2007/10/5 | 投稿者: KINOSHITA

 松本市音楽文化ホールからの委嘱作品、最初は山岳詩で有名な尾崎喜八の詩をテキストとして使うつもりでした。品格のある清々しい山の詩は今回の委嘱にぴったりと思っていたのですが、作曲に着手する直前に某出来事があって心理状態が一変。亡くなった者の魂も生きている者の心も救済できるような、優しい鎮魂歌を書きたいという思いが強く起こり、テキストの変更を決定しました。
 
 私はクリスチャンではないので典礼文を使う気にはどうしてもならず、普通の口語詩でありながら生と死を深く見つめた詩はないものかと家中の詩集を全部(たぶん300冊以上)読み返しかえしました。一週間ほど日中は本屋に出掛けるか図書館に通い、家では深夜までソファで詩集を読みあさっていた気がします。このところ器楽作品の作曲が続いていたので、久しぶりの詩集浸りでした。

 ようやく百田宗治、高橋元吉、田中克己、立原道造、村野四郎、中井英夫、滝口雅子、多田智満子、などの心揺さぶられる詩を10編ほど選びだしたのですが、詩ひとつひとつは素晴らしいのに、並べると詩人ごとの文体の違いがどうしても気になってしまう。何度も並べ替えたりした揚げ句、どうしても上手くいかず、中の1人に絞って作品に統一性を持たせることにしました。8人の詩集を再度じっくり読み返したところ、意外なことに立原道造が一番鎮魂の詩が多いことに気づきました。

 立原道造の詩は、10代の終わりに「夢見たものは・・」の歌曲版を書いた(未発表・のちにこれを元にアカペラ合唱曲を作り友人に献呈)ほかは、20代のうちずっと若者向けの甘ったるい詩と思いこんでテキストに使うのを避けていました。30代で「暁と夕の詩」をテキストに組曲を書いたときロマンティックな言葉の奥の独自な世界感に漸く気づき、今回読み返して、この人の成熟期の作品はほとんどが自らの死を見つめた鎮魂歌であるように思えてきました。死を見据えた上で生に対する限りない憧憬を歌っていることが作品に普遍性を与えているんでしょう。青春と詩才の成熟と晩年(なにしろ亡くなったのが26才!)が短い期間に一気にスパークしたんですね。この若さで建築家としても一流の才能を示していたんですから(こっちが本業)天才です。今回は新たなアプローチで立原作品と向かい合えそうでとても楽しみです。
 
 写真は地元公園の松の実。緑のぼんぼんのようなものは、しばらくすると松ぼっくりになるんでしょうか?

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