再掲プラス補足
「ホツマの文脈で瀬織津姫を語ることの重要性」
昨今の在野の多くの方々の実地調査、文献調査の進展によって、ホツマの信ぴょう性は高まっています。
全国各地の神社・神話伝承、寺院の縁起などとの関連で、神々の足跡を検証していくとき、記紀、その他の古史・古伝の中でも、ホツマの内容には、ずば抜けて整合性があり、親和性を有していることは、少し比較検討したことのある人であれば、否定しがたい事実です。にもかかわらずアカデミズムを含む研究者がこの事実を一顧だにしないとはいったいどういうことなのでしょうか。
また瀬織津姫については、ホツマと大祓祝詞の慎重な検討抜きには何も語ることなどできません。
ホツマを前提にすればその意味を容易に理解できる大祓祝詞の内容も、記紀を含む他の古史古伝では全く意味不明となってしまいます。
この事実を無視、軽視して、ホツマ・大祓祝詞の十分な検討なくして瀬織津姫を知ろうとする試みは、出発点から誤っているといわざるを得ません。
国常立命の建国理念は、豊受大神・天照大神の治世のときに、トノヲシテとして明確化され、その理念のもとに、日本国内でかつて理想の社会が形成されていたことがホツマには記されています。その理想の国の建国の過程で様々な困難があったことも、後の世への貴重な教訓として赤裸々に語られています。
日本は、このような、神による建国がなされた世界でもまれにみる貴重な国なのです。
人の体をもってご登場され、ご活躍された日本の神々が御自ら示された理想の国の建国、それに伴う様々なトラブルや困難があったことについてもっと真剣に知ることが大切です。
そしてそれらの経験、そこから導き出される教訓を、現代社会に生かしていくことが求められています。
この点から、瀬織津姫の事だけに限りませんが、神々の諸関係についてできる限り正確に知り、矛盾のない神代から続く歴史の真相を追っていかねばなりません。
瀬織津姫に関して、少なからぬ諸氏の著作やネット上の様々なサイトで個人的思い入れに偏ったイマジネーションに基づくフィクションが流布されています。
日本の神々がご活躍された事実を比較的正しく描いたホツマの文脈から切り離してとらえることは、もはや好ましくないことと思います。
特に、恣意的に神々を結びつけ、何の根拠もなしに、瀬織津姫をニギハヤヒのお后としてとらえ(記紀その他の文献にも記されておらず、ほんの数名の吹聴者によってファブリケートされた説)、それを無批判に受け入れることなど、もってのほかです。
瀬織津姫は男神天照大神の十二后の中の皇后であり、豊受大神・天照大神の御意志に沿ってご活躍された、そして今もなおご活躍をされている尊い神です。
日本の神々が願われているのは、和す(やわす)・尽くすの常世の国=ホツマの精神、トノヲシテの復興、平和の維持です。(記紀はその理念を見事にすべて削除したシロモノです。)
そこから外れて、日本の神を語り、神話研究をしてもほとんど意味はありません。
もちろん和す、と言っても、誤った道を歩むことを見逃すわけではありません。過ちは過ちとして糺していくことも大事であり、十分に事情を汲んで、罪を憎んで人を憎まず、という姿勢が大切なのは言うまでもありません。
過ちへの正当な指摘は、対置する意見を提示して、相手に受け入れられやすい姿勢で丁寧な口調で進言・諫言すべきでしょう。
絶対に行き過ぎた個人攻撃は許されません。