I LOVE JAPAN世界を融和に〜 ごとう 孝二さんFB記事より
「美智子様 御歌集に共感した
欧州、アフリカの人々の感動」
皇后陛下の御歌に感激したアフリカの人々
2006(平成18)年10月17日、
アンゴラ共和国の有力紙
『アンゴラ新聞』は、
「日本国皇后の御歌、アフリカ青年の育成に活用を!」
と題した記事を掲載した。
記事の書き出しは、こうである。
かねてルアンダの青少年道場で指導に当たっているオディマーク・デュクロ氏が、一昨15日、
弊社(アンゴラ・プレス)において講演を行い、このほどパリで出版された
日本国皇后の歌集
『セオト』〜せせらぎの歌〜を絶賛して、こう述べた。
ここに活き活きと仏訳された
ワカ(和歌)は、
日本語でコトダマ(言霊)と呼ばれる崇高な精神を宿している。
御歌は、ヨーロッパのみならず、アンゴラをはじめ、アフリカ中に伝えて、とくに青少年の情操教育に役立てるべきと
信ずる----と。
たとえばデュクロ氏は講演の中で、
「窓開けつつ聞きゐるニュース
南アなるアパルトヘイト法
廃されしとぞ」
の御歌を紹介して、こう語っている。
皇后陛下という高い御身分の上から、どんなにたくさんの御公務で
お忙しく、
御自分の国と国民だけでどんなに大変か分からないほどですのに、
南アフリカ連邦共和国のアパルトヘイト法が廃されたことで、こんなにも喜んでくださっているのです。
皇后陛下美智子様は、こんなにも苦しんだアフリカの人々のためによりより未来を希望してくださる、
自由と平和がいつまでも続くようにと祈ってくださる、
何というお心の寛さ、魂の偉大さかと、感激させられるほかはありませんでした。
満堂の聴衆は、遠い日本の皇后様がなぜこんなにも自分たちの世界のことを考えてくださるのか、と驚喜した。
窓の外に広がる朝空
18世紀から19世紀にかけて、欧米諸国はアフリカ大陸から多くの黒人を拉致し、南北アメリカで奴隷とした。その数は
1500万人にも上るであろうと推定されている。アンゴラも
「飢えの国」
と言われるまでに崩壊し、いまなお内戦と難民のるつぼと化している。
そのアフリカの悲劇の現代に残る象徴が、南アフリカ連邦の
黒人差別政策・アパルトヘイト法だった。同法が廃止と決まったのは、ようやく
1990(平成2)年の事である。
朝、皇后様が窓を開けられたちょうどその時に、
テレビかラジオのニュースで同法廃止をお聞きになられた。
窓の外には、真っ青な朝空が広がっていたのであろう。
まるで解放された黒人たちの未来を象徴するかのように。
そんな偶然の一瞬を詠われたのも、日頃から皇后様が差別に苦しむ黒人たちの身の上に思いを馳せ、
いつか解放の日が来ることを祈られていたからである。
「幸(さき)くませ真幸(まさき)くませ」
御歌の仏訳は、フランス文学を専攻した筑波大学名誉教授・
竹本忠雄氏によってなされた。
皇后様に接した外国人からは
「このようなお方を皇后として持つのは真に日本人の誇りですね」
という声をよく聞きながらも、日本からそれにふさわしい
紹介の努力がなされていないと、
竹本氏は感じていた。
そこで芸術と自由を表看板とするフランスで、皇后陛下の御歌を紹介することによって、
日本見直しのきっかけができるのではないか、と竹本氏は考えていたのである。
翻訳は、作家で日本文化に造詣の深いオリヴィエ・ジェルマントマ氏
など、竹本氏と親しいフランスの文化人たちが手助けしてくれた。
竹本氏がまず仏訳の叩き台を示し、その背景や解釈を説明し、
それにもとづいて討議をする、という手順が一首一首くり返された。
最後の1首の討議は、南仏の古城で行われた。
「幸(さき)くませ真幸(まさき)くませと人びとの声渡りゆく御幸(みゆき)の町に」
