いろいろ調べてみると、六甲山南麓には天照大神、天照大神荒御魂=瀬織津姫と関連する神社が思っていた以上に多いことが次第に判明してきました。
天照大神荒御魂を祀る廣田神社を筆頭に、廣田神社の南宮=浜南宮、現西宮神社には第2殿に天照大神が祀られています。筆者は、当初は天照大神荒御魂が祀られていたものと推測します。
芦屋市には芦屋神社があり、天穂日命を主祭神としていますが、元は三条町にあった天照大神を祀る神社を合祀しています。
同じく芦屋市打出の打出天神隣には神宮寺がありますが、十一面観音を本尊としています。十一面観音が瀬織津姫とも縁があることはすでに菊池展明氏の調査によって明らかになっています。
芦屋市には先の芦屋神社、(芦屋天神社と呼ばれていた)岩園天神、と阿保天神社と天の付く神社が多いのが特徴的です。すべて菅原道真公を祀っています。菅原道真公を祀る以前は文字通り、天神系の神を祀っていたと考えられるかもしれません。
神戸市東灘区阪急岡本駅の北側には、保久良神社、その境内に祓御神社があり、天照大神(荒御魂と思われる)が祀られています。
阪神深江駅近くに大日という地名があり、鉄筋コンクリート製の大日霊女神社があります。こちらは、かつて神仏習合時代に天照大神を本尊大日如来として祀っていたお寺だったところです。
http://kinarikomainu.blog29.fc2.com/blog-entry-1317.html
JR住吉駅近くには本住吉神社があり、境内摂社に大日女神社があります。
http://kamnavi.jp/en/settu/motosumi.htm
「天照大神」阪急六甲駅前には六甲八幡神社がありますが、八幡神社の典型的な祭神、八幡大神=応神天皇、比売神、神功皇后であるのに対してこちらは、よく昔の掛け軸にあるように八幡大神、天照大神、春日大神を祀っています。
神戸市灘区の国道2号線沿いには敏馬神社がありますが、なんとこれは「みぬめ」と読みます。
ここでも天照大神、熊野坐神を祀っています。サイトには「神社名由来の元宮 水神社 弥都波能売神 この神社の元の祭神 閼伽井の水と云う井戸もある。三犬女清水と言う。これもミヌメ。」と紹介されています。
話が飛躍しますが、ミヌメという響きは、もちろん八上の賣沼(めぬま)神社、と関わってきます。賣沼神社はすでに筆者がブログで述べたように、八上姫を祀る以前、かつては水の神を祀る神社だったという推論を立てていましたが、これもそれを裏付けるものとなりえそうです。もう一つ、兵庫県温泉町にも面沼(めぬま)神社があり、それは地名の米地(めじ)または祭神の美尼布命(読み方はミネフ、またはミネヌか?)と関連するものと思われます。
http://www.dai3gen.net/utusiko.htm 美尼といえば、この文字から少し連想されるのは、京都市の深泥池(みどろがいけ)です。神戸市東灘区や、この神社のある灘区にも美泥(みどろ)味泥(みどろ)という地名、字名が残ってることとも関連するかもしれません。(尼と泥ですから関係ないかもしれませんが。) ホツマにもミゾロとして京都の深泥池が登場します。
深泥池はミドロガイケともミゾロガイケとも呼ばれています。
http://www.tukinohikari.jp/jinja-fukui/topics-tsu-kehi-dokou/index.html
http://kamnavi.jp/ny/minume.htm
神戸市中心部には生田神社があり、摂社として、天照皇大神宮社があります。周辺には天照大神の五男三女が祀られる神社が八つあり、それが、一宮からそこの地名由来となった三宮、そして八の宮まで揃っています。このあたりがかつて八部(やたべ)郡と呼ばれていた由来かもしれません。
神戸市須磨区には証誠神社があります。証誠といえばピンと来る人は多いと思いますが、熊野本宮大社の証誠殿に瀬織津姫が秘祭されています。
http://kamnavi.jp/it/kinki/shousei.htm
祭神は五十猛命で、境内摂社に素戔嗚尊、大己貴命、蛭子命、事代主命を祀っています。これだけでは、天照大神、瀬織津姫との関連はなさそうですが、五十猛命は、飛騨地方で祀られている日抱尊が伊太祁曽と改称されたいったようですが、伊太祁曽は和歌山の日前宮・国懸宮と関わる元は瀬織津姫を祀る神社です。
高山市丹生川町白井の日抱神社について、こちらのサイトが紹介しています。
http://8.pro.tok2.com/~tetsuyosie/gifu/takayamasi/hidaki/hidaki.html
「この神社は国道158号線丹生川村白井地区の丹生川東小学校のすぐ傍に鎮座しています。地図に記載はありません。御祭神は五十猛大神ですが、この村の五十猛大神を祀る多くの神社が、伊太祁曽神社と改称した中でこの神社だけは未だに日抱神社の名を守っています。伊太祁曽神社は植樹、開拓の神である五十猛大神と同時に太陽信仰にまつわる母子神を祀っており、これには次のような伝承があります。
