2008/12/29
昨夜、身内の行事で最後の歌い終えをしました。
気持ちよく歌えました。
みんなよろこんでくれたので、
こういう演奏を提供していくこともいいなと思いました。
風の谷のナウシカ
上を向いて歩こう
雨上がりの夜空に
誰もが知っていそうな曲。
最近は人前でやらないであろう曲。
そんな感謝すべきみなさんへのお歳暮的な選曲でやりました。
よろこんでもらえるとやっぱりそれはそれでうれしいものです。
今年もジョイントライブやコラボレーションをして
いろんなことから吸収できた1年でした。
共にした演奏者たち本当にどうもありがとう。
来年もいろいろな人と関わって自分を進めていけるといいですね。
また、ライブに足を運んでくださったみなさんにも感謝しています。
どうもありがとう。来年もよろしくです。

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投稿者: 2008/12/29
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2008/12/21
昨日は久しぶりに会う鹿沼市の山間に住む、
ベース弾きの友人宅にうかがった。
フジノさんの奥さん。画家の丘花さんが、
その山間に小さな雑貨店を出したというのでそれを見に行くというのもありました。
店内は、丘花ワールド炸裂です。
古めかしい雰囲気があり、昔の駄菓子屋さんのよう。
置いている雑貨も、
USEDグラスやらドイツ製の動物の置物とか小さな可愛らしいおもちゃ?置物やらエトセトラ.....。
彼女が描いた油絵も飾ってあって、
彼女のさじ加減でセレクトされたものでつくられた世界。
進化するこの世の技術開発なんてものとは無縁の世界は、
僕も期待を膨らませる素敵なところです。
きっと好きな人、特に女の子。いや、女の人ならこういうの好きな人いますね、きっと。
昔の床屋を2人で改築してつくったみたいです。
今更ながら写真の1枚でもとってくればよかったなと。。。
お店の名前を聞くのも忘れちゃったね。
遠いけど、空気がうまいし、しずかでいいところです。
是非興味のあるかたは足を運んでみてはいいかと思います。
場所は↓
栃木県鹿沼市下久我985
道沿いにあるちょっと不思議なかわいいお店です。
今年もフジノさんには企画ライブでウッドベースの演奏サポートをしてもらい、
影ながら支えてくれている寡黙な演奏家の1人です。
こういう人にささえられて僕の音楽はここまで変化を遂げられたんです。
そういうった演奏へ向き合ってくれる気持ちが、ただただありがたい。
それにしても相変わらずマイペースで、
我が道をゆくうらやましい2人は、見ていると微笑ましいです。

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投稿者: 2008/12/21
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2008/12/16
美佳さんの手記を読み、しばらくその余韻が
僕の気持ちを突き動かしているような気がします。
忙しない時間やめまぐるしさに解き放たれると、
ふと、ついそのことを考えてしまいます。
行き場を失った彼女の語りは、怒濤の言葉の嵐だった。
受けとめられずに、読むのが精一杯だった。
結論なんて出ようもないことだけど、とにかく痛みについて考える。
とにかく僕は、今の彼女の状況に触れたかった。
そう思って、勝手に熱くなって先日1つのメールを送ってみた。
すると、数時間後に、彼女から返信がかえってきた。
これは、本当にショッキングなことだった。
被害者からくる何百通ものメールに目を通す彼女から
まさか....僕への答えが聴けたのだ。
今は、迷いながらも、
同じような苦しみをかかえている人々の話に耳を傾けて
ケアをする立場になり、僕からの励ましの言葉を、
しっかりと前向きにとらえてくれた彼女は、
過去の境遇を浄化はできなくとも、
着実にやさしさへと変えていっている気がした。
僕は、音楽が人のこころを潤わすことについて、少しだけ話した。
彼女は、
「わたしもだれかの”音楽”みたいな存在に。」
そう言いました。
そんなやさしく、ちいさく咲いている花もあるんです。

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投稿者: 2008/12/18
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2008/12/13
絶賛、取り組み中。
私が描いた詩ではない詩に曲をつけるのは、
過去にあったかさえも忘れてしまったことです。
私が出したお題に、カリンさんが答えてくれた詩。それに曲をつけるという試みです。
彼女もそうであるように、私にはあたらしい感覚。
私を想定してくれたにしても人の言葉。人の言葉を歌う。
自分の好きなカバー曲をやるのとは似てもにつかない。
それは不思議な気持がわき上がってくるようです。
この休みの期間は休養のようで、実は重要な気もします。
次の活動の思考を左右しかねないからです。
小林美佳という人の「性犯罪被害にあうということ」という本を読みました。
見た目はスラッとして、とてもかわいい人。
人の内面というものは、なかな表面には映らなく、
目に映らない多くのことがある。
自分にいつ降りかかってくるかもしれないことを、
想像してもしょうがないことだけど、
人の痛みを知る。
これも生きてゆく上ではとても大事なことに思えます。

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投稿者: 2008/12/13
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2008/12/7
World Standardというユニットの鈴木惣一朗という人のインタビューに触発されて、ついビートルズの「レコーディングセッション」という分厚い本をアマゾンで購入した。
なぜ今ビートルズ?
でも興味が湧いたものには飛びついておくべきだと思ってつい。
ファースト〜晩期までダイアリーで紹介されているのも興味深かった。
中学の時、友達の家のステレオでビートルズの2枚目ウィズ・ザ・ビートルズの1曲目の「It Wrong Be Long」がなり出したときの衝撃はいまでも覚えています。音楽でグッときたのはきっとあれが初めてじゃないだろうか。。。
それからはアルバムを当時LP盤でレンタルでかりまくって聴きあさったな。英語が得意でなかった私は、レコードからテープにおとしてリアルタイムで聴きながらカタカナ英語を片っ端から紙に書き殴って。
とにかくこれを歌いたかったのを思い出します。
14、15歳の少年に、ホワイトアルバムの奇妙さは感慨深かった。。
未だに聴きたくなります。ラバー・ソウルあたりの初期のやわらかい感じもすきです。
長年連れ添いプロデュースをしたジョージ・マーティンの音楽センスは大きいのだと感じます。
私がレコーディングとライブという二つの大きな違いを感じたのは、ライブ活動を初めて数年経ってからのことです。ビートルズも初期は一発とりなライブ的なテイクが多く、中期はオーバーダブをおおくとりいれた作品が主体。晩期は4人の関係もすさみ、気分を初心に戻し鍵盤に黒人のビリー・プレストンを迎えライブテイク的に一発とりになったようです。これが本のまだまださわりですが、これから読んでみたいと思います。

http://musicshelf.jp/?mode=static&html=special03/index

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