宝塚神社はいろいろと変遷があるようです。
現在の祭神 素盞嗚尊 大山咋命
>山には山の神(大山祇の神)田には田の神(素盞嗚の神)を祀り古来より農耕を主としたこの小林村落も五穀豊穣を神に祈念した。
今なお背面に広大な山林を有する部落山(小林字西山)の最高峰が岩倉山(岩座=神の座します処)四八八mでその山麓には行者山・譲葉山などが山脈をつらね、何れも山の神々を祀ったことが伺える。
その山岳の端に日吉の神を祀る社が建立されたのは当然の理、つまり岩倉山は奥宮で、この神社は里宮といえよう。
創立年代は不詳なれど、隣接の平林寺(真言宗)が聖徳太子開基と言われていることから、凡そ同じ頃から斎祀されていたものとおもわれる。
明治以前までは日吉神社であったが、元村社素盞嗚神社(小林三丁目四)を合祀し社号を宝塚神社と改めた。<
http://komatoshi.web.fc2.com/ji_hyougo/takarazuka/takarazuka.html
ウィキペディアによれば
>隣接の平林寺が聖徳太子開基とされ、同時期の創建とも思われるが不詳。
行者山などが連なる山脈の端に位置し、山岳修験道から当地に白山権現を祀り、白山権現社と号していた。
武庫郡小林村の村社であった牛頭天王社の「東氏神」に対して、「西氏神」と呼ばれた。
明治初期の廃仏毀釈により「日吉神社」へ改称、明治41年(1908年)には天神社・愛宕社を神社合祀する。
昭和41年(1966年)に「東氏神」の素盞嗚神社(旧牛頭天王社)を合祀し、宝塚神社へ改称。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E5%A1%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE
かなり変遷激しい神社です。重要な聖地、として認識されていたのでしょう。
しかし、一番の大元は岩倉山の神、すなわち六甲大権現という山の神を主祭神として祀っていたのではないかと思います。
六甲山とその周辺でいくつか見かける白山神祭祀は、いずれも、古い歴史を持っておらず、すべて中世期の白山修験者の入山以降であることがわかります。
もしかりに白山の神が古来より六甲山の神であるならば、六甲山とその周辺の重要地点に白山神がもっと祀られていないとおかしいのです。
しかし、筆者がこのブログで明らかにしてきたように、中世以前より白山神を祀ると考えられるのは石の宝殿、中世末期創建の小曽根白山姫神社と、岡田神社境内末社くらいのものです。
ほかに、越木岩神社摂社、西宮神社摂社、社家郷山の小祠、(六甲山のお稲荷さんの祠も?)とこの宝塚神社がありますが、いずれもそれほど古くからのものではないのです。
芦屋市の弁天岩の白山小祠は、信仰者が無許可で設置したものであり、認められません。