2006/2/24

一月度総幹部会における浅井先生講演の問題点  
 大聖人様はこの承久の変の翌年に、御誕生あそばされている。仏法守護の王法が衰微し切った時の御出現です。
 これまた重大な意味があるのですね。
 もし賢王・聖主の御代ならば、流罪・死罪の大難は起こらない。この大難がなければ、下種の御本仏の開顕は遂げられないのです。
 まさしく大聖人様は、三類の強敵を用いて、末法下種の三徳を顕わし給うた。三類がなければ三徳を顕わすことができないのです。このゆえに、大聖人ご出現の時には、本来の王法は衰微して、迫害を加える鎌倉幕府が出現しているのです。


顕正新聞第1024号掲載の浅井先生講演から引用した。
また、顕正新聞の翌号には、幹部の何人かがこの部分を受け取って、班長会などで登壇している模様が報道されている。もちろん浅井先生の指導であるから、幹部たちは肯定的に書いている。

そして王法が衰微し切った「承久の変」の翌年に大聖人様が御出現になられたことにつき、先生は「重大な意味がある」として、もし仏法守護の王法であれば大聖人様を流罪・死罪に遭わせない。ここに謗法の毒に染まった鎌倉政権は大聖人様に対し奉り流罪・死罪に遭わせた。大聖人はこの三類を用いて末法下種の三徳を顕わし給うた。三類の強敵がなければ三徳を顕わすことはできないのであるとの指導には、五体が打ち震え、低頭合掌の他はありませんでした。

しかしこの部分はちょっと乱暴というか粗雑な感じが否めないと思う。

こちらも乱暴に書いてしまおう。
相州は謗法の人ではないのである。逆に皇室こそ大謗法を犯したのではなかったか? ゆえに承久の乱で負けたというのが大聖人の御指摘なのだ。
また、大聖人御出現以降、一向に正義に目覚めない、いわば謗法を犯し続けているのが皇室の姿ではあるまいか?

賢王・聖主どころの話ではない。
浅井先生の文脈では鎌倉幕府=愚王であり、皇室=賢王・聖主となりそうだが、必ずしも歴代天皇すべてが賢王・聖主というわけではないことはわかりきったことである。結局、先生の文脈ではまず結論ありき、すなわち本有の王法ありきになってしまっている感が否めないと思う。

ところで、某幹部の「五体が打ち震え、低頭合掌の他はありませんでした」とは、いったいどなたに低頭合掌するのであろうか?
顕正会の中ではこのフレーズをよく耳にするけれども、会長本仏論との誤解をあたえかねない、まぎらわしい文章だと思う。
もしどうしても使いたいのであれば、「主語」をはっきりと書くべきであろう。

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