2021/3/6

ヘンイシュ  
顕正新聞第1534号を読んでいく。本号は一月度総幹部会の特集号であり、近年は名称を付すのが慣例となっている。

「総罰」特集号

一面で目を惹くのは女子部の体制である。なんと二つのグループに分割したのだ。当然、決定権は浅井先生にあるのだろう。しかし、女子部の事情は女子部の人たちがいちばんわかっているはずなので、先生が勝手に決めたとは思えない。この辺のプロセスが気になる。例えば女子部の最高幹部たちが話し合ってそのような方向性での決済を先生に仰いだとか、そういう具体的な話があれば興味深いところだが、残念ながらわたくしにはそうした情報源がまったく存在しないので真相はわからない。

聖人をあだめば総罰一国にわたる。又四天下、又六欲・四禅にわたる。

では二面から始まる会長講演を取り上げよう。ご覧の御書の続きは次のごとくである。

賢人をあだめば但敵人等なり。

わたくしは相変わらずの不勉強で、当該御文についてよくわかっていなかった。いわゆる所対によって罪の軽重があることを御指南あそばしているわけなのだろう。総罰特集号と銘打ったのも頷けるところではある。

しかし、それが現代にも当てはまるかどうかは甚だ疑問である。浅井先生の主張はここに特異性があるわけで、熱心な活動会員以外の人たちには理解し難い話である。

御遺命破壊の元凶、学会第3代会長・池田大作

めずらしい写真が使われている。まだ若い時期の日焼けしていて健康そうな姿が印象的であり、一般人の目にはなかなかの好男子に見えるのではないかと思う。

御遺命の「国立戒壇」を否定するために建てた偽戒壇・正本堂

この写真も初めてかもしれない。これまた一般人の感覚からすれば、何だかわからないけど凄い、と思うはずである。

これらは誰の判断で掲載されたのだろうか?

変異種

新型コロナの話題である。わたくしの記憶が確かであれば、最初の頃は報道各社も変異種と言っていた。しかし、途中からは変異株となって、今ではそれでほぼ統一されている。総幹部会が行なわれた一月二十三日時点でも、すでに後者が主流になっていたと思う。

それはともかく日本にもようやくワクチンが入ってきた。ところが浅井先生のみならず識者の多くが変異株の登場によってワクチンが効かなくなる可能性に言及している。するとコロナはいったいいつになったら終息するのか、まったく先が見えない状態である。

 二・三・四月法戦の目標は、少なく抑えました。

総幹部会特集号は一般人にも広く配布するつもりなのだろう。だとすると、ご覧のような発言はよろしくない。外部の人からすれば、いかにもノルマっぽいからである。
また、活動会員の立場から考えてもどうかと思うところで、すでに活動に行き詰っている人にとっては何の救いにもならない。何しろこの浅井発言を受けて、大幹部たちの多くが二月達成を云々しているからである。
つまり、外部的にも内部的にもプラス要素のない発言なのである。先生にその自覚がないところが恐ろしい。

ラップトップ

ディープ・ステート


アメリカの大統領選挙にまつわる話題である。わたくしも他人のことを言えた義理ではないが、浅井先生がカタカナ語に堪能だとは思えない。今回の話も全体としてはよくまとまっているとは思うものの、部分的にはニワカジコミの情報を書き連ねているような印象が拭えない。

 国の借金はいずれは国民が背負うことになる。まもなくハイパーインフレと重税に押し潰される国民の苦しさは、どれほどのものになるか。

まもなく、が気になる。浅井先生が言うと外れることが多いから、逆に先生のお陰で安定が保たれているのかもしれない。

 学会はまもなく音を立てて崩壊する。

これまた浅井先生のお陰で崩壊しないかもしれない。

イヤミはともかく、週刊ダイヤモンドが創価学会についての特集記事を出した。九大危機とのことだが、先生はその中から二つを取り上げている。

学会員の離反 集票マシーンの劣化

創価学会員は執行部に不信を懐き始めている。この点は今に始まったことではなく、過去にも離反者がたくさん出ている。ただ今はそれがよりいっそう顕著になってきたのかもしれない。

集票マシーンの劣化が注目である。ダイヤモンドでは具体的な数字を書いている。ようするに本年必ず行なわれる衆院選での得票数について、六百万を割るかもしれないと予測しているのだ。

時の天皇を弑し奉る・・・

不勉強のわたくしには馴染みのない表現である。これが初出なのか、以前の刊行物にも同様の表現があるのか、まったく思い出せない。

 大聖人様が広宣流布をあそばすその最終段階に御奉公が叶うとは・・・

これは浅井先生の持論であり、発言そのものに矛盾はない。しかし、わたくしの印象はひじょうに悪い。なぜならば最終段階を云々しているのは先生なのであって大聖人ではないからである。それでいて広宣流布は大聖人があそばすものだと言っているのは、何となく大聖人に責任転嫁しているように思えてしまうのである。

そんなのはオマエの勝手な印象に過ぎない、と思う人もいるかもしれない。では、次の発言はどうだろうか?

 私は前々から「20年代こそ広宣流布の決戦場」と思い定めておりましたが・・・

前々からと言っているものの、短期的にはそうでも長期的には違うだろう。つまり、もっと前には違うことを言っていた。けっこう凄いことを言っていたのだが、ぜんぶ反古になってしまった。その責任はどうするのかである。

これらのことを勘案すると、最終的には大聖人に責任をおっ被せて、それでオシマイにするつもりなのだろう。

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