2006/3/20
大変化
到る
新たなる地
生まれし
ひと成れよ
此の地の 皆
自適さん頼みましたよ。
2006/3/20
自適様へ
平成18年3月20日
1月28日のブログを読ませて頂きました。御食神のことが書かれていてびっくりしました。私が気比神社に行って来た翌日に目がおかしくなって(あれは脳に異変が起きたのだと言ったのは主人です)、その後自適さんに出会えて・・・そうそう気比神社へはここから直接行ったのではなく、東京の友達と食事会(ランチ)があって、その会場は皇居二重橋のまん前の東京會舘というところでした。食事が終わって皇居を散歩しています。
岡山から夜中3時に出発して、東京到着は翌日12時半、夕方6時までお話ししたり、皇居散歩したりして、次の福井へ向かい、翌日10時頃に気比神社に到着という流れです。気比神社には菊の御紋があり、りっぱな構えの神社でした。私が行ってみてよかったと感じたのは、やはり神様に呼ばれて行ったとの実感がありました。というのは本殿よりも、裏にある末社の「伊佐々別神社」(伊奢沙別命)でパワーを感じました。
それと同じパワーを土公でも感じました。同じような体験は京都貴船神社でも経験しています。最初に神様が降臨されたところと、今ある本殿は必ずしも同じではないということですね。
ずーと私が来るのを待っていて下さった感じがありました。何かに包まれた感じでした。それはとても温かく優しいものでした。目には見えませんが、とてもいいものを頂いたと思います。今考えると、皇居に行ってから気比神社に行くようになっていたのかもしれません。
空には龍がいて見守ってくれていました。その龍と目があって、とっさに感謝の言葉が出ていました。岡山に帰る途中で、京都にある私の信仰の聖地を参拝し、今回のお礼のお参りをしてきました。
途中で実家の両親に会って、旅の色々を報告してから岡山に戻ったのは深夜12時近くになっておりました。下の娘(3歳)は連れて行ってたのですが上の娘(14歳)は自分で何でも出来るので、学校もあって置いていっておりましたが留守番頑張ってくれていました。
皇居に行くつもりはなかったのですが、結果友達に誘われ皇居の地を踏んでいるんですよ。友達には神様の存在の話が出来て、私の信仰にも興味を持ってくれて、とても嬉しかったです。自適さんのブログを読んでいて、すべてが神様の計り事の中で回っているんだと実感しました。1月28日のブログを読まなければ、ここまで
考えられませんでした。やはり天皇家、ユダヤ、古代神々のことをもっと勉強をしなければならないでしょう。いつかは見真実を使えるようにならないといけないと言われています。
天津金木のことも気になります。これも自適さんのブログにありましたね。あのような黒い棒が出てくると思いませんでした。きっと紫微斗数とか破軍星とかが関わっているのだと思っていました。私が一歩づつ近づく努力をしていれば、また神様が機会を作って答えをひとつづつ下さるでしょうね!
最後に、なぜ気比神社へ行ったかというと、私がまだ学生だった頃に伯母が「御食津大神さんがたかちゃんのことをすごく気にかけているけれど、何か関係があるのか?」と母が聞かれたそうです。母は思い当たることがなく、「何もない」と答えたそうです。伯母は神様の声の聞こえる人だったので、(我が家はそういう人が多かったのであまり不思議なことではないのです。母は手が勝手に動いて神様の言葉を書いていました)私はそのことが気になりながら大きくなりました。私が今の信仰に入り、どんな使命があるのかを見定めるためにはこの御食津大神様のことを知らないと始まらない気がして、ルーツを探っておりました。
どうも応神天皇と繋がります。応神天皇は私が信仰している教祖の前世が応神天皇であることがわかっています。
まだまだはっきりは見えませんが、きっと見えてくるのだと思います。数日後にはきっとこの答えが出てくるのでしょう。楽しみにしておきます。
また自適さんのブログより学ばせて頂きます。
長々とお読み下さり、誠にありがとうございました。
マヤ
追伸 うちの教祖が「私が神を拝まぬ理由」ということを言われていましたけど、自適さんもそうなのではないですか?自適さんに報告することは何だか神様に報告しているみたいに感じます。自適さんは神様??かもしれませんね!謝謝!
