2018/12/22 | 投稿者: クロちゃん

2006年1月14日 3名

 城山は熊倉山の前衛として、荒川白久〜日野の間にひっそりとその山容を映し出す。低山ハイクにはもってこいのコースだ。前回、不覚にも道迷いの末、沢に降り立つという失態を演じ、挙句は下山した地点が予定場所と異なり完全な方向音痴に陥ってしまった。今回はそのリベンジである。前回残した謎を解き明かさねばならないという使命感に駆られての山行となった。
(うむ、前書きは決まったな。)

秩父鉄道武州日野駅を過ぎた先を左折して、寺沢集落手前の駐車スペースに車を止める。ここら辺はイノシシ除けのためだろうか、山側にネットが隙間なく張ってある。近年、イノシシや猿等の野生の被害があちこちで叫ばれている。これもその対策だろう。しかし、野生動物だけが悪いのではないと思う。無用と思われるような林道開発が奥地まで続いた結果、山に食料が不足となりやむなく人里に現われたのに違いない。野生動物達も、最初は恐る恐るやってきたのだ。それが、一回味を占めると大胆になり、平然と人里の畑を荒らすようになったのだ。人間を恐れなくなり、遂には人間を威嚇するまでに至ったのだ。

さて、そんなネットの張り巡らした山側に一箇所だけ人間が通れる場所がある。今回はここから山にとり付く計画だ。前回の謎解きには逆コースこそが早道である。本当にここから入っていいものだろうか。多少の不安と後ろめたさを感じて山へと分け入った。しばらくは明瞭な道が続くが、すぐに植林の伐採地となり、伐採した樹木が道をふさいでいた。倒木をかわしながら登る。道を見失ったら、またも道迷いの二の舞になるので用心深く登った。

一汗掻いた頃、尾根筋に出た。ここで、前回のルート誤りを確信した。今回のルートからは明瞭な道であるが、白久側からは見誤り易い場所であった。これで、今回の目的があまりにもあっけなく達成された訳だ。あとは、ほとんど一本道のルートを歩けば良いだけである。

城山に至るまでに急登2回、ルート踏み外し?1回があった。やはり、一本道と思っていても油断してはいけない。この時期の道は枯葉が堆積していて滑り易く、道も隠れている場所がある。ほとんど歩かれていないコースだけに慎重に進むべきだ。

城山は、植林で昼でも薄暗い。そんな場所であるが、何百年の時を経て今も残る空堀を見つめると、遠い戦国時代の情景を思い浮かべる。平坦な城跡を抜けると明るい雑木林に出た。ここは格好の昼食場所でもある。時間もちょうど昼となったので、迷わず昼食休憩とした。
雑木林で座り込み昼食時間を過ごしていると、頭に異変を感じた。積年の功か、進化いや退化した私の頭は、誰よりも先に雨を感じ取る能力が身についている。ここまで我慢していた空がとうとう泣き出した。「お願い、もう少し泣くのは待ってね!」と天に祈りこの場所をあとにした。

城山から白久に至る道は遊歩道である。整備された道に急な階段が設けられ、快適に進む。心配した空も何とかこらえていてくれる。幾つかのアップダウンを過ぎるとやがてテレビ中継塔に出る。ここからは下り坂だけである。
車道に出る手前で、遂にこらえられなくなった空が泣きだした。それも大粒の涙である。車道を足早に白久駅にと向う。これが、後に良い結果となったのである。言いかえれば、幸運の雨だったのかもしれない。

白久駅に着くと2〜3分程で電車が来る時間だ。荒い息も治まらないうちに切符を買って電車に乗り込む。駅のホームには乗客は私達3人だけだった。電車の中の一車両は3人の貸切です。一駅で武州日野駅に着く。ホームに降り立ったのも3人だけでした。雨の中を車を止めた場所まで歩く。傘を差すほどでもないかと思ったが、車に着くや否や本降りとなった。この時期にしては相当の量の雨である。

白久駅手前で雨が降り出さなかったら、早足で歩かなかっただろうし、電車は次の時刻のものであったろうと思う。そして、一電車遅れて乗っていたら本降りの雨の中を歩かねばならなかっただろう。そういう意味では車道に出る前に降りだした雨は、正に幸運の雨だったのだ。
今年も幸運、強運、悪運の強い1年になりそうだ。

ここが一箇所しかない入口だ。
ただし、太っていると通れないよ
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城山は植林で昼なお暗い。できるなら伐採して欲しいな…。
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昼の料理番組
今回は、カップ麺にリゾット、タンに漬物・チーズ
和洋中華何でもあり
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遊歩道の階段。
良く整備されていて快適でした。
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2018/12/22 | 投稿者: クロちゃん

