寛仁さま逝去:「残念です」と訪問の施設 伊勢神宮に7回 /三重
毎日新聞 2012年06月07日 地方版
http://mainichi.jp/area/mie/news/20120607ddlk24040344000c.html
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6日逝去した三笠宮寛仁さまは、障害者問題に取り組み、県内の施設でも利用者と交流を深めた。関係者はありし日の殿下をしのんだ。
寛仁さまが10年12月に訪れた明和町の医療型障害児入所施設「済生会明和病院なでしこ」の大友正明事務長(63)は「頑張っていただけると信じていたが」と肩を落とした。
寛仁さまは、利用者たちに「ここでの生活を楽しんでください」「リハビリを頑張ってください」と励ました。気管支切開をした患者には、自分の首のスカーフを取り「僕も切開しているのですよ」と話したという。大友さんは「時折、冗談を交えるお話が人柄を表していた。本当に残念です」と述べた。
伊勢神宮の神宮司庁によると、寛仁さまは7回神宮を訪れている。68年4月の英国留学報告が最初で、80年11月には結婚を報告された。鈴木英敬知事は「スポーツなどいろんな分野で活躍され、年齢もお若く、大変残念だ」と話した。【谷口拓未、木村文彦】
〔伊賀版〕<
以下はウィキペディア 「寛仁親王」 より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E4%BB%81%E8%A6%AA%E7%8E%8B#.E5.A5.B3.E7.B3.BB.E5.A4.A9.E7.9A.87.E5.AE.B9.E8.AA.8D.E8.AB.96.E3.81.AB.E5.AF.BE.E3.81.99.E3.82.8B.E8.A6.8B.E8.A7.A3
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皇位継承問題 [編集]
女系天皇容認論に対する見解 [編集]
憲法上の制約もあり、天皇および皇族が女系天皇の是非について自らの意見を公にする機会は限られている。寛仁親王は自身が会長を勤める福祉団体『柏朋会』(はくほうかい)の会報『ざ・とど』で、公なものではない私的な見解と前置きした上で、女系天皇についての見解を表明した。この機関紙は市販されていない。この中で、女系天皇に明確に反対し、旧皇族の皇籍復帰などを求めた。
寛仁親王は、「歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いのか」と女系天皇を容認する意見を批判し、また「万世一系、125代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」と主張した。寛仁親王は男系継承を維持するための方法として
1.皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰。
2.女性皇族(内親王)に旧皇族(男系)から養子を取れるようにし、その方に皇位継承権を与える。
3.廃絶になった秩父宮や高松宮の祭祀を旧皇族に継承してもらい、宮家を再興する。
4.昔のように「側室」を置く。自分(寛仁親王)としては大賛成だが、国内外共に今の世相からは少々難しいかと思う。
を挙げた。
その上で、「陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりません。国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、2665年の歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」と結び、女系天皇容認の動きに反対する意見を述べた。
また、2006年(平成18年)1月3日付の毎日新聞、雑誌『文藝春秋』2006年(平成18年)2月号のインタビューでも同様の見解を表明している。殊に後者では、小泉純一郎首相や有識者会議が女系天皇容認の方針なのは今上天皇の内意を受けてのことではないのかという噂について、「ご本人に直接確認してはいないが、あの慎み深い天皇様が女系天皇や長子優先継承に賛成なさるはずはない。噂は事実無根の臆測だろう」と主張した。
また、非公式ながら「父殿下、母妃殿下をはじめとして皇族には改正に反対論を唱えている人が多い。少なくとも三笠宮家は全員反対だ」ということもコメントしている。<