コリアン・マイノリティ研究会 第92回 月例研究会
報 告:「無国籍者として生きてきて」
報告者:丁 章(チョンヂャン)さん(詩人・無国籍ネットワーク)
日 時:6月22日(水)19:00〜21:00(日時にご注意!)
会 場:「・オリーブガーデン・」(電話 06-6328-5969)
交 通:阪急京都線「淡路駅」東出口下車、東へ徒歩5分(カエルの看板が目印です)
*大阪市東淀川区菅原5-3-10
(地図検索
http://www.mapion.co.jp/m/34.73629721_135.52297499_10/)
資料代:500円 / 高校生以下無料(どなたでもご参加いただけます)
★資料準備の都合上、必ず参加申込をお願いします。
要 旨
:私は「朝鮮籍」の在日サラムである。その立場を生きてきた経験をもとに、無国籍を生きるということについて語る。
日本の外国人登録における「朝鮮籍」が、じつは「無国籍」であるということを知る人は決して多いとはいえない。「朝鮮籍」という無国籍状態が発生した歴史的過程は、朝鮮半島が日本帝国の植民地であった時代に朝鮮民族が持たされた日本国籍を、日本の敗戦後、在日朝鮮人が失ったことから始まる。本来無国籍であるはずの「朝鮮籍」は、その後の朝鮮半島の南北分断によって、「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)籍」と誤解されることが多くなった。今なお、誤解の多い「朝鮮籍」について、その認識を確認したい。
また、「朝鮮籍」の在日サラムは、この日本列島の地において無国籍状態にありながら、日本の住民としての権利を獲得してきた。そして現在は「特別永住」という在留資格を持つに至った。日本国という国民国家の統治下にあるこの列島の地を生きるうえで、国籍の有無よりも、在留資格の有無が、より重要であるということを、無国籍ネットワークでの活動を通して知ることができた。そのことの意味について考えたい。
私が無国籍者を生きつづけるのは、二つの想いからである。一つは祖国統一への想いであり、もう一つは近代国家国民としてではない新たな人の生き方の可能性への想いである。
国家や国籍が存在する限り、無国籍者も必ず存在しつづける。国家や有国籍の視座から無国籍を観るだけではなく、無国籍の視座から国家や国籍を観ることの大切さについて考えたい。(丁 章)
プロフィール
:1968年、京都市にて出生。大阪外国語大学2部中国語学科卒業。現在、大阪府東大阪市在住。エッセイ集に『サラムの在りか』 (2009)、詩集に『闊歩する在日―丁章詩集』(2004)・『マウムソリ―心の声』(2001)・『詩集 民族と人間とサラム』(1998)がある(いずれも新幹社刊)。
★終了後、屋外で懇親会を開催(参加費別途、雨天の場合は屋内で開催)。
主 催:コリアン・マイノリティ研究会
http://white.ap.teacup.com/korminor/
大阪市東淀川区菅原5‐3‐4 陰陽連絡線セッパラム文庫内
masipon@nifty.com / 090-9882-1663

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