竹本氏を囲んで、さてこの「幸」をどう訳すか、なかなかぴったりした単語が見つからない。
普通の「幸せ」なら「ボヌール」
(英語のハッピネス)
だが、それだけのものではない、という点では意見の一致を見た。
「個人的幸福を超えた何物か」
竹本氏は、この御歌を平成16(2004)年の歌会始めで拝聴した時の体験を語った。
その時の御題が「幸」だった。選ばれた
歌の中には、成人式を挙げたばかりの女性の
「彼と手をつなげることが幸せで」
という歌もがあり、これなどはまさに「ハッピネス」だと述べて、次のように続けた。
歌の品位、響き、美しさ、すべてにおいてそうですが、
何よりも「幸」そのものの捉えかたが違うのです。
両陛下の行幸啓を迎えて、国民が
「幸くませ真幸くませ」
と歓呼する声にあらわれた、個人的幸福を超えた何物かを詠っていらっしゃるのですから。
そして皇后様に続いて、歌会始の最後に朗詠された天皇陛下の御製
「人々の幸(さち)願いつつ国の内めぐりきたりて十五年経(へ)つ」
が、皇后様の御歌と至高のアンサンブルをなしているのですと
述べて、こう結んだ。
ここで天皇陛下が表明していらっしゃるのは、つねに一番の道徳的高みからの国民の幸福ということであって、
御自身は完全なる無私というおこころがここに現れているのです。
ここまで話した時、古城の主ジョルジュ氏が言った。
分かった! 諸君、
「フェリシテ=至福」ですよ。
そのサチは!
「幸くませ真幸くませ」は
「至福を 高き至福を!」
と訳したらどうでしょう。
「フェリシテ」とは、無私の心で他者の幸福を願う宗教的な響きを持つ。
日本とフランスの間に言霊の橋がかかった。
「永遠の日本が皇后様の御姿をかりて送りよこした贈り物」
こうして完成した仏訳御歌撰集
『セオト(瀬音)−せせらぎ
の歌』
が、2006(平成18)年5月にパリで出版された。
それはたちまちフランス語圏の人々の心に届いた。
パリ大学文学部(ソルボンヌ)の準教授で気鋭の文学者フランソワ・ド・サンシュロン氏は、こう評した。
これらすべてのお作品から立ち昇る馥郁(ふくいく)たる香気、みずみずしい繊細さ・・・しかり、
抑制、慈悲、祈り----
日本の今上陛下の皇后美智子様の御歌を拝して思い浮かぶ言葉はこれなのである。
ジュネーブの銀行家で、仏・独・日の文学に造詣の深いピエール・ジェグリー氏は、竹本氏あてに感想を送ってきた。
・・・月光、陰影、露、霧・・・。
ポエジーは、これらの希有なる詞章より静かに浸みとおってきます。
永遠の日本が、皇后様の御姿をかりて送りよこした贈り物でなくして何でしょうか。
すなわち、神々より下された----。
・・・私はまた、こうも考えざるをえません。
一人のお方のトータルな存在に、どれほどの神秘と試練が、かつ、たとえようもない心情の高貴が秘められているか、
『セオト』一巻は、まさにこのことを証していると。
まことに、慈悲と、パルタージュ(痛みを分かつこと)
以上の、心情の高貴がありえましょうか。
「このような詩の妙音が、日本では今日まで存続していた」
皇后様のお歌からフランスの人々が感じ取ったものは、異国情緒ではなく、彼ら自身が近代化の過程で忘れ去っていた精神の高貴さだった。
フランスの文化界で、哲学者として一家をなしているフィリップ・バトレ氏は、
季刊誌『反文学』2006年秋季号に『ル・ボー・タン----晴』を発表して、こう述べた。
・・・一人の皇后のお出しになったこの詩集に、エキゾチックなものは皆無である。
それどころか、これらの詩は、
きわめて親しみやすいものばかりなのだ。
ただし、四季の秩序と、心のたゆたいを歌うことに秀でた、
この上なき高貴なるお方によって親しみふかくされた、ということが大事なのだが。