2006年1月7日 2名

「関東管領山内上杉の家老長尾員賢の死後、山内顕定は員賢の弟忠影を家老とした。
しかし員賢の子景春はこれに不満を持ち、文明6年(1474年)主家山内家に反旗を翻した。
これを知った扇谷上杉の家臣太田道灌は文明10年(1478年)には景春を鉢形城から追い出し、文明12年6月には景春の籠る熊倉城を攻め、ついに景春を降伏させた。
熊倉城には井戸がなく、谷津川上流より引水していたが、城攻めの折発見され落城したと言われる。また日野、白久にはこの熊倉城に関する伝説も多く残っている。
熊倉城跡は平地面積11,446平方メートル、二条の大きな空堀や、多くの土塁の跡がうかがえる山城である。城跡の外周は急斜面がほとんどで、まさに要害の地であったと思われる。

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 城山ハイキングは2月の例会山行の予定があり、下見と称して出掛けて見た。このコースは2004年の秋に歩いていたのだが、入口がよく解らないこともあって念のための下見と、正月にグウタラ生活を送っていたので体力強化を兼ねての思惑での山歩きとなった。

入口は簡単に見つけることができ、手前の道路脇に駐車スペースを見つけて歩き出す。気温は低いが早春の陽射しは思ったより強く快適である。よく整備された散策路を登る。階段が設けられていて高度をグングン稼ぐ。テレビ中継塔で一休みしたあとアップダウンの続く幾つかのピークを越えると熊倉城跡に着いてしまった。「こんなに早く着いたっけかな〜。」以前の記憶からはもう少し時間がかかる気がしていたが、あっさりと着いてしまったというのが実感である。それにしても、ここも植林が多く鬱蒼としていて暗い。願わくば、こんな植林は全部伐採して展望を叶えて欲しいものだと感じた。そうすれば、秩父の観光名所にもなるのかもしれない。
ならないか……。
昼には早い時間なので先に進むことにする。

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尾根沿いに進むルートで秩父の山並の景観を楽しみ、陽だまりの昼食場所を見つけ少し早いが昼食休憩とした。今日は七草で七草粥を食べる慣わしがあるが、我々は七草ラーメンで良き習慣を堪能した。モチも焼いてラーメンに入れたから本当は「七草雑煮ラーメン」なのかもしれない。そういうのってないかもしれないから新しいネーミングなのかな?
しばしの山の贅沢を楽しみ再び歩き出す。所々に先人が付けた目印のテープがあり道案内してもらった。

ところが、いつの間にか目印のテープは途切れ、ルートを踏み外してしまった。いや、迷い易い箇所に頼りの目印テープがなかったのだ。踏み跡らしきものが散乱しているところでルートを誤ったのだとこの時は思った。山の急斜面を降りている途中で、送電線の鉄塔が目に入る。あの鉄塔がルートだと思い、鉄塔目指して進むのだが、一端沢筋に降りないと行けない。道迷いで沢に降りるのは遭難の典型的なパターンだが、目の前にある鉄塔に辿り着くには最短のルートなので躊躇なく流れのない沢筋に降り立った。ここから急斜面を登り無事に鉄塔に着いた。鮮明な道に出てホッとひと安心。
どこでルートを間違えたのか、鮮明な道を戻り間違えた地点の確認に行くことにした。10分くらいで間違えた地点に到達した。そこは、踏み跡が散乱していた場所だった。「やっぱりなぁ」と思い、この場所を頭に焼付け正しいルートを辿る。鉄塔からは「コースはこっちよ」と親切に目印テープが頻繁にある。

もう僅かで終点の地点で、カタクリの自生地に着いた。以前来たときにはこんな場所はなかった。左手に車道が見える。以前歩いたコースには見覚えのない道路だ。「???……。」で車道に出る。「武州日野駅は左だ。」「乙富士山まできてしまったのかもしれない。」などと思案しながら歩いていると「道の駅」の案内版。続いて武州日野駅は逆方面の記した道標が目に入る。完全な方向音痴となってしまった。

今まで歩いてきた車道を戻り武州日野駅で電車に乗り白久駅まで戻ったが、釈然としない。確かに一端はルートを誤り道を見失った。しかし、正規のルートを見つけ出して確認に戻っている。ほとんど一本道なのであるが、予定していた場所とは違う場所に出てしまった。謎だ。不思議だ。このままでは眠れない。
この謎を解くために、近いうちに逆ルートを辿って歩くことを決めて、帰路に逆ルートの入口を確認してから温泉に向った。

