原発事故がきっかけで昨年6月に会津から九州へ自主避難していた友人が会津に帰ってきました。お帰りなさい!の歓迎会を兼ねて茶房千で仲間たちと集まり、避難中彼が何を思い、何を目指して再び会津に戻ってきたのか聞きました。
以下その中で語られたことを断片的ですが、羅列しておきます。
佐賀に避難した途端に、今度は避難先で玄海原発の再稼働問題に直面し、その反対運動にも加わったが、その中で同じ「反原発」を唱える仲間たちとの間でも何か違和感を覚えた。その理由は何なのか。
避難先で緊急雇用対策によりアルバイトをしていたが、職場の同僚の多くが、社会の雇用システムからこぼれ落ちて(被災者ではないが)緊急雇用対策等で何とか仕事を得、苦悩している現状を目の当たりにし、被災地だけでなく社会全体の衰退をあらためて強く実感した。
そもそも3.11以前の福島は上手く行っていたのか? 単純に事故前に戻ろうというだけで本当によいのか。3.11前の状況も踏まえて、目指すものを見直すべきではないか。
なぜフクシマが起きたのか。その原因は形骸化した民主主義にあるのではないか。自治とは何か。そもそも自治があったのか。
3.11を経験して、福島県民は他の地域と根本的に違う位置・心情に立っている。つまりアフター。他の多くの地域、とくに福島から離れるほどビフォーのまま。ここに避難先で感じた違和感の理由がある。多くの人(特に役人・財界など)はこれからも事故前と変わらない価値観で国を維持していこうとしている。
これから目指すべき経済⇒自給・自立
これから目指すべき政治⇒おまかせ民主主義ではなく本当の自治
アフターの福島の方が希望がある気がした。今後の新しい社会のあり方、ビジョンを皆で考え、できることから実行しよう。例え放射線が高くても「心は絶対に被曝しない」
豊かな自然に育まれたお米・野菜たちってホントに美味しい!
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