2013/1/31
こどもたちへ188 葬儀司会
「パパ、今ね、インフルエンザの予防注射に来とんやけどね…。」
「うん、どうした?」
「終わったらね、会社行っていい?」
「うん。いいよ。」
「でね、携帯のカバーをネットで頼んでほしいんやけど…。」
「うん、いいよ。」
「でね、終わったら送ってくれん?」
「うん、いいよ。」
「大丈夫?」
「パパは今日は泊りじゃないから大丈夫よ。」
「わかった!」
昨日の長女との電話でのやりとり。
電話をきった瞬間、喪主様が一言。
「いはらさん、そんな表情もするんやね。」
「えっ、普通と違いますか?」
「うん。すごいやさしい顔になっとったよ。」
そう言われて、顔が真っ赤になっていくのが自分でもわかった。
普段ならお客様の家で電話に出ることはないが、ちょうど、こどもたちの話を喪主様としている途中で携帯がなり「長女からです。」と電話を見せると「出なさい。」と言っていただいたので、出た訳だが、何だか気恥ずかしい感じだった…。
会社に帰ると、私の机に座って、携帯カバーを検索している長女。
しいちゃん(社長妹・事務所責任者)といっしょに「あれが良い。これが良い。」と楽しそうに過ごす我が子を見ながら、ちょっと幸せ気分。
5時半になり、帰る!というので車で送った。帰りの道中、
「2月から教習所行くんやけど、免許取れたら、パパのこの車くれるんやろ?」
「ほしいなら、あげるよ。」
「でもね、本当はルパンとか、かわいいのがいいんよね。」
「それは、自分で働いてお金ためて買いなさい。車は自分で稼いで買う!」
「わかっとるよ。けど、パパの車がなくなることない?」
「パパは会社の軽四のワゴンに乗るから大丈夫よ。」
「えー、けど、なんか悪い…。」
「じゃあ、パパはお母さんの車に乗ろうか?」
「えっ、お母さんはどうするん?」
「お母さんは、最近、歩くのが趣味やけん、車に乗らんやろ。会社にいっつも車置いとるけん、パパが勝手に乗ってもばれん事ない?」
「…。」
「ばれるか。」
「まあ、そん時に考えたらいいやん。」
「そうやね。」
で、家に着いた。
「パパ、ありがとう。またね〜。」
大人になったのか、最近、会話をしてくれるおねえちゃん。
仕方ないので、パパのセルボ君を譲ってあげよう。と思ったのでした。

追記 しいちゃんから指摘を受けました。
「ルパン」ではなく「ラパン」だそうです。
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「うん、どうした?」
「終わったらね、会社行っていい?」
「うん。いいよ。」
「でね、携帯のカバーをネットで頼んでほしいんやけど…。」
「うん、いいよ。」
「でね、終わったら送ってくれん?」
「うん、いいよ。」
「大丈夫?」
「パパは今日は泊りじゃないから大丈夫よ。」
「わかった!」
昨日の長女との電話でのやりとり。
電話をきった瞬間、喪主様が一言。
「いはらさん、そんな表情もするんやね。」
「えっ、普通と違いますか?」
「うん。すごいやさしい顔になっとったよ。」
そう言われて、顔が真っ赤になっていくのが自分でもわかった。
普段ならお客様の家で電話に出ることはないが、ちょうど、こどもたちの話を喪主様としている途中で携帯がなり「長女からです。」と電話を見せると「出なさい。」と言っていただいたので、出た訳だが、何だか気恥ずかしい感じだった…。
会社に帰ると、私の机に座って、携帯カバーを検索している長女。
しいちゃん(社長妹・事務所責任者)といっしょに「あれが良い。これが良い。」と楽しそうに過ごす我が子を見ながら、ちょっと幸せ気分。
5時半になり、帰る!というので車で送った。帰りの道中、
「2月から教習所行くんやけど、免許取れたら、パパのこの車くれるんやろ?」
「ほしいなら、あげるよ。」
「でもね、本当はルパンとか、かわいいのがいいんよね。」
「それは、自分で働いてお金ためて買いなさい。車は自分で稼いで買う!」
「わかっとるよ。けど、パパの車がなくなることない?」
「パパは会社の軽四のワゴンに乗るから大丈夫よ。」
「えー、けど、なんか悪い…。」
「じゃあ、パパはお母さんの車に乗ろうか?」
「えっ、お母さんはどうするん?」
「お母さんは、最近、歩くのが趣味やけん、車に乗らんやろ。会社にいっつも車置いとるけん、パパが勝手に乗ってもばれん事ない?」
「…。」
「ばれるか。」
「まあ、そん時に考えたらいいやん。」
「そうやね。」
で、家に着いた。
「パパ、ありがとう。またね〜。」
大人になったのか、最近、会話をしてくれるおねえちゃん。
