2019/1/26  15:51

諺  

「長寿の心得」
年を重ねるとこんな諺も気になる「w」
「気は長く心は丸く腹立てず口つつしめば命永らえる」と思うが中々そうもいかない「w」

人の世は山坂多い旅の道、命の歳に迎えが来たら。

「還暦」60歳  とんでもないよと追い返せ

「古希」70歳  まだまだ早いと突っ放せ

「喜寿」77歳  そう急ぐな老い楽これからよ

「傘寿」80歳  なんの何のまだまだ役に立つ

「米寿」88歳  もう少しお米を食べてから

「卒寿」90歳  年に卒業はないはずだ

「白寿」99歳  百のお祝いが済むまでは

「茶寿」108歳 まだまだお茶が飲み足らぬ

「皇寿」110歳 そろそろ譲ろうか日本一
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2019/1/25  16:00

ギタークラブ  

1月のギタークラブのレッスン日も今日「25日」で終わり、2月24日の高島公民館文化祭のギタークラブの演奏日に残り約1ケ月となった。

2月のレッスンも3日しかなく仕上げに向けての纏まりをしたい。

昨年の暮れから女性の方で、マンドリンクラブに加入している人が、レッスンに参加しているので、セカンドパートをアレンジ通リに弾いていただける、演奏に幅が出来るので、当日を楽しみにしている。


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2019/1/14  14:30

どんど焼き  

「どんど焼き」無病息災を祈り、良い年を迎えましょう。
近くにある「大神神社」{中区四御神}に婿と一緒に燃やしに持っていく火点けは10時からであったが9時に持参する。

子供のころにはどんど焼きの火にあたりながら、正月飾り、書初め、残り火で、柳の木や細い竹に刺した団子、また餅を焼いて食べる、その一年間健康でいられるなど、無病息災、五穀豊穣を祈願したものです。

毎年1月15日に行っていたが、実施時期は日本全国で、1月14・15日に実施されてる。

言い伝えで子供のころには親から、この火にあたると若返るとか、焼いた団子を食べると病気をしない、虫歯にならないとか、燃やした書初めで紙が高く舞い上がると習字が上手になり勉強もできるようになるといわれていた事を思い出した。

今では小さなお飾りで、玄関につけるぐらい、以前は玄関、キッチン、風呂、トイレ、車とつけていたが最近は玄関につけるだけなので、15日に我が家の庭で焼却していた、今日は久しぶりの神社での行いで有る。
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2019/1/7  14:07

七草粥  

今日は「七草粥」

妻が生前の折には、1時間のウオーキング帰省後、すぐ食べれるように作っていてくれていたのを思い出し、昨日スーパーにて購入してた「七草セット」

5時半からのウオーキグ後「七草粥」に取り掛かる。
出来上がった「七草粥」を先ず妻の仏壇にお供へ、七草に餅と残りのご飯を入れて作る。味付けは私の口にあった調理、
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        仏壇にお供へ
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       出来上がった「七草粥」
汁は粥にと多目にとしていたが、残りのご飯を入れたら汁を吸われ、お粥ならぬ雑炊のようになってしまったが、味は良く美味しかったので良しとした「w」
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2019/1/5  16:32

音楽  

今夜は今年最初のギタークラブのレッスン日です。

高島公民館の文化祭、平成30年度の練習の成果が試される発表会で、平成31年2月24日「日曜日」に午前11時より30分の演奏時間で行う。

レッスンも残り2か月を切り集大成の結果が楽しみとなった。曲数は7曲を演奏するがアンサンブルは4曲、個人ソロは3曲の予定。
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2019/1/3  11:57

和気神社「猪」  

2019年は「猪」の干支
猪と言えば、岡山県和気町藤野の「和気神社」と京都・上京区の「護玉神社」に祀られている。

そもそも謂れは和気清麻呂公が「道鏡事件」により、大隅国に流されたことからから始まる。
その途中、御礼のために宇佐八幡宮に参詣しようと豊前国の海岸から陸路、御輿を進める。
すると、どこからともなく、約三百頭の猪が突然現れて、清麻呂公の前後を守りながら八幡宮までの約十里の道を案内した。

又清麻呂公の足が萎へて歩けなくなっていたところ、猪に案内され「霊泉」に足を浸けると完治し、歩けるようになりそれ以来、猪は清麻呂公の随身、足腰の守護として崇められ、狛犬替わりに「狛猪」が,拝殿前・隋神門前で守護することとなる。

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  和気清麻呂公の銅像「「高さ4・63M」
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2019/1/1  12:06

健康と感謝  

明けましておめでとうございます

又年輪を重ねた2019年「平成31年と元年」
長い人生の中、健康・人に尽くす気遣い・感謝、私の3原則を貫いてきたが、今後も実賎していきたい。

先ず相手を慈しむ気持ちを持って人と付き合うと限りない幸福が持たされると感じる。

この言葉から、仏教では慈眼視衆生という言葉が生まれ、慈眼とは仏像に見られる、優しい眼差しである。

この教えを実践するには、とても簡単な方法がある、私は「ありがとう」という言葉をよく日常生活の中でたくさん使っている。

先ず物を戴いたときとか手伝ってもらったときに「ありがとう」そして、1週間以内にその人と再会したときも「必ず先日はありがとう」とお礼の言葉を言うように心がけている。

中にはこの言葉を無視する人もいますが、尊重するに不信感を覚える。

やはり「ありがとう」という言葉は、私はあなたの事を尊重していますという気持ちを伝えると思うし、人には相手から尊重されたいという心理があるのではないでしょうか。

「ありがとう」の言葉、自尊感情を満たす役割とか、相手は一層貴方のために何かしてあげたいという気持ちにさせられるし、私にも今後様々な幸福をもたらしてくれるかもしれません。
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