春日神、天児屋根命の御陵はホツマによれば、京都大原野の小塩山であることがわかります。 その麓の大原野神社は、現在は南面していますが、かつては東向きで、参道も東から本殿へお参りするという境内配置となっていました。 大原野神社の真南に、東大阪の枚岡神社が鎮座しています。
奈良の三笠山の春日大社祭神の天児屋根命とヒメ大神は、ここより勧請されました。
天児屋根命には、ヒメ神と呼ばれるお妃がいました。ヒメ神はタケミカヅチのひとり娘でしたが、父君は息栖(いきす)神社のほぼ真北に位置する鹿島神宮の祭神として祀られています。そしてハタレの乱で共に戦ったフツヌシノミコトを祀る香取神宮は息栖神社の真西に位置します。
その天児屋根命のお妃であるヒメ神は、かつて茨城県神栖市息栖の息栖神社に祀られていたことがホツマで判明します。(現在は祭神は変えられてしまっています。)
http://www.kamisu-kanko.jp/power/
http://www.genbu.net/data/hitati/ikisu_title.htm
その息栖神社は西向きの神社であることが以前より謎とされていました。
社殿、参道の向きは、真西、というよりも西南西に向いています。 ホツマには、天児屋根命とヒメ神が離ればなれになっても、お互いが向き合う位置関係に祀られるようになったことが記されています。
ホツマ二十八紋
オシクモは ヨソヤ(四十八) モ(喪)に入り ヤマシロの オシホにおさ(納)む 東向き これ ヒメ神の マカ(罷)る時 キはヤマシロに います故 イキスの宮の 西向きぞ
ここに出てくる、キとは君・貴(男性)で天児屋根命のことです。
息栖神社の社殿、参道を日本地図上で、ずっと延長すると、見事に大原野・枚岡方面を指し示します。 どちらかといえば、枚岡神社により正確に向いているといってもよいでしょう。
ホツマなくしては解明できない各神社の関係です。
ホツマは、記紀やほかの古史古伝よりもはるかに全国の神社・神話伝などと整合性のあるストーリーが展開されているのです。