西洋においても、その昔、スペインのカスティリア王国の賢人王アルフォンソのごとく、・・・
そのような世界を啓示してくれた王侯も無きにしもあらずだったが、いまは遠い物語となってしまった。
ところが、ここに素晴らしいことに、このような詩の妙音が、日本では今日まで存続していたのである。
「アフリカの心と相通ずるものがある」
皇后陛下の御歌に、自分たちの伝統を思い出した、という点では、冒頭のオディマーク・デュクロ氏も同様だ。
・・・『セオト』を拝誦しているうちに、
私は、ヤマト民族----古代日本民族の名です----
の古い古い感情が、いまなお、そのなかに息づいていると感じるようになりました。
そしてそこには、いつからとも知れない遠い過去から、リズミカルな言葉をもって語り伝えられてきた、
アフリカの心と相通ずるものがあると、気づかされたのです。
たとえば、『虹』と題する御歌がございます。
「喜びは分かつべくあらむ人びとの虹いま空にありと言ひつつ」
これを拝誦して私は、こういうナイジェリアのことわざを思いだしました。
分かち持つ----
これぞ 一番の大事
覚えよ この言葉
「サムライの日本」特集
2007(平成19)年7月1日、パリのキオスクにいっせいに並んだ隔月誌『新歴史評論』は、
「サムライの日本」
特集と銘打って、表紙には甲冑姿の武士を掲げた。
同誌主幹ドミニック・ヴィネール氏が『セオト』に感動して、この特集を企画したのだった。
氏は巻頭論文「日本−華と鋼鉄(はがね)」でこう述べた。
本誌日本特集号を編むにあたり、編集子は、今上陛下の皇后美智子様の『セオト』を再読三読させていただいた。
背の君、今上陛下に至るまで、日本の歴代天皇は、神話の伝える太陽女神アマテラス以来、
なんと125代にもわたって万世一系を貫いてきたのだから、驚きである。
自らの過去を忘却否定するのに躍起の国、フランスの子らたるわれら、こう聞いて、ただ、茫然自失のほかはない。
・・・
そしてまさに、この黙示録的爆撃、原爆投下から50年目、
1995年に、皇后は限りなき抑制をこめて次のように歌っておられるのだ。
「被曝五十年広島の地に静かにも雨降り注ぐ雨の香のして」
その前年のことであった、皇后が、それより半世紀前、
硫黄島の死闘で日本軍将兵が玉砕をとげたことを偲び、こう手向けられたのは。
「慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲(ほ)りけむ」
もう一首、終戦(1945年)記念日に詠まれた御作品を掲げよう。
「海陸(うみくが)のいづへを知らず姿なきあまたの御霊(みたま)国護(まも)るらむ」
自らの根っこを深く辿っていけば
ヴェネール氏は、論文をこう結んでいる。
嘆きなく、憾(うら)みなく、涙なし。
いや、涙は、われら読者の眼に溢れざるをえないのだ。
一語一語の重み、わけても
「あまたの御霊 国護るらむ」
の喚起する感動に----。
これらの調べこそ、つつましき情感をもって歌われた永遠の大和魂への讃歌なのだ。
どうしてわれら、これに感奮なきを得よう。
懶惰に眠るヨーロッパ諸国の民族魂を目覚ませるべく、あらゆる逆風に抗して挺身しつつあるわれら
として----。
ドミニック・ヴェネール氏は、30冊もの著書を持つ
歴史家・作家であり、騎士道再見や、ルーツからのヨーロッパ再発見
などで、
「ヨーロッパ諸国の民族魂を目覚ませるべく」
活発な活動を続けている。
そのヴェネール氏が、古代からの大和心に根ざした皇后様の御歌に、
感奮を覚えたのである。
自らの根っこを深く辿っていけば、それは他民族の根っこにつながっていく。
皇后様の御歌集への欧州やアフリカの人々の 共感は、この事を実証しているのである。