今、ふっと思ったのですが、皇居で何か霊的な預かり物をして、気比に届けるという魔女の宅急便のような役割に私がなったとか??ちょっと考えすぎですか?(笑)長距離運転がまったく平気な私ならではの仕事かと思いました(笑)これは冗談です。失礼しました。
2006/3/20
みすず・美鈴
18・3・20
今日は、私には「レコード」と「文字」が映し出されて来て、宇宙と人間の関係性が示されたが、田記さんには、人の姿と音で、宇宙と人間界の関係が示されて来ている。
其の内容は、真珠色をした霧が立ちこめる天空から、釈迦牟尼佛らしき人物が先頭に立ち、後ろが見えない程の神霊達が一列に並んで居て、何とも言えない声明らしき音が、大きく響いていたとの事で、起きてからも、其の音が胸の中で鳴り響き続けているとの事である。
其れは、男性の私のメッセージには、人間が使用する道具や文字で現われ、女性の田記さんには絵と音で、向こうから、沢山の神霊が遣って来る映像が映されている。
私と、田記さんに来るメッセージは、内容的には同じ意味らしいのだが、田記さんには、魚の卵や、馬や、神様等が、沢山向こうから自分の方に訪れる映像で、私には何時も、文字や人間が使う道具の形で映像が来る。
其の事から、理解出来る事は、男性と女性の脳の構造や、意識の組み立てが違っているので、同じ情報源からのメッセージでも、内容が違って受け取られる可能性を、秘めている事が理解出来る。
其の、性的意識の違いから、男性と女性の、潜在意識の違いも生じている。
例えば、中国の秦の始皇帝は、モンゴルの騎馬民族が、定期的に宝物や若い女を盗りに来るので、万里の長城を造ったが、女性が政治の実権を持っていれば、もっと違った関係性を、構築したものと考えらえる。
中国が砂漠かしたのも、万里の長城に使用する為の、レンガを焼く為に、木を薪として切り尽くしたからだとも云われている。
女性中心の社会なら、中国には、未だ緑の森が残されていたかも知れないのだ。
女性は、受け入れ型の思考だから、他国の男性が攻めて来ても、巧く対応するだろう。
しかし、男性は、自分達の文化や物を護ろうとして、あらゆる物質的な対策を採ろうとするのである。
其れは、女性は、優秀な子孫を残す事が出来れば、他の条件はあまり重要ではない事を示している。
それは、DNAの本能がそう成っているのだから、しかたがないのである。
今朝の中山博さんのメッセージも、文字や祭器の絵である。
文字の「美鈴」は、神社で使う鈴であり、お寺の僧が、経を唱える戒壇の上にも、沢山の鈴が着けられている。
御鈴と祭器は、人間と神霊界を繋ぐ儀式に、欠かせない物である事を告げて来たのだろう。其の事から、中山博さんも、男性の脳と意識を有している事が判る。
中山博さんの絵を見ると、文化を発展させて来たのは、確かに男性だと言う理・ことが理解出来る。
若し女性が、中心に成って社会を組み立てて来ていたら、戦争も無い替わりに、道具や文化の発達が、無かったであろうと思われる。
何故なら、現在の携帯電話を始め、飛行機や刃物まで、全部戦いの為に開発されて来た物ばかりだからである。
今回の未来社会創造は、これ等の理を良く熟知した上で、組み上げろとの事であろう。
今朝の、三人分のメッセージを合わせると、愈々新しき世界が始まる事が示されて来ており、中山博さんのメッセージには、渡邊さんに「一歩前進しろ」とも、出て来たそうである。
渡邊さんは、テレビ番組のプロデュサーを行っていた方だから、其処のところは良く理解して居られるであろう。
日本の「惟神・かんながら」の世界は、云ってもいけない。訊いてもいけない。見せてもいけない。の世界である。
其れは、皆が、自分の運命・ミコトを持って来ているので、他人の真似をしたり、自分の遣り方を、他人に教えてはいけない決まりの世界である。
唯 教えて良いのは、禊ぎ祓いの必要性だけである。
皆が、自分の罪穢れを祓い切れば、自分の役割が明確に成り、自分の役割が明確に成る事で、他人の役割も見えるように成って来るのである。
其の禊に必要な物として、祭器道具が在り、其の世界に入る事が出来れば、美しい声明が聴こえて来るのである。
そして、言葉や文字の大事さも、悟る事が出来るのだ。
そして、必要な人材が全部揃った事を、皆が理解出来たトキが、其の侭「ことあげ・言挙げ」の時なのである。
愈々、其の時節が到来したと言えるだろう。
平成18年3月20日
礒邉自適

2006/3/20
キリストの言葉
18・3・20
今朝は、映像が送られて来た後、「キリストのことば」と出て来た。
朝、事務所に出て来て、広辞苑で「キリスト」を調べると、次の様に載っている。
「キリスト(Christo ポルトガル語)」(元ヘブライ語のマシーアハ(ギリシア語形メシアス)のギリシア語形)「油を注がれた者」の意。古代ヘブライ時代で王や祭司や預言者は任命に際して頭に油を注がれ、後にイスラエルを救うために神が遣わすべき将来の王の意となる。キリスト教ではイエスを人類の罪を購(あがな)うために神が遣わしたキリストと信じる。
ウィキペディア辞典 現在記載
