2021/3/17

ブネン  
コメント欄が沖浦氏の独壇場と化している。氏が一人で大量に書き込んでいる。細かい内容については一々指摘しないが、いくつか大まかに書いておきたい。

 本迹は凄く大切な概念です。
 何方が大切か?
 端的に言うならこういう事です。
 別の言い方をするなら、目的と手段です。
 目的が本、手段が迹。
 これだけ理解していれば良いのです。


これは違うだろう。少なくともそれを言いたいのであれば、具体的な文証を提示すべきである。

不日に豊歳ならむと申せしかば、聞く人毎に舌を振い耳を塞ぐ。

またしてもやりおった、と思ったが、全集を確認したらおおむね合っていた。

不日に豊年ならむ・・・

立正安国論での御指南を繰り返されているわけである。年を歳と表現することはよくあることだけれども、この場合はどのように考えるべきなのか悩ましい。

わたくしはブネンと読んでいた。おそらく御会式などで奉読されるはずなので、御僧侶がどのように読んでいるか法華講員ならばご存知だろう。普通に読めばホウネンかもしれないが、いずれにしても豊歳の場合は読みようがない。ゆえになぜそのような表記になっているのかが疑問である。ちなみに平成新編では上掲のごとくだが、細かいことを指摘すると、安国論では次のようになっている。

不日に豊年ならん・・・

気がつくと、ゴチャゴチャと書いている。話が長くなっていけない。

 以下本因妙抄の偽書の部分です。

しかし、大事なところなので書いておくと、上掲は今朝の沖浦氏である。ところが一日前には次のように書いているのだ。

 本因妙抄も百六箇抄も、おそらく後世の作だと思っております。

言っていることがコロコロ変わる人である。前日にはあたかも全文が偽書であるかのように言っていたものを、今度は部分的に偽書だと言っているごとくである。どっちなんだよ、と言いたい。もっとも善意に読めば、おそらく全文が偽書であるが、少なく見積もってもすでに現時点で偽書と確定している部分がある、と言いたいのだと思われる。

いつも言っているようにわたくしは真偽論には立ち入らない。ただヘソマガリなことを言えば、大聖人だからこそ豊年を豊歳と書けるのだ。偽作者ならばそっくりそのまま書くだろう。ことに大聖人は重複を嫌って表現を変えるタイプなので、豊歳も決しておかしなことではないのである。

さて、顕正新聞である。

教学部四級試験問題を眺めていて思うのは、受験生がウンザリしそうだ、ということである。結局、登用試験から始まって、五級試験も四級試験もそれほど違わないからである。これは完全にダメだと思う。かつて四級は立正安国論が教材だった。教材は不適切な表現かもしれないが、さらに三級は開目抄だとか撰時抄など、二級は本尊抄といった具合に、いわばメニューが違ったのである。このほうがモチベーションの維持にもなるだろうし、大聖人の仏法がどれだけ奥深いものかを実感できるはずである。

ちなみに今回の出題であえてアゲアシを取るならば、次のくだりが最適である。

 いま顕正会を怨嫉する法華講員の者たちが・・・

怖ろしいもので、このようなヘンな言い回しがまかり通ってしまっている。わたくしも偉そうなことは言えないのだが、上掲はいかにもヘンである。

修正案としては次の二通りくらいが妥当だろうか?

法華講の者たちが・・・

法華講員らが・・・


さらに問題なのが合格者一覧である。

第三十五男子部、第十四女子部、第十五女子部、第二十九婦人部

これらの組織は合格者がたったの一名なのだ。他の組織はパッと見た感じで五人から十人ほどの合格者がいる。

ところがである。さらに驚くことがあるのだ。

第三十二婦人部、第三十三婦人部

合格者ゼロである。もしかしたら組織そのものが存在しないのかもしれないが、その辺はいずれ登用試験や五級試験の時にでも確認したいと思う。

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