花山法皇を仏門に導いた仏眼上人は、なんと聖徳太子の墓所を守る寺、大阪府太子町、
叡福寺の僧侶でした。
叡福寺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A1%E7%A6%8F%E5%AF%BA
仏眼上人に関してはウィキペディアにもごくわずかしか紹介されていません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E7%9C%BC
>仏眼(ぶつげん、生没年不詳)は、平安時代中期の僧。河内国石川寺(叡福寺)に住した。仏眼上人ともいう。花山院(968年 - 1008年)に、播磨国圓教寺の性空上人の勧めにより、先達として西国三十三所霊場を巡礼したという(『中山寺来由記』、『谷汲山根元由来記』)。<
また仏眼上人は、熊野権現の化身といわれています。
花山法皇は熊野で修業中に、熊野権現と巡り合い、西国三十三か所を再興することを誓い、仏眼上人とともに、その偉業を果たしたのでした。
真名井御前が修業された京都の頂法寺、六角堂には花山法皇に因む桜があります。
http://sakuwa.com/r6.html
>由来は、長徳2年(996)花山法皇の六角堂の御幸により西国三十三所観音巡礼が始まったことを受け、花山院前内大臣が六角堂の桜を見て詠んだ「世をいのる春の始めの法(のり)なれば君か御幸のあとはありけり」から名付けられたものである。<
六甲山周辺の聖徳太子所縁の寺院、宝塚市小林(おばやし)の平林寺、神戸市北区、間人皇后の御出身地ともいわれる神戸市北区の鏑射寺、花山法皇の御足跡が残されていることも、納得がいきます。
そして、六甲山、六甲比女神社の上方にある仰臥岩に、熊野権現、仏眼上人、花山法皇を祀る石碑(石祠)が祀られていることから、聖徳太子の御意志を継承した仏眼上人と花山法皇が最も重要な聖地を守っておられることがわかるのです。