それからすると、「キリストのことば」とは「神に選ばれた 将来の 王のことば」の意味となる。
今朝の映像に、其の意味が、含まれていたのだろうか。
今朝の映像は、堅固な丸い形の物が、光りの中に一枚だけ有り、濃い紫色から、赤黒く変色して行くのが映り出された。
次に、地面から「祝詞の言葉」が天に向かって上がって行くと、空から「神の言葉」が逆さまに降りて来て、両方が合わさった接点に、黒い横線が出来た。
其れは、細い鉄棒の棒が長く伸びていて、上下の言葉を吸い込んでいると、説明すれば理解して貰えるだろうか。
そして、其の黒くて細い横棒は、レコード盤の淵を横から見ている形であり、真上から見れば、丸いレコード盤が回りながら、上下から流れて来る言葉を、レコード盤に記録している事になる。
其の盤の回転は、上・神から見れば左回転だが、下・人間から見れば、右回転である。
始めに現れた、一枚の丸い物は「レコード盤・DVDデスク」で、宇宙の情報を、全部記録する物である事を意味していたのである。
そして、次の映像は、地球の現実世界を、私が動いている場面が幾つも現れた。
@ 前の夜に飲み過ぎた様で、自分が何処で朝を迎えたのか判らない。
A 知り合いの、レストランを経営している人が、私を呼び止めて昼飯をご馳走してくれたのは良いのだが、私がゆっくり食べていると、食べ終わらないうちに途中で片づけてしまった。皆忙しいので、掻き込んで食べて済ましたらしいのだ。
B 川に行って貝を調べていると、食べられる貝と、寄生虫がたくさん中に居て食べられない貝が居る場所との区別が判った。
C 車で移動するのに、途中で人に道を尋ねると、間違って教えるので、カーナビだけで目的地に向かう事にした。
これ等の映像の後に、「キリストのことば」と出て来たのである。
今朝のメッセージは、人間の祈りの言葉と、宇宙の意志である神の言葉が、同じ「アカシックレコード盤・DVDデスク」に書き込まれる事が示され、其の事に参加する役目の人は、次の様な行動をしている者は、タッチしてはいけない理を示して来ている。
@ 生活が乱れていて、自己管理が出来ていない者。
A 日常の暮らしに追われて、時間的な余裕が無い人達。
特に、客相手の商売をしていて現場の事が、頭から外せない人。
A 自分の意識の中に、イデオロギーや宗教や哲学等、人間自身が考え出した
意識がインプットされていて、自分の脳が、他人の情報で侵食されている人。
其れに、汚い水を飲んだり、生活に使っている人や、川の水を汚染している人。
C 自分の人生を過ごす、旅の情報を「宇宙・神」から直接受け取るのではなく、他人の情報を鵜呑みにして行っている人。
等、是等の条件下に在る者は、キリストには成れない事を伝えて来ている。
逆に、これらの条件をクリアすれば、誰でも、キリストに成れる条件下に在ると言う事になる。
しかし、神社の宮司や、寺院の管長、其れに教会の神父等の役職に在り、多忙な人達は、其れを辞めない限り、無理である理も分かる。
要するに、完全に自由で、神の意識と同時に、レコード盤の情報の舞台に、上がらなければ成らないのである。
此の理・ことを、理解出来た者は、誰も、神社や、寺院や、教会には行かなく成るだろうし、例え行ったにしても、其処に働いている人間の言う事は、信じなく成るだろう。
しかし、私の知り合いには、私の謂う理を理解している、神主も、僧侶も、神父さんも居るので、全部が全部と言うわけではない事は記して措く。
さて、「キリストの言葉」に戻ると、キリストだったと伝えられている「イエス(ユダヤの神官達は認めていない)の言葉に、「貴方達は あの山は 絶対に動かないと意っているだろう。だが 私が動いて海に入れと云えば 動いて海に入るのだ。」とある。
其れは、佛教の「色即是空・空即是色」の理と、同じ意味を説いているのである。
此の世界のあらゆる存在は、宇宙の「情報・縁」で組み上がっている物だから、真実は「宇宙・神」の意志下に在り、此の現象世界は仮の物であるから、神が其の必要を感じて、私の舌を借り、あの山に「動いて 海に入れ。」と言葉にすれば、神自身の意志に於いて、其れは現実としてそうなるのだ。との意味である。
其れが、神に選ばれた者の意味である「キリスト・王」なのだ。
其の、神に選ばれた者の言葉が「キリストの言葉」である。
日本語では「ものごと」との単語がある。
其れは「事が起きるのは 言葉が元」との意味を含んでいる。
誰かが言葉を発するか、言葉を文章にして見せなければ、物事は起こらない。其の、物事を興す言葉を云う事が出来る、一番の地位が「スメラの命・ラーの神官」なのである。
今朝は、愈々「チャクラヴァルティン・転輪聖王(てんりんじょうおう)」のお出ましが、近い事を告げて来たのだろう。
明日は、弘法大師空海の1171回目の命日である。
だから、言葉・真言・マントラの意味を伝えて来たのだろう。
明日3月21日は、私が、出雲で初めて教室を開いて、丸8年目と成る日である。私の言葉も、少しは真実を打つ力を得て来たのであろうか。
平成18年3月20日
礒邉自適
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