2006/6/30

顕正会員にとっての聖地はどこか?  
まず、昨日の問題については、茶寮氏よりコメントが寄せられているので、それを参照されたい。氏の文章にも少しばかりの難があったが、それと同時に、わたくしの読み間違いという面も否めないであろう。いずれにしても現在は立って話をしている。しかも場合によっては一時間以上にわたるというのだから、ご苦労なことである。部長も楽ではない。

さて、今日は何を書くべきか思い悩んで、話題を探しにネットサーフィンをしていたところ、「魯の人の云く・・・」にすばらしい文章がつづられているのを発見した。全文掲載したいくらいであるが、とりあえずリンクを貼っておこう。

聖地主義について

一部を紹介すれば、次のごとくである。

私自身の意見は後に述べるとして、現実には聖地を持たない世界宗教は存在しないし、「宗教が宗教として生き延びるためには、むしろ聖地が不可欠である」とする見解もあり、それなりの説得力を持っている。

(中略)

 また富士門徒を今日まで、結束させ歴史をつないできたのも、「富士に戒壇堂を建立する」という悲願があってのことであった。

 私個人としては、これらの「聖地主義」を乗り越えていこうと思っているが、決して単純に乗り越えられるものとは思っていない。(奥歯にもののはさまったような言い方かもしれないが、大切なことなのでじっくり考える必要があるだろう。)創・宗の決裂から既に十七年が過ぎた。しかし、未だに大石寺の力が衰えず、決着はついていない。そのひとつの理由にも、この「聖地」の問題があるように思われる。


この人は創価学会員であるが、そこらの掲示板で悪口を吐いているような人たちとは明らかに一線を画している。
また、「未だに大石寺の力が衰えず、決着はついていない」というのもきわめて公正な態度の分析であり、フェイクなどの謀略情報とはまったく異なる視点にあることは明らかである。

そしてこの聖地問題は、まさに顕正会にとっても重要なテーマであり、これがために顕正会を脱会して大石寺に帰伏するものが後を絶たないとも考えられるのである。

顕正新聞を読んでいると、ことに地方在住の会員の体験発表などでは、本部会館への参詣が叶ったことの感激を述べるくだりがよく見られる。これも一種の聖地信仰であろう。
その意味で、なぜ本部が埼玉なのかという問題があって、それを気にしてのことだろう、浅井先生は「私はこの地を埼玉ではなく武蔵の国だと思っている」(取意)と言っていたことがあった。
その会通の是非はともかくとして、どのみち顕正会にとっての聖地は冨士大石寺のはずなのである。あるいは天生原ないし天母山であろうか?

ここで戒壇論に結びつけるならば、もはや事壇や義壇の論争をしているのが馬鹿らしくなってくることに気がつくべきなのである。
なにゆえ宗教法人顕正会は冨士大石寺顕正会を名乗っているのであろうか?
それは冨士大石寺が唯一の正系門家であり、本門戒壇の大御本尊ましますがゆえであろう。つまり、現時における聖地なのである。もし天生原に固執するならば、冨士天生原顕正会とでも名乗ったらよろしい。しかし、絶対にそんなことはしないはずである。

先に体験発表で本部参詣の感激を述べるくだりがよく見られると書いた。
これは別に取り立てて悪いことではないと思う。冨士大石寺顕正会の表札を掲げている限りは、それほど道を踏み外すことはないだろうと思うからである。
逆に言うと、顕正会が独自路線を目指すならば、冨士大石寺の看板を外す必要があるだろう。しかし、それは同時に、顕正会の過去を全否定する暴挙でもあるのだ。

このようなジレンマがある以上、ヘタなことはできないのである。

なお、「魯の人の云く・・・」の続きの文章には次のようなくだりがある。

 ある人は言った。「魯の人さん、宗教は建物ですよ。建物を無視して宗教は生き残れない」。草創期からずっと、学会運動をリードしてきたその人の言葉には、ずしりとした重みと現実感があった。

現在の顕正会も多造塔寺堅固の様相を呈しつつあるので、なるほど「ずしりとした重みと現実感」をわたくしも感じずにはいられなかった。

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