4世紀の頃飛騨は両面宿儺が支配し、宿儺は住民と乗鞍岳に登り、権現池に昇る太陽を映し崇拝したという素朴な太陽信仰から日抱宮といっていました。宿儺は飛騨の住民には英雄でしたが、大和朝廷には反逆者で、やがて征伐されました。日抱宮は五十猛命、高おかみ神など日本神話の神を祀るようになり、伊太祁曽神社と改称していったようです。
というようなことを総合すると、元々乗鞍をご神体とする太陽信仰の神を信じていた地域に、紀州から五十猛大神を信ずる人たちが移住してきて、合祀が行われたと考えればいいのでしょうか?」
また、香川県高松市の日抱神社には玉屋命が祀られています。玉屋という名前から、即連想するのは、三重県磯部町の伊雑宮のかつての祭神で、鳥羽市の伊射波神社に祀られている玉柱屋姫です。 これだけでは確信しがたいので、ネットで、玉屋命を検索してみると、島根県佐田神社の末社に同じ祭神が祀られていました。北の末社のその名前が、玉御前(たまのみまえ)社という名前で、やはり瀬織津姫との関連をうかがわせるお社です。
http://sadajinjya.jp/?m=wp&WID=4215
証誠神社に再び戻ります。
「由緒
永延元年(986年)、熊野の大神を御遷したと伝えられている。
熊野大社の中殿である第三殿は証誠殿と言い、家都美御子大神(素戔嗚尊)が祀られている。 家都美御子神は木都御美子神とも表記されるように熊野の鬱そうとした森林に神を見た熊野坐神であり、人格神として素盞嗚尊や五十猛命のこととされる。 この神社の証誠権現宮という名前は明治初期に付けられたようである。宝永五(1,708)年の石灯籠には聖霊大権現と刻まれている。
熊野からの勧請の神社の中に、五十猛命が祭神になっている神社を見かける。例えば大和広陵郡の熊野三柱神社である。
証誠神社は福原に都した平家一門の信仰厚かったとのことである。」 リンク先の熊野三柱神社を見てみると、なんと
「祭神 日鉾命 伊太邪曽神 日前神
もしくは 伊太祁曽神、熊野速玉神、素戔嗚命」
となっているのです。
神戸市垂水区の海神社は住吉三神とともに大日霊貴命=天照大神を祀っており、ここはかつて日向大明神と呼ばれていました。
http://www.ko-kon.net/hokan/watatsumi.html
そして、日向大明神とはいかなる神であるか調べてみたところ、女神であることがわかりました。以下のサイトです。
http://kamnavi.jp/jm/hinokuma.htm
このサイトには「播磨 印南 泊神社(とまりじんじゃ)「天照大神、國懸大神、少彦名大神」創立年月不詳にして社伝に秦川勝公を起して社殿を建て更に國縣大神を勧請すと伝ふ 兵庫県加古川市加古川町木村658
貞和四(1346)年に記された『峯相記』によると「日向大明神は容顔美麗な女体で、元正天皇の養老年中、日向の国から石船に乗られ、様々な侍女を引き連れて賀古の浦に到着した。この様子を見て心をときめかした高御倉大明神が夜な夜な日向の女神たちの下へ通われ始めた。生石子大明神はひどくやきもちをやかれ、日向大明神を対岸の日岡山へ、また侍女達は泊明神その他へ遷座せしめた。」と伝わる。『峰相記の研究』神栄赳郷氏による」とあります。
海神社の祭神、大日霊貴命が日向大明神と呼ばれていたことを考慮すると、日向大明神は女神、天照大神、即ち、天照大神荒御魂、瀬織津姫を示すものと思われます。
先日紹介した西宮市阪急夙川の大手前大学構内の日向天巨建岩との関連も伺えるといえるかもしれません。
そして、その神は、昨年春にブログで紹介した、ヤマトタケノミコトの誕生地でもある加古川市の日岡に鎮座する日岡神社とも関係があるようです。
日岡といえば、京都市の日岡(ひのおか)にも京の伊勢と呼ばれる日向大神宮が鎮座しています。単なる偶然でしょうか。
これに、西宮の甲山の神呪寺、鷲林寺、そして、宝塚の清荒神が加わることは、先日報告したとおりです。
とにかく、六甲山麓、およびその周辺地帯には伊勢内宮に大いに関連する祭神が多く祀られている、しかもどちらかといえば、女神=瀬織津姫を連想させる神を多く祀っているといってよさそうです。
六甲山麓祭神を調べた結果、六甲山は「むこうやま」であり、やはり日の前に向かう女神=瀬織津姫由来の山と考えた方が自然です。
目下、六甲山麓の白山関係の神社についても調べていますが、今のところそれほど多くは出てきていないことを考え合わせると、六甲山における白山信仰はあくまで、中世以降に白山修験者が新たに祀りはじめたのが起源であるという筆者の推測は妥当なようです。
六甲の山の神は今や白山の神と、昔からの瀬織津姫であるといえます。