2006/10/26

宗門・創価学会関係略史(略し過ぎ?)  
私は変わってんです

当ブログ始まって以来の迫力あるコメントを頂戴しました。
八面六臂は、まあ、もとは仏教用語みたいなものですから、それに引っ掛けて表現させていただいたわけでして、少なくとも、わたくしのような非活動会員から見れば、大変な活躍のように見えるわけです。

聖教新聞の配達をしていらっしゃるとのことですので、いろいろお聞きしたいところですが、さしあたっては複数購読の実態を聞きたいですね。一軒当たり最高で何部ですか? あるいは一軒当たり平均すると何部くらいですか?
いや、別に創価学会のあら探しを目的としているわけではなくてですね、顕正会ではこの複数購読の問題がけっこう深刻でして、前にも当ブログで取り上げたことがあるのです。ゆえに参考の意味で創価学会ではどうだろうかと気になりまして、差し支えなければ教えていただければと思った次第です。

それから、日顕上人の御説法の件ですが、まあ、わたくしとしてはまったく急いでいませんので、ゆっくりとお調べになってください。

以上がズラ系氏あての文章である。

ええと、ウィンズ氏からもコメントをたまわっているが、どちらかというとズラ系氏に対する反論みたいな内容なので、わたくしは静観するべきなのかもしれない。
だが、どうも事実誤認というか、誤解があるようなので、わたくしの知る範囲で書いておきたいと思う。

ズラ系氏によれば、創価学会は日蓮正宗に三百五十からの寺院を寄進しているらしい。わたくしは資料を持たないのでその根拠を知らないが、まあ、それくらいの数は寄進しているのだろうと思われる。

総本山への御供養としては、おそらく奉安殿に始まり、大講堂、大客殿、その他もろもろを、創価学会が中心となって建立寄進しているのだと思う。それと同時に、昭和三十年代から四十年代にかけて、全国に多数の地方寺院を建立寄進しているはずなのである。
ところが昭和四十年代後半から五十年代にかけて、宗門と創価学会の関係が悪化した。そして池田大作氏は会長を辞任せざるを得なくなった。いちおう会長辞任をもって事態の収束がはかられたわけだが、宗門にはなおも不満分子が多数いた。この結末がいわゆる正信会事件と呼ばれるもので、この時に宗門は百五十からの寺院を失うことになる。
日顕上人が池田氏ないし創価学会をかばったとの見方もできるが、その辺の判断は立場によってマチマチなのであろう。少なくとも宗門の混乱の原因は池田氏にその一端があったことは否めない。ゆえに池田氏も責任を感じていたのだろう、いわゆる二百箇寺建立寄進計画が起こされたのは、この後のことである。
それから平成二年までは、わずか数年しかなかった。
そして、ご存知のごとく、平成二年の秋以降、宗門と創価学会の関係は再び悪化し、今現在に至るわけである。よって二百箇寺の計画は頓挫し、事実上、その約束は反故とされたのだった。

あてずっぽうに加えて、かなり端折って書いているので、細かい部分に問題があるかもしれないが、まあ、大体こんなところではなかろうか?

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