車内説明 酒賀神社〜稲葉神社
ではここで、因幡で、大己貴命伝承の残る他の場所について確認してみましょう。
まずは、青谷町の血止めが池です。ここは大己貴命が八上姫と逢引していた場所という言い伝えがあります。
ここで、大己貴命が八上姫を待っていたとき、水辺に足をつけていると、大己貴命の足にサメが噛み付いて、怪我をして出血が止まらなくなります。その血を止めるために、そこの池に足をつけたそうです。
何やら古事記の神話を思い浮かべてしまいますね。しかし、古事記の神話と違って、この話では、サメにやられるのは白兎ではなく、大己貴命のほうです。
この近くに大己貴命と八上姫を祀る潮津神社、そしてみなさんご存じの、青谷上寺地遺跡があります。そこはかつての気多郡であり、大己貴命はこの気多という地名をとても大事にしています。というのは大己貴命は、その後、北陸地方へも勢力圏を広げるために出かけているのですが、その北陸にも「気多」という地名をつけているのです。しかも北陸地方の「気多」とは因幡の「気多」が由来ということらしいですので、大己貴命にとってここはとても重要な場所だったということになります。
因幡の国境近くで、日本海の海を制するためにも内陸の治安を維持するにも重要なところであったので、ここに大きな軍事的拠点を構えたのではないでしょうか。この遺跡で掘り出されたものの中にはサメのような魚の絵が描かれた木製品や古代人の脳みそが残っていた頭蓋骨などが出土しています。今では、のうみそ煎餅も売られていますが。
また、ふとまに占いに用いられたと思われる卜骨の出土した数が、全国でナンバー1だそうです。ここで、祭政一致の様々な祀りごとが、八上姫と大己貴命によってなされていたのかもしれません。
次に古事記に伝わる因幡の白兎伝承です。これについては、皆さんもすでにご存知かもしれませんが、2つの候補地があります。一つは、道の駅と白兎神社のある白兎海岸です。ここは浜辺から少し沖合いに、見ようによってはまるで大きな兎のような島があります。これは於岐島と呼ばれています。ちょうどこの島と、海岸の間に、あたかもワニが海面に浮かんでいるかのようにワニの背中のような黒々としてごつごつした感じの岩が飛び飛びに並んでいるのです。
この光景は、古事記のイナバノシロウサギがワニの背中を渡ろうとするシーンを思い起こさせます。このストーリーはこの地形から生まれたのではないでしょうか。
もう一つは、大己貴命とイナバノシロウサギの出会った場所は、かつての因幡と伯耆の国境付近、先ほど紹介した青谷上寺地遺跡のあるあたりです。これは、石破洋教授が提唱されている説で、古事記の文面を読むと、気多の崎というところで出会ったとあります。崎というからには、海岸線から突き出たところです。そのような場所といえば、先ほど紹介した血止めが池のある長尾鼻がもっとも有力です。
このように、イナバノシロウサギの舞台は2箇所の候補地があるのです。
また、オキとははるか日本海を北上した島根県の隠岐の島であって、そこから、イナバノシロウサギが渡ってきた、と見る見方もあります。これはかなりの距離で、多くのサメにならんでもらうには無理がありそうです。兎も体力が続きませんね。石破教授も指摘されていますが、これは作り話、現実にはありえない話です。
地元に伝わるもう一つのイナバノシロウサギの伝承として、高草の老いたウサギの話があります。昔、老いた一匹のウサギが、竹の中に住んでいたのですが、大雨による洪水で、沖の島まで流されます。ここからは話は古事記の神話とほぼ同じ内容で続いていき、やはり大己貴命に助けてもらいます。
ワニとは文字通り、ワニをさすのか、サメをさすのかはよくわかりません。
現実的にありえた、と思えるのは、洪水で、沖合いの島に一羽の兎が流されて、それを見た地元の人が、陸地へ戻してあげた、という話ではないかと思うのです。
また、白兎が天照大神を伊勢ヶ平まで案内したということが現実に起こったとするならば、因幡と伯耆の国境付近、または白兎海岸で大己貴命を待ち受けて八上姫のいる八上中心部まで案内した、ということもありえます。私も白兎を飼って自宅で放し飼いにしていますが、兎はよく私の足にまとわり付いてくるのです。神の使いであればなおの事、ちゃんと道案内をしてくれたのではないでしょうか。