなり緊迫した状況になっていた。

掲載写真を見ると、かなり間隔を空けて座っている。ただし、マスクを着用している人はかなり少ない。この点、まだ認識が甘かったのかもしれない。

・・・ひたすら「国立戒壇」への糾弾を恐れて逃げた住職の醜態を報告した。

一面で気になったのはこれである。少し言い回しが不自然に思える。

コロナが去るまで
 本部会館で総幹部会


さて、会長講演である。ご覧のようにコロナ問題が解決するまで総幹部会を本部で行なうと言っているわけだが、具体的にはどのタイミングで切り替えるのか、そこが問題である。上述したように今は会場を貸してもらえない。しかし、今月中には緊急事態宣言が全面的に解除になる見通しである。すると六月末の総幹部会は再び大宮ソニックシティを借りて行えることになるのかもしれない。問題はそうした行政の指針に則るのか、あるいは顕正会独自の判断を下すのかである。

本部会館の大御本尊様の御前で・・・

法華講員からツッコミが入れられていた。大御本尊は戒壇の大御本尊にのみ用いるべき云々と。わたくしはその辺の事情に詳しくないが、ともかく顕正会は大が好きなのである。大確信だとか大感動だとか、きわめつけは大師子吼である。

だから安全なのは南極大陸のシロクマだけ(爆笑)。

ようするに新型コロナが地球上に蔓延してしまって、安全なのは南極だけだと言いたいわけである。もちろん冗談を言っているわけなのだろうが、そもそもシロクマは北極の生き物ではなかったかと思う。確か学名がホッキョクグマだったはずなのだ。

 「都市閉鎖もあり得る」

いわゆるロックダウンについてである。これも既述のごとく、すでにこの時点でかなり緊迫した状況になっていたことを示すものであり、ご存知のごとく四月に入って間もなく緊急事態宣言が発令された。これは諸外国のロックダウンとは少し性質の異なるもののようだが、広い意味ではほぼ同じと考えていいだろう。

世界大恐慌以来の株価大暴落

経済オンチのわたくしには実感が薄い話ではあるのだが、少し不思議に思っていたことがある。日経平均を見ていると、一度はガクッと下がった株価が少し持ち直して、一万九千円台で踏ん張っている状況が続いていたのだ。しかもこのところは二万円台まで回復している。

 黒田東彦・日銀総裁の国会における証言によれば、日経平均1万9千500円が損益分岐点だそうです。

なるほど、いわゆるアベノミクスの手法が今も継続的に行なわれているわけなのだ。日銀が株価の暴落を抑え込んでいる。

 まもなく財政破綻・国家破産が必ず起こる。

浅井先生の持論である。この点、近年は異なる経済理論を唱える人が増えているようだが、先生はそれに対して具体的な反論をしていない。ただひたすら持論を言い続けているだけである。かなり難解な議論になるだろうことは予想されるものの、一度は経済問題についての特集号を出すべきではないかと提案しておきたい。

四人ともに落馬して・・・

これは熱原法難についてである。かつて浅井先生は三位房の死を落馬ではないと言っていたはずであるが、見解が変わったのだろうか?

さらに「数日後に御虫払法要があるから、そのときの説法で必ず言います」
 とまで約束してくれた。


これは昨年あたりにも取り上げた事案である。わたくしの記憶が確かならば、かつての御遺命守護の著作にはまったく出てこない話なのである。ゆえに浅井先生の作り話ではないかと思うのだが、いかがだろうか?

 「責任役員会」の議決で
   国立戒壇を否定せしむ


これがまた問題である。ここに「せしむ」とある。ようするに池田大作氏がせしめたと、浅井先生は言っているわけである。その証拠はどこにあるのだろうか?

 「国立戒壇否定」を機関決定で取り消せ

これは浅井先生の立場としては至極当然の要求なのかもしれない。ようするに昭和四十五年の決定を覆すためには今現在の責任役員会のメンバーが同じ手続きを踏むべきであると。

それはそれとして周知徹底の意味では宗門機関紙であるとかホームページなどを使って内外に宣言する必要がある。

まあ、しかし、今現在の状況を考えると実現は難しいだろう。

顕正新聞には日蓮正宗責任役員会議事録の写真が載っていて、そこにはかなり長い説明が綴られている。ここでは一部分を抜粋しよう。

「第一号案」には「本宗教義の本質より鑑み」とあって、放棄したのは、単に名称だけではなく「国立戒壇」そのものであることを示している。

わたくしはここにじゃっかんのゴリ押しを感じるのだ。

宗門は国立戒壇を放棄したのであって本門戒壇は捨てていない。結局、上掲の国立戒壇そのものという表現がすでにして国立戒壇の名称に拘泥していることを示すものであって、本門戒壇そのものとは書けなかった点が浅井先生の限界を物語っているのだと思う。

正直なところ、日達上人の御指南にもブレがあって、細かく言えばツッコミどころがたくさんあるのは事実だと思う。それが今現在の宗門に影響を残しているのも、これまた事実だろう。ただし、細かいことを言ったらキリがないのだ。大枠で捉える必要がある。すると宗門が捨てたのは国立戒壇の名称だけであって、それ以外には何も捨てていないのである。

以上、浅井先生の要求が通らない理由はかくのごとしである。

繰り返しになるが書いておこう。浅井先生の要求は早い話が宗門に国立戒壇を言わせようとしているのである。国立戒壇を言わさないと気が済まない。それが浅井先生なのだ。もしそれが事実だとすると、あまりにも子供じみているのではないかと思う。

この点、顕正会の首脳部はよく考えるべきだろう。

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