3月3日雛祭りと伊勢神宮 天照大神と瀬織津姫
写真は、平成25年第62回伊勢神宮遷宮を前にするポスターです。 写真に写る古殿地に平成25年秋以降、新たな神殿が造替されています。
菊池展明氏の考察『エミシの国の女神』 「伊勢神宮式年遷宮への仮説」「伊雑宮の真の神々と「荒魂」の神」p80〜p102の項によれば、おそらく事実上、藤原不比等の時代に導入された20年ごとの遷宮によって、本来、内宮において、天照大神と瀬織津姫が対等な御関係で祀られていたことが掻き消されたもようです。
本日は、雛祭りであり、同時に、瀬織津姫様のご生誕の日でもありますが、もともとのお内裏様とお雛様の並びは、現在の並びとと正反対です。
昔ながらの有職雛は向かって右側、つまり左に男性のお内裏様、そして、向かって左、つまり右側にお雛様が位置します。
伊勢神宮内宮において、遷宮制度によって、神殿の立つ側と、心の御柱のみが残る古殿地側が、20年ごとに入れ替わります。
しかし、本来は、どちらの場所にも、同じ規模の神殿が常に並ぶ、という形式であったのではないか、というのが菊池氏の推論です。 このことに関しては、伊勢神宮側も、それを肯定するかのような表記をしている箇所があります。
滝原宮について
>
両宮とも皇大御神を奉祀し、同別宮荒祭宮に皇大御神の荒御魂を奉斎する姿の古い形と考えられます。 <
http://www.geocities.jp/miniuzi0502/jinjadistant/mie/takihara.htm
現在は天照大神が内宮正殿に、そしてお名前を歪められ、荒御魂とされて祀られる瀬織津姫が正殿の北西にずいぶんと縮小された規模で荒祭宮として祀られているのです。
ところで、2つの対等な神殿が並んでいる状態が元の形であるとするならば、向かって右、つまり天照大神を祀る神殿の不変の場所であり、向かって左、現在、遷座している神殿は本来は瀬織津姫を祀る不変の場所という意味を持ちます。
いつの時代にか、男神天照大神をなきものにして、后神である瀬織津姫を天照大神にし、もとあった相並ぶ二つの社殿を一つにしてしまい、それにより、大きな空き地ができたがゆえに、そのつじつま合わせ、苦肉の策として、20年ごとの遷宮制度ができたのでしょう。
天照大神と瀬織津姫は夫婦(めおと)神で対等な御関係です。けれども、瀬織津姫様も、『トノヲシテ 瀬織津姫さま言霊リメンバリング』でおっしゃっているように、やはり、男神である、天照大神をより上位の方として崇敬なされています。瀬織津姫様はあくまで天照大神の補佐のお役割であるとおっしゃいます。
このような対等な御関係でありながらも、微妙に相違し、后である瀬織津姫様が一歩お控えされている、というご姿勢が、この写真からも伝わってきます。
つまり、 本来の天照大神の神殿地と、本来の瀬織津姫の神殿地に約2メートル前後の高低差が設けられていることがわかります。
20年ごとの遷宮であるならば、2つの神殿地を対等な高さに造成するのが普通の発想ではないでしょうか。
そうなっていないところに、后神が一歩控えて男神をお引き立てされる、というご姿勢として表れているといえるでしょう。
有職雛の並び方は、伊勢神宮に倣っていると考えられます。
雛祭りのお内裏様とお雛様は天照大神と瀬織津姫、と思われます。瀬織津姫様のご生誕の日である3月3日に祀られるので、女神の祭り、雛祭りとなっているのでしょう。
このことも、先の東京講演で初めてお披露目しました。ここにさらに詳細説明を加えて公表しました。