仕方ないので、パパのセルボ君を譲ってあげよう。と思ったのでした。

追記 しいちゃんから指摘を受けました。
「ルパン」ではなく「ラパン」だそうです。

2013/1/19
こどもたちへ187 葬儀司会
お父さん、ありがとう
生まれ変わってもまたお父さんの子供に生まれたい…
こどもたちからのメッセージ
3人の娘に別れも告げず旅立った父
そんなお葬式を担当させていただきました
子を思い人生のすべてを家族に捧げた父親
寝顔を見つめながら
奥様とお子様のそばで私は笑みを浮べ座っている
亡き人の思い出話を聞きながらうなずく
遺影写真をいっしょに選んだ
棺に入れるものをいっしょに考えた
いっしょに納棺した
いっしょうけんめい葬儀の司会をした
霊柩車の扉が閉まり
その尊いご生涯に幕がおりる
ご家族と共に火葬場に行き共に遺骨を拾いあげる
震える奥様の手を娘と孫が支え骨壷へ導く
骨壷の蓋を閉じて奥様に手渡す
涙を流している奥様に「しっかりと抱いてください」と言う
うんうんとうなずく
そしていっしょに火葬場を後にする
これが葬儀屋さんの仕事
パパのお仕事は「葬儀屋」さん
長女が幼い頃に何でパパは葬儀屋さんなの?と聞いてきた
答えることができなかった
41才になったパパの答え
パパは葬儀屋さんになるために生まれてきたから…
神様が決めたことだよ
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生まれ変わってもまたお父さんの子供に生まれたい…
こどもたちからのメッセージ
3人の娘に別れも告げず旅立った父
そんなお葬式を担当させていただきました
子を思い人生のすべてを家族に捧げた父親
寝顔を見つめながら
奥様とお子様のそばで私は笑みを浮べ座っている
亡き人の思い出話を聞きながらうなずく
遺影写真をいっしょに選んだ
棺に入れるものをいっしょに考えた
いっしょに納棺した
いっしょうけんめい葬儀の司会をした
霊柩車の扉が閉まり
その尊いご生涯に幕がおりる
ご家族と共に火葬場に行き共に遺骨を拾いあげる
震える奥様の手を娘と孫が支え骨壷へ導く
骨壷の蓋を閉じて奥様に手渡す
涙を流している奥様に「しっかりと抱いてください」と言う
うんうんとうなずく
そしていっしょに火葬場を後にする
これが葬儀屋さんの仕事
パパのお仕事は「葬儀屋」さん
長女が幼い頃に何でパパは葬儀屋さんなの?と聞いてきた
答えることができなかった
41才になったパパの答え
パパは葬儀屋さんになるために生まれてきたから…
神様が決めたことだよ


2013/1/8
こどもたちへ186 葬儀司会
書き出した頃からのブログを読み返した。私も変わったものだ。そう思う…。
※リード・マネジメント
「思いやる、傾聴する、貢献する、信頼する、励ます、話し合う、友好的に関わる」という関係を確立する習慣を自然に使いながら、社員ひとりひとりの願望の違い、意見の違いを、お互いが納得する形で解決していくマネジメント手法。決して強制的に何かをやらせることがなく、すべては社員の自主自立の精神を重んじ、経営者と社員が親友・同志という関係が構築される。
※ボス・マネジメント
組織内に温かい思いやりというものが感じられず、あるのは責任感と義務感だけ。人間関係を犠牲にして、成果をあげているマネジャーがいる会社。人間関係に意図的に苦痛を作り出し、部下がその苦痛から逃れるために考え、行動する曲折したエネルギー(反発エネルギー)によって、成果の実だけを取ろうとする手法。その成果は決して長続きしない。我慢の限界を感じると優秀な社員ほど飛び出して行ってしまう。
様々な会社の存在がある中で、上記のどちらか?と問われた場合は、大抵、後者であると思う。今現在、弊社の渉外若手スタッフは5名。私が育てた優秀なスタッフと言っても過言ではない。礼儀作法に始まり、言葉遣い、仕草、心のあり方を徹底して教え込んだ。それは、葬儀者たるもの!という強い信念のもとに取り組んできた姿勢ではあるが、どちらかと言えば後者のやり方であったと反省している。
一昨年、私のボスが代わった。この人のために!の心情で共に生きてきた「親父」から、長女への代替わりである。相談なく進められたその「代替わり」。その時の心情を初めて書くが、何とも言えない寂しさがあった。納得してはいたものの、自分の時代は終わった。そんな感が非常に強かった。書くことではないかも知れないが、私の愛するこどもたちの母親のことなので敢えて残しておく。
