天河に御出現された瀬織津姫が天空で舞われた、その吉祥を起源とする宮中の五節の舞を題材とする百人一首の和歌があります。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/100i/012.html
>僧正遍昭そうじやうへんぜう 816〜890
12 あまつかぜ雲のかよひぢ吹きとぢよ乙女のすがたしばしとどめむ
あまつかせ くものかよひち ふきとちよ をとめのすかた しはしととめむ
【私解】空を渡る風よ、雲をたくさん吹き寄せて、天上の通り路を塞いでしまっておくれ。天女の美しい姿を、もうしばらく引き留めたい。
【語釈】◇あまつかぜ 天つ風。天空を吹き渡る風。◇雲のかよひぢ 雲や月、鳥などが通ると想定された、空の道。「天上と地上を往き来する、雲の中の道」などと注釈する書があるが、誤解である。天女は天上(=内裏)で舞っているのであって、地上に降りて舞っているのではない。◇吹きとぢよ 「天つ風」に対し、「雲をたくさん吹き寄せて、天の通り道を塞いでしまえ」と願っている。◇乙女 天女。五節の時に歌われる「天人の歌」、「乙女子が 乙女さびすも からたまを 乙女さびすも そのからたまを」に由り、舞姫を「乙女」と呼んだもの。五節は新嘗祭などで舞われた少女楽で、公卿・国司の娘より美しい少女を四、五名選んで舞姫に召した。◇すがた 「ちゃんとした恰好。人ならば、きちんと着物を着た様子に多くいう」(岩波古語辞典)。「乙女」の美しく装った様を言う。
【出典】古今集巻十七(雑上)「五節のまひひめを見てよめる よしみねのむねさだ」<
>【覚書】百人一首の中でもとりわけ人気の高い歌ではないか。舞姫を天女に見立て、空の風に向かって呼びかけるという趣向には柄の大きな華やかさがある上に、結句「しばしとどめむ」には一種すがすがしい哀情が籠もる。しかも一首の声調は、朗々と吟ずるにふさわしい、強く明るい響きを持つ。そういう歌は百人一首に意外と少ないから、よけいこの歌が目立つのだろう。
五節の舞は古来の宮廷舞楽で、『続日本紀』天平十五年五月五日条に天武天皇の創始と伝える。また延喜十四年(914)の三善清行『意見十二箇条』(『本朝文粋』所収)には五節の由来につき「旧記」を案じて「神女来舞」と記している。鎌倉時代の『年中行事秘抄』などになると話がもっと具体的になって、吉野行幸の際、天武天皇が琴を弾き、「高唐神女」の如き「雲気」が髣髴として曲に応じて舞ったのを起源とする、と言う。遍昭の歌でもこうした伝承を背景として舞姫が天女になぞらえられたと見るのが通説だが、かかる伝説を離れても、一首の理解に不都合はない。そもそも内裏自体が「雲の上」なのであるから、舞台がしつらえられた庭を吹く風は「天つ風」と呼ばれ、舞姫が舞台を出入りする道は「雲の通ひ路」と見なされるわけだ(むしろ、五節起源説話に遍昭の本作が影響を与えている可能性はないだろうか)。
古今集では作者名を良岑宗貞とし、遍昭出家以前、仁明天皇に仕えていた頃の作である。但し、詞書を伴わない百人一首の歌として味わう場合、「乙女」を五節の舞姫とする制約はなくなり、文字通り天津乙女の姿が空にある、幻想的な光景を思い描いてよいことになる。それを眺めているのが僧侶としての遍昭であっても少しも構わないわけだ。百人秀歌での蝉丸との合せからは、そう読んだ方が面白くもある。逢坂山の隠者は地上の人々の流転のさまに会者定離の感慨を催し、一方花山の僧正は、空の彼方に消え去る天女との別れを名残惜しんでいるのである。<