コース 登り口9:15 … 9:40テレビ中継塔9:45 … 10:15小ピーク10:20 … 10:40熊倉城跡 … 11:00昼食12:00 … 13:30車道 … 13:55武州日野駅14:12発三峰口行き電車に乗車

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2018/12/22 | 投稿者: クロちゃん

2005年12月24日 3名(キイくん、キヨちゃん、クロちゃん)

 御岳山と言うと、もちろん木曽の御岳山を連想する訳だが、秩父にも御岳山がある。しかも、秩父御岳山は、なんと木曽の御岳山を開山した普寛上人が開山したもので、秩父御岳山と木曽の御岳山は兄弟山と言えるだろう。普寛上人は秩父市大滝の落合出身だというから正に本家本元だ。

ところで、普寛上人ってだれ?
だからぁ!
普寛上人は江戸の中期、秩父市大滝の落合集落で生まれ、木曽御嶽山の王滝口を開いて関東に御嶽講を広めた人です。
それ以上のことは知りません!(きっぱり<(`^´)>)

贄川の登山口へ向う途中、朝から曇っていた空から雪が舞い出した。その雪は登山口に近づくに連れて密度を増し、道路も薄っすらと白くなっている。
「え、おい、話が違うじゃないか!」
「テレビでも、インターネットでも、ラジオでも今日は晴れマークだって言ってたじゃないか!」
登山口でザックカバーを着けて、スパッツも着けて、雪雲が被った奥秩父連山を恨めしそうに眺めて歩き出す。もちろん、登山届は提出しています。

しばらくは登りであるが、やがて平坦な道となる。先程までの雪雲もどこかへ消えて晴れマークとなってきていた。
「やっぱり、普段の行ないが良いのよ!」と、天候快復は自分の手柄とする。

植林地の中の歩きではあるが、平坦な道は楽である。楽すぎて汗も出ない。このコースなら誰を連れて来ても、辛い・苦しい・疲れたなどの不平不満は出ないだろうと思う。それくらい快適な登山道である。

タツミチの尾根に出た時、冷たい風が強く強風となった???あまりの寒さに持っている防寒着を着込む。ここからは、緩やかな登りにやがて平坦な道。そして、頂上直下の最後の登りをルンルンと登りきれば頂上であった。前方に両神山を中心に清々しいパノラマが広がった。そういえば、ここまでくる途中から観た武甲山も凛として悠然な姿を見せていたっけ。秩父方面の景観も素晴らしい。

頂上は陽だまりで風もなく心地よい。しばしの休憩のあと、昼食場所探しとする。昼食場所は強石方面に少し下った林の中に絶好の場所があった。平坦な広場で日も当たっている。風も大丈夫そうだ。
「良い場所だなぁ…。」と座り込む。
お湯を沸かしてワンタン、ラーメンと温かいものを作っていると、冷たい風に雪雲まで出現して陽をさえぎる。追い討ちをかけるように雪が舞いだす。
「さぶい……。」(~_~)
あまりの寒さに手がかじかんだ。しかし、食い物に対する執念と根性を持ち合わせている我々は、寒さに負けじと約1時間の休憩時間を過ごした。
昼食が終わる頃には再び陽射しが戻る。さて、下山だ。ここからの強石へのコースは痩せ尾根が続いているが、トラロープが両側にあり安心感がある。

杉ノ峠の休憩所の建物は倒壊していて痛々しい姿であった。そういえば頂上付近の建物も倒壊していたなぁ。落合方面への分岐と別れを告げて強石目指して下る。下りにルートをとっているから良いが、登りに使うのにはちょっとシンドイ坂であると感じた。
やがて、強石の集落から強石バス停のある国道に出て、車道をテクテク歩く。いつもは車で走る道なのだが、歩いていると車では気づかないものも発見できて楽しい。

秩父御岳山は古池の登山口方面からと落合方面からも林道工事が進んでいて、いずれ車で登れる?山になってしまうのかも知れないと思った。自然が失われて行くようでちょっと寂しい感じである。また、車が入ることで人が増え、ゴミが増えることを憂いた。

武甲山の横顔
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頂上には小さな神様が祀られていた
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神社の裏手は展望がよい
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昼食場所とした陽だまりの林
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コース  登山口8:40…9:45植林の中の登山道(休)9:55…10:40タツミチ…11:20山頂11:35…11:45平坦地(昼食)12:45…13:40杉ノ峠(休)13:55…14:20強石集落…14:40強石バス停…15:10登山口

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