2007/10/30

顕正新聞第1082号のメイン記事から  
いつもながら山門入り口氏にはお世話になりっ放しである。今回も貴重な音声データを受け取ることができた。

しかし、御大会式については後日に譲るとして、今日は盛岡会館の会長講演に触れたいと思う。すでに先日、音声データを頂戴し、その感想を書いてはいるのだが、今回は顕正新聞の活字を通して、書いてみたい。

 ついでに言っておきますが、明治の初めごろは、明治政府の神道重視政策もあって仏教が排斥され、富士大石寺に対しても何かと不穏な動きがあった。そういうわけで明治四・五年には、万一のことを慮って戒壇の大御本尊を一時お遷しするようなこともあったのです。
 このときは、夜陰密かに数名の腕の立つ信徒に守護させ、東京の加賀邸の堅固な蔵にお遷し申し上げて、ことの鎮まるまで秘蔵し奉ったとのことです。


以前にも数度、耳にしたことのある話だったが、具体的な場所を東京の加賀邸であると明かしたのは今回が初めてだと思う。

先生は話の省略がうまい。というのは、この講演の後半では昭和二十年の大石寺炎上に言及しているものの、どういうわけか日恭上人の御事には触れていない。おそらく全体のバランスを考慮して、省略したほうが話がわかりやすいと判断したのだと思う。
同様に、上記の戒壇の大御本尊御遷座に関しても、いつもなら必ず付言するだろうことが今回は省略してある。それは御大事守護の御本尊のことだ。

この御本尊は日胤上人の常住御本尊であり、脇書きには御大事守護云々と共に、当然ながら個人名が書かれている。ようするに、腕の立つ信徒のうちの一人がこの人物だったのだろう。いわゆる賞与御本尊の意味合いがあったものと思われる。
この明治の強信者には法統相続者がいなかったということになるだろうか?
というのは、詳しい経緯は知る由もないが、現在、この御本尊を所有(?)しているのは顕正会だからである。

そういうわけで、今回の講演ではこれに言及してもよさそうなものだったが、まったく触れなかった。これは先に記したごとく、全体のバランスを考えてのことだろう。先生は省略がうまいのである。

この円妙院日彰上人はいかにも明治人の気骨をお持ちの方で、人に諂わず、自己顕示などはせず、一種のはにかみさえ持たれていた。そして大学匠です。ことに宗門の化儀に関しては権威といわれていた。

大学匠については問題ないと思うが、化儀の権威というのはどういうことだろうか?
何か、それを裏付けるものがあればいいのだが、単に先生が言っているだけでは説得力を持たないだろう。近年、顕正会は異流儀化が進行しているとの指摘がかまびすしく、ことに化儀の改変を問題視する人が多い。ゆえに、その批判をかわすために、上記のような話をでっち上げたようにも思えるのである。

それが今、宗門はいかにあるべきかということを思う上で、私の判断の大きな参考になっているのであります。

日彰上人からいろいろお聞きしたことが参考になっていると・・・

わたくしはそれほど感じなかったが、現役の顕正会員の中には、参考というのはマズイのではないか、と感じている人もいるのだ。
なるほど、言われてみれば、確かに不適切な感じがしないでもない。化儀のことでも何でも、日彰上人から教えを頂戴していながら、結局はそれを都合のいいように解釈して、今日の顕正会のために利用しているような気味が感じられるわけである。

今の宗門において、私にはまだ、どうしても言えないことがある。

こういうのはひじょうに気になる。

はたして、それは何のことだろうか?

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