2012/10/30

こどもたちへ172  葬儀司会

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実家に泊まりに来て、携帯で自分の顔を撮影するこどもたち

おねえちゃんもいもうとちゃんも「受験生」

来年の今頃は、おねえちゃん大学生、いもうとちゃん高校生です

時が経つのは早いものですね

自分の生きた「証」

大切に思います

元気で明るく健康であればよい

事故のないようにしっかりと見つめ守って参ります

今日の日に感謝しながら
10

2012/10/13

こどもたちへ171  葬儀司会

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おねえちゃん小4・いもうとちゃん小1


「やがて大人になるこどもたちへ」と題して書き始めたのが2005年

師匠のお弟子さんになった年です


久世塾修了証をいただいたのが平成17年9月10日 33歳

あれから7年の月日

おねえちゃん高3・いもうとちゃん中3の受験生です


書き始めたころは週末のほとんどをいっしょに過ごしました

毎週毎週いっしょに寝ました

でも今は…

電話がかかってくることも会う事もありません

こどもたちを手放したのだから仕方のないことですが

秋の夜長に思うことはこどもたちのことばかり

身勝手な父親です


父ありて我が強さあり

というたみちゃんからいただいたフレーズを

マイクでしゃべる私ですが、最近おこがましいような感を覚えます

親を送って半人前 孫を持って一人前 私はまだまだひよっこ

これらの深さを思う今日この頃です


時折、テレビの特集で

非行少女更生

少女薬物乱用

少女売春

等々のドキュメントを見ます

女の子を持つ親は大変ですね

我が子がそうならないようにしっかりと見守っていかなければなりません



こどもたちに正直に遺します

7年前までの私は

飲む買う打つ

男の道楽の限りを尽くすような道を歩んでいました

師・久世栄三郎氏と出会っていなければ

今の私も今の会社の存在もなかったかもしれません

それだけひどかったように思います


酒飲んで車乗ってこどもはねて殺したら君はその親たちにどう詫びる?

たったその一言で私の人生が変わりました





ここに書けない様な悩み苦しみ自分の本性をありのまま、師匠に切々と伝えた過去があります。自分でいけないことと分かっていながら人は流され生きていく動物です。今思えば、師匠にはすべて分かっていたのかもしれません。

会社の金で、朝まで酒を飲み、会社には出たり出なかったり、研修と偽った旅行に行き、夜の世界の女たちと戯れ、社員を力で抑え、私に寄って来る一部の社員を幹部にして、その者たちが私を持ち上げ、所属する団体の経営者たちと酒を酌み交わすことで自分も偉くなったように錯覚する。

怠惰な生活を送っているにもかかわらず、現実を見ようとせず、自分が会社を背負っているんだという根拠のない自信の中で過ごす。社員は、ただ生活があり、家族を守らなければならないという理由で何でも「はい」と言う。それに満足し、自分がこの会社を支配しているという満足感の中で生きる。

日報を見て、自分の望む内容、自分のことを褒め称える社員には手厚いもてなしをし、そうでない社員には「やめろ」と言う。本質からかけ離れ、葬儀依頼を受けると金勘定する。自分の道楽のための仕事。自分を気持ちよくしてくれる社員に囲まれ、いい服を着て、いい時計をして、夜の街で酒を飲むことが自分のステータスだと思い込む。

中小企業大部分の経営者の姿。

悪いと言っているのではない。そこに社員の幸せはない。と言っている。利益が出ているのであれば、たくさんの報酬を得ればよい。でも、会社の金を使うのは違うということ。



こどもに残す言葉として理解いただければ何よりですが、従業員というのは、みな「誇り」を胸に働きたいと願っています。この会社に入れて良かったと思いたいのです。会社のお金を使う時には、本当に会社のためのお金であれば、みな納得し働きます。そうでない時には、働かなくなります。自分が現場のトップとして君臨すること、この人にはかなわいなあ…。と思われること、道理に反しない生き方をすること。

私が師匠の心と共に7年間生きて学んだことです。




結局、思うところあれば独立したら?なんて言葉を耳にし、それは、私が思い決断してすることであり、ちょっと意味合いが違うでしょ?って反論したりする時期もありましたが、理想論を聞かされる側からすれば、かなりウザいし、自分で金借りて自ら立ち上がって、理想論を実行してから言えよ。って思いますよね。だから、ここ数年は、自分の思いは人に言わないようにしております。

煽られると「やってやろうじゃないか!」という性質ですので、気を沈め、静かに冷静にと努めてきました。


そこで見えたものは、みんなで幸せにならんといかん!でした。



私が立つことでみんなが幸せになるのであれば立ちます。

でも、不幸と感じる人が1人でもいるのであれば、私は立つべきでないと思います。

それは、私のこどもを守ってくださった多くの人たちの存在があるということ。

臆病であったり、実際にお金を貸してくれなかったり、冒険するには年齢がいきすぎているであったり、いろんな要素を含んだ根っこの部分もあります。

でも、縁をいただき、出会い、大切に思ってくれるすべての人の幸せを考えて行動することが、私の生まれてきた意味のように思うのです。



この思いは、数年後、大きく変わるかもしれません。

でも41歳の私はそう考えています。

格好つけた、自己弁護のようなニュアンスを含めた、内容がバラバラでゴチャゴチャの文章になりました。でも、これはこれで良いと思います。恥を掻きながら生きましょう。

7年前の自分よりかは良くなっているはずです ̄ー ̄^▽^´з`'_';´Д`TдTT_T

喜怒哀楽を表す。恥を掻く。恥を書く。これはこれで。そんな自分でも、こどもを愛している、ということだけはぶれずに生きています。

ムカつくような表現もありますが、どうぞご海容に…。けいご


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