2021/11/30

ヒレフス  
世間に目を向ければ、今日は立憲民主党の代表選挙である。また、数日前から俄かに騒がしくなってきた新たな変異株、すなわちオミクロン株であるが、それがどうなるかにも注目しないといけない。それ以前に韓国の感染拡大にも注意を払う必要がある。何しろすぐ隣の国だからだ。

「竜の口大法難」特集号

顕正新聞第1557号である。

ひれ伏す×7

一面から三面にかけて会長講演が載っている。そこに見出しを含めれば上掲のフレーズが七つも出てくる。当然、浅井先生が言っているのは、日蓮大聖人にひれ伏す意味である。ところが幹部たちの登壇記事は違っている。もちろん大聖人にひれ伏す場合もあるが、浅井先生にひれ伏すことも少なくないのである。これでは会長本仏論の批判を免れないだろう。

 三十二相というのは、あの奈良の大仏を見ればわかるように・・・

奈良の大仏を見てもいいのか?

 本、願を立つ。

浅井先生的には一貫性があるものの、宗門の読み方と違っている点が問題である。創価学会の新版では、どのように表記されているのだろうか?

 響くは凛々たる大聖人の御声のみ。目に映るは月の光に照らされて輝く大聖人の御尊容のみ。

月の光なのだろうか?

以下は各種登壇記事から紹介しよう。

日本における米軍撤退は即亡国との様相が現実味を帯びてきたことに、八月十五日を境に一気に順縁広布へと舵が切られたことを実感します。

女子部第二総部長(北関東・四国)の構文は複雑である。もしかしたら本人もわけがわかっていないのかもしれない。前半はアフガンの例を引いて言っているわけなのだろう。後半は終戦のことを言っているのだと思われる。ならば日本はそこで米軍に占領されたわけである。そして近い将来には米軍が撤退するとの見通しを前半で言っているのだ。即亡国は即広宣流布の意味と考えられる。それが終戦の時にスタートを切った。占領が始まった時に撤退が決まっていた。複雑すぎる。単にデタラメなだけかもしれない。

宇宙第一・最極無上の尊体・・・

第二十五女子部長(千葉県)の表現力である。一閻浮提第一は馴染みのある言葉だが、その言い換えなのだろうか?

 「昨年のうちから数十棟のプレハブを建て、八八〇〇人の研修医を活用し対応させていれば、医療崩壊にはならなかった」

浅井発言らしい。わたくしの読み落としなのか、顕正新聞紙上では見当たらないように思う。

これについてとやかく言うつもりはないが、たまたま隣の婦人部第八総部幹事(首都圏・近畿・山陰)の記事を読んでいたら、アゲアシを取りたくなった。

大阪会館・姫路会館・鳥取会館の御本尊様の御前に、すべての県民を呼ぶ戦いを・・・

収容人数に限界があるだろう。今のうちにプレハブ会館を数十棟、建てておくべきである。

 聞けばその婦人は祖父母の代からの学会員で・・・

女子部第百六十四区総班副長(北海道)の記事には、九十歳になるご婦人の話が出てくる。祖父母の代からの創価学会員とのことだが、年齢的に考えるとじゃっかん疑わしいところがある。ご婦人は浅井先生と同年代である。浅井先生の話には祖父母のことが出てこない。顧問先生のご両親のことだ。たぶん祖父母は日蓮正宗の信仰をしていないのだろう。妙信講ないし顕正会の歴史の上からも不必要な情報でもある。ゆえに語ることはないのだと思う。何しろ大昔のことだ。くだんのご婦人の話も推して知るべしである。

 また〇〇班長は昨年に愛犬が亡くなり、葬儀を執り行なってくれた△△さんに広告文を渡しておりました。

女子部第二百四十一区支区長補(石川県)の記事が気になった。ペットの葬儀を云々しているわけだが、書き様からすると執り行なったのは業者ではないように読める。もし個人が行なうとすると、具体的には何をどのようにするのだろうか? あるいは顕正会の儀礼室ではペットの葬儀をどのように取り扱うのだろうか?

「私たちはもう服んでいますよ!」

イベルメクチンの話である。やはり顕正会ではどこかから勝手に入手して服用しているらしい。

 「浅井先生と同じ空間にいる」「冥途の土産だ、ていさんありがとう」

婦人部村上支区総班長(新潟県)の記事では、冥途の土産が気になった。俗語としてわりと汎用的に使われているとは思うものの、顕正会的にはどうなのだろうか?

 これから始まる核使用の最終戦争、日本を狙うは修羅の大国・中国であれば、米軍三沢基地が標的になることは疑いなく・・・

女子部第九十八区班長(青森県)の大国・中国が面白い。それはともかく、米軍三沢基地が標的になる云々が問題である。別の記事ではアフガンの例から米軍の撤退を云々していたのに、ここでは米軍基地が標的になると言ってしまっているのだ。見解を統一すべきだろう。

 私は直ちに学会版本尊四幅の返納を申し出て・・・

婦人部岩手支区組長(岩手県)の記事では、上掲が気になった。なぜ四幅なのかである。また、その種類が気になるところで、例えば宗門時代の御本尊だとか、いろいろと混じっているのだろうか?

まさか今の創価学会が一人に対し本尊をいくつも押し付けるとは思えない。たぶん日蓮正宗時代には本尊下付を成果として数えていたはずなので、それでまかり間違って一人に複数の本尊が下付されてしまうことがあったと想像される。それにしても四幅は普通にはあり得ない話である。

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