それまでは、私が絶対的な「ボス」。それが、一夜にして、同格だった人物が「ボス」に変わる。半年間を葛藤の中で過ごした。「常務、常務。」と慕ってきた若者が去っていく。私の一言で決まっていたことが決まらなくなる。流れがすべて変わる。この屈辱がどんなものか普通の人には到底わからないであろう。「はい」と言って従ってくれたスタッフたちが、「はい」と言わなくなる。辛かった。私の役目もこれまで。そう思った。
私の性格はちょっと変わっている。生活のためには生きない。生きられないのである。無一文になろうが、誰に何と言われようが、自分が違うと思ったら、そこでは生きない。どうぞお好きに。そんなタイプ。それをエネルギーにかえて、更に高みを目指す。
そんな時、社長に呼ばれた。
「どうする?」
社長の「覚悟」だと感じた。
私の思いを伝えた。
彼女の思いも聞いた。
私は、衝撃を受けた。
私とは根本が違う。生まれながらにして社長になるべき人だったのである。その思いは、前者の考え方。「親父」さんの強さは、男独特の「支配的」な考え方。長女の思いは、社員を思う真っ直ぐな「男性的やさしさ」である。
もう少し、この人を見てみよう。そう思った。その人の先にある将来を見てみたくなったのだと思う。そして、私は、トップではなくサポート側にまわった。良い悪いの評価が今でもあちこちで聞かれるが、そんなことはどうでもよい。私は私の心が感じたまま生きていく。
あれから、約1年半の月日…。
何かが変わったかといえば、あんまり変わっていない。
社員が激減したくらいかな。
でも、みんなが頑張ってくれているのは、社長の「社員」を、「社員の家族」を思う「やさしさ」であろう。それが正か負かは、時と共にわかるであろうが、間違っていれば、直せばいいし、正しいなら、それに色々肉付けしてもっといいものにすればよい。
昨年春、あるスタッフが言った。
「常務、社長が本当に困ったら、俺、給料なくても働きますよ。会社に住んだら、家賃いらないし、米炊いて、野菜炒めて食えばいいんすよ。そん時はそん時でやりますから。絶対どうにかなりますよ。人間は思われたらうれしいし、必ずよくなると信じてやれば出来ますって。」
昨年秋、あるスタッフが言った。
「常務、いざとなったら、私は、家売って、会社に住んで電話番する。何でもする。だから、これからは頑張るから。」
出来る出来ないは、どん底を見てから言う言葉だが、思いは伝染するのだと感じている。私は、社員を部下であったり、駒として見てきた。社長は、社員を「人」として見ている。自分の守るべき「家族」として見ている。
だから、社長も貯金はない…。
君たちの「母」はそんな人であることをこどもたちに残しておく。会社の体質はどうであれ、人として生きていくことが大切だと思う君たちの「父」の心も残して…。
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※リード・マネジメント
「思いやる、傾聴する、貢献する、信頼する、励ます、話し合う、友好的に関わる」という関係を確立する習慣を自然に使いながら、社員ひとりひとりの願望の違い、意見の違いを、お互いが納得する形で解決していくマネジメント手法。決して強制的に何かをやらせることがなく、すべては社員の自主自立の精神を重んじ、経営者と社員が親友・同志という関係が構築される。
※ボス・マネジメント
組織内に温かい思いやりというものが感じられず、あるのは責任感と義務感だけ。人間関係を犠牲にして、成果をあげているマネジャーがいる会社。人間関係に意図的に苦痛を作り出し、部下がその苦痛から逃れるために考え、行動する曲折したエネルギー(反発エネルギー)によって、成果の実だけを取ろうとする手法。その成果は決して長続きしない。我慢の限界を感じると優秀な社員ほど飛び出して行ってしまう。
様々な会社の存在がある中で、上記のどちらか?と問われた場合は、大抵、後者であると思う。今現在、弊社の渉外若手スタッフは5名。私が育てた優秀なスタッフと言っても過言ではない。礼儀作法に始まり、言葉遣い、仕草、心のあり方を徹底して教え込んだ。それは、葬儀者たるもの!という強い信念のもとに取り組んできた姿勢ではあるが、どちらかと言えば後者のやり方であったと反省している。
一昨年、私のボスが代わった。この人のために!の心情で共に生きてきた「親父」から、長女への代替わりである。相談なく進められたその「代替わり」。その時の心情を初めて書くが、何とも言えない寂しさがあった。納得してはいたものの、自分の時代は終わった。そんな感が非常に強かった。書くことではないかも知れないが、私の愛するこどもたちの母親のことなので敢えて残しておく。
