ワカ姫は、ホツマによれば、イサナキ・イサナミのご両親のもとを離れて、岩樟船(いわくすぶね)に乗せられて、カナサキのいらっしゃる阪神間へお着きになりました。それを裏付けるかのように、尼崎市には、鳥磐楠船命を祀る船詰(ふなづめ)神社があります。
http://blogs.yahoo.co.jp/dekunobou36/51865445.html
鳥磐楠命については玄松子さんのサイトをご参照ください。
http://www.genbu.net/saijin/torihune.htm
この神社はワカ姫の磐座の鎮座する西宮市の越木岩神社の真東に位置しています。
ところで、大阪府堺市には石津太(いわつた)神社と石津(いしづ)神社が鎮座しており、いずれも本殿主祭神として蛭子命・八重事代主命・天穂日命が共通して祀られています。しかもここは、わが国最古の戎社とされています。 ご幼名がヒルコである、ワカ姫が、後の世に、恵比寿神とされてしまっていますが、 蛭子の漢字の採用によって、ワカ姫との関連を色濃く残しています。
石津神社・石津太神社詳細については以下のサイトをご参照ください。
http://www.y-tohara.com/izumi-iwatuta-11.html
おそらくヒルコ命が携えてきたとする神石(五色の石、花びら紋様を持つ自然石)の鎮座する石津神社が、ワカ姫が最初に御到着された場所で、船詰神社が磐樟船を埋設した場所なのではないでしょうか。
石津太神社は、尼崎市の船詰神社のほぼ真南に位置し、石津神社は石津太神社のやや東南東に位置しています。位置関係からして船詰神社祭神とも関連がうかがえ、越木岩神社とも必然的につながってきます。

そして、主祭神として天穂日命が祀られていることは、石津神社と石津太神社の位置関係からも頷けます。この2社を結んだその延長上に、ほぼ出雲大社が位置します。出雲大社といえば、天穂日命が伊勢と出雲を結ぶために、御自ら、斎主となられたところです。
『瀬織津姫さま言霊リメンバリング』でも明らかとなりましたが、天穂日命はメ(女)の道の拠点である、広田の地にそびえる六甲の磐座群をくまなくお調べになり、瀬織津姫の磐座にふさわしい場所をご提供されました。
ワカ姫の磐座に関しても、きっと天穂日命が何らかのおはたらきをされたに違いありません。
石津太神社は船詰神社との位置関係の調整、および、出雲との関連の証としてその場所への鎮座が選ばれたのではないでしょうか。
こうして、石津神社と石津太神社が、六甲に鎮まる神々と、出雲を結ぶ大事な証ともなる神社であるといえるのではないでしょうか。
