2015/6/28  18:53

妻の49日  

7月6日が妻の49日であるが、3ヶ月になるので、今日6月28日に菩提樹である。岡山県和気町益原に有る、大樹山「法泉寺」に午前10時に予約しているので、8時半に長女の車に便乗し我が家を出発、
9時過ぎに「法泉寺」に到着予定の時間より少々早めに着いたが、供え物の花・果物・和菓子などの御供え物を本尊にお供えをしていると良い時間になり、10時の予定であったが早めの9時45分から始める。
約50分の御経で、その後は墓地に移動、納骨と花・果物・和菓子等をお供えし無事11時半頃終わる。
49日が終わると気分的に落ち着いたのか、精神的にも安堵し、悲しんでいた気持ちも少しは和らぎを覚え楽な気持に変化した。
今後は妻の冥福を祈り日々を過ごしていきたい。

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   妻の戒名「積善院妙行信女」「しゃくぜんいんみょうぎょうしんじょ}です
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参加者私と長女夫婦と次女夫婦に孫4人と簡単に法要を済ませた、長女の2女は東京と次女の長男は勤務で参加できなかったが妻も喜んでいてくれると思う。
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2015/6/27  16:04

法要  

今日午前10時に岡山県和気町に有る、大樹山法泉寺8番講社の方々3名が、明日「28日「日曜日」}が妻の49日で、その1日前に「おかんき」を上げさせてと来てくれた。

先祖が江戸時代からの講社の為、私も8番講社中「日連宗不受不施派」ですが、態々和気から来て頂き誠に有り難い事です、

妻も知っている方が「おかんき」を上げて又冥福を祈って戴き喜んでいる事と思います。

明日は49日午前10時から和気の法泉寺まで出向き、お経の後は、先祖墓に納骨の予定で一応一段落となるが、また寂しさは募るかもしれない。

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2015/6/26  13:46

結婚記念日  

亡き妻「5月19日他界}が生きていれば、今日で55回目の結婚記念日の祝いを、岡山県瀬戸内市牛窓の活き魚料理店で食事を、生前の妻と企画していたが、残念ながら叶う事が出来なくなった。
以前私が船「24F}を持っていた頃、30p近い魚を釣って来た日には、必ず刺身にしてと言っていた。
又瀬戸内で人気のある[ママカリ」12〜14pの小さな魚で、酢付け、南蛮付け、天麩羅、ママカリ寿司と多様に料理が楽しめる魚である。
釣りもママカリが集団でいる時には100〜200匹は、時間にすれば30分もすれば疑似餌で釣れる。
一回ママカリの刺身が食べたいと言う事で、100匹ほど3枚下ろしにした事があるが、時間も一時間以上も掛かりさすがに大変であった、でも食べる時間はあっという間である。
色々妻との楽しかつた日々が走馬灯のように想い出すが、今後は頑張っていきたい。

久し振りに「今日は何の日」

1945年「昭和20年」の今日
国連国際連合の設立が決定、アメリカ・サンフランシスコで開かれた連合国の会議で、50ヶ国が、国際連合憲章に署名する。

1968年「昭和43年」の今日
小笠原諸島が日本に復帰する、戦後アメリカが統括していましたが、23年振りに市政権が返還され、東京都小笠原村となりました。

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2015/6/22  15:55

紫陽花  

妻がこよなく愛した「紫陽花」を仏前に供える。
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妻の事を何時までも忍んでいても、気がめいるばかり、そろそろ毎週の火曜日と土曜日の卓球、健康管理と一時的ではあるが気分転換に練習を始めたい。
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2015/6/18  14:20

訃報  

昨日17日の夕方5時半頃、二人いる私の姉の下の姉の娘{姪}から母が亡くなりましたと連絡があり驚愕、

姉は今年のT月から老人ホームに入居して居り、5月に家内と見舞いに出かけた折には元気にしておられた。家内が死去した時も電話で頑張りなさいと励ましの言葉を頂いたばかりである。

17日も姪が尋ねた折には、元気であり姪も安心して帰宅した数時間後に感染症で亡くなる。ホームを出る時には心拍停止状態であった様で、病院に行った時には手遅れの状態だった。

この度人間の命は儚いものと痛切に感じた、事故で死亡したのと違い、日常平平凡凡と暮らしていてもこんな状態になる

家内が死亡して悲しみが癒えない内に、今度は姉が死亡すると言った悲惨な目に遭うとは思いもよらなかった。

まして通や・葬儀は1ヶ月送れとはいえ偶然にも19日[通や}20日[葬儀}と妻と同じ日である。
姉の家も我が家の家と近く徒歩5分ぐらいで、家内はよく行きしていて、2〜3時間は話し込んでいた程仲よくして頂いていたが、後を追う様に姉が亡くなるとは。悲しみも倍となった。

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2015/6/14  15:44

追悼  

まだまだ悲しみはありますが、何時までも悲しんではいられず頑張らなくてはと。
5月19日妻が他界して、今日で26日目、いまだに妻はと思うときがあります。午前中は2人の娘の内長女が午前の膳を作り、夕刻は次女が献花の水変えと来て頂けるが、日中と夜は1人で、淋しさも増す、テレビで寂しさを紛らわそうと見るが、サスペンスとか時代劇で殺す場面が出ると、訃と想い出す。
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妻が50代後半の頃のスナックでの写真この時代は、好く毎日が充実した楽しい日で有ったと、会話をするたびに言っていた。
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神戸の異人館巡りを車で日帰りで出かけた時の写真で、60代頃である。
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神戸のメリケン波止場から、淡路島い1周のクルージングに、バックに見える風景が神戸市内で70歳頃の写真
此の時の写真が気に入っていたのか、遺言で娘たちに私が死んだら、この写真を遺影にしてと頼んでいた。私は全然知らなかった。

生前の写真を見ていると、その時の思い出が走馬灯のように駆け巡る。

6月に入って5日と12日の金曜日、ギタークラブのレッスン日であったので、休講する分けにもいけず、気分転換に出かけた。生徒たちとのレッスン2時間、お陰でこの時間帯は、妻の事も忘れていたが、帰宅後は灯蘢の電気が付き、淋しく回転して居り、お帰りの声も無い、一気に寂しさがこみ上げてくる。
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