それまでは、私が絶対的な「ボス」。それが、一夜にして、同格だった人物が「ボス」に変わる。半年間を葛藤の中で過ごした。「常務、常務。」と慕ってきた若者が去っていく。私の一言で決まっていたことが決まらなくなる。流れがすべて変わる。この屈辱がどんなものか普通の人には到底わからないであろう。「はい」と言って従ってくれたスタッフたちが、「はい」と言わなくなる。辛かった。私の役目もこれまで。そう思った。
私の性格はちょっと変わっている。生活のためには生きない。生きられないのである。無一文になろうが、誰に何と言われようが、自分が違うと思ったら、そこでは生きない。どうぞお好きに。そんなタイプ。それをエネルギーにかえて、更に高みを目指す。
そんな時、社長に呼ばれた。
「どうする?」
社長の「覚悟」だと感じた。
私の思いを伝えた。
彼女の思いも聞いた。
私は、衝撃を受けた。
私とは根本が違う。生まれながらにして社長になるべき人だったのである。その思いは、前者の考え方。「親父」さんの強さは、男独特の「支配的」な考え方。長女の思いは、社員を思う真っ直ぐな「男性的やさしさ」である。
もう少し、この人を見てみよう。そう思った。その人の先にある将来を見てみたくなったのだと思う。そして、私は、トップではなくサポート側にまわった。良い悪いの評価が今でもあちこちで聞かれるが、そんなことはどうでもよい。私は私の心が感じたまま生きていく。
あれから、約1年半の月日…。
何かが変わったかといえば、あんまり変わっていない。
社員が激減したくらいかな。
でも、みんなが頑張ってくれているのは、社長の「社員」を、「社員の家族」を思う「やさしさ」であろう。それが正か負かは、時と共にわかるであろうが、間違っていれば、直せばいいし、正しいなら、それに色々肉付けしてもっといいものにすればよい。
昨年春、あるスタッフが言った。
「常務、社長が本当に困ったら、俺、給料なくても働きますよ。会社に住んだら、家賃いらないし、米炊いて、野菜炒めて食えばいいんすよ。そん時はそん時でやりますから。絶対どうにかなりますよ。人間は思われたらうれしいし、必ずよくなると信じてやれば出来ますって。」
昨年秋、あるスタッフが言った。
「常務、いざとなったら、私は、家売って、会社に住んで電話番する。何でもする。だから、これからは頑張るから。」
出来る出来ないは、どん底を見てから言う言葉だが、思いは伝染するのだと感じている。私は、社員を部下であったり、駒として見てきた。社長は、社員を「人」として見ている。自分の守るべき「家族」として見ている。
だから、社長も貯金はない…。
君たちの「母」はそんな人であることをこどもたちに残しておく。会社の体質はどうであれ、人として生きていくことが大切だと思う君たちの「父」の心も残して…。

2013/1/4
こどもたちへ185 葬儀司会
昨日、会社にこどもたちが来ていました
長女、私を睨み
「ハゲデブゴリラ!」
と言って怒っています…
多分、年賀状のことだな…
と思った私は、普通を装い、
「あっ、来てたの?」
と笑顔で対応
長女、それでも私を見据え
「ハゲデブゴリラ!」
・・・。
次女、横で大笑い。
ガチンコ対決を避けるため、私はロビーでタバコをプカプカ
帰り際、長女、澄ました顔で
「ハゲデブゴリラ」
と言って去っていきました…
次女、ニヤニヤ
だから私は、次女に向かって
「あーちゃん、でか過ぎ。」
「なんなんよ。やけん、パパ嫌い!」
と言って、帰って行きました…
母親、横でニヤニヤ
我が子の後姿を見ながら
僕に似ず、二人とも足が長くて良かった
そう思った1日でした
今年の年賀状、こどもに無断で、写真を使った私が悪かった…
来年からはキチンと許可を頂こう
かほり、ごめんね…
2
長女、私を睨み
「ハゲデブゴリラ!」
と言って怒っています…
多分、年賀状のことだな…
と思った私は、普通を装い、
「あっ、来てたの?」
と笑顔で対応
長女、それでも私を見据え
「ハゲデブゴリラ!」
・・・。
次女、横で大笑い。
ガチンコ対決を避けるため、私はロビーでタバコをプカプカ
帰り際、長女、澄ました顔で
「ハゲデブゴリラ」
と言って去っていきました…
次女、ニヤニヤ
だから私は、次女に向かって
「あーちゃん、でか過ぎ。」
「なんなんよ。やけん、パパ嫌い!」
と言って、帰って行きました…
母親、横でニヤニヤ
我が子の後姿を見ながら
僕に似ず、二人とも足が長くて良かった
そう思った1日でした
今年の年賀状、こどもに無断で、写真を使った私が悪かった…
来年からはキチンと許可を頂こう
かほり、ごめんね…

