2006/3/24
表裏一体
18・3・24
「シンメトリー・symmetry」と言って、人間の左右対称のバランスを説明する言葉が有って、其の理を否定する者はいない。
「心身」との言葉も有って、心が有る事も、皆が漠然としてではあるが、認めている。
だから、もうすこし意識の世界が、裏表に成っている事も、認めるべきである。其れを、社会的に認めて、公の場で研究しない限り、偽宗教家に騙される被害者は、あとを絶たない。
私は23年間、此の、目には見えない世界を、肯定して生きて来た。
其れは、お金や、花が、空間から生じたり消えたりしたりする事や、急に、別な世界が其処に現われたりする事を、体験したからである。
其の様な、不思議現象が起きなければ、私も、他の人々と同じく、神の存在を、今の様には信じなかったであろう。
私は、其の、神の世界を信じて20年以上を過ごして来た。
そして、其の間、念い続けて来た事が、ようやく人々と共通意識として、認識できる処まで事態が進んで来た。
だから、私は、此処らでもう一歩、前進しなければ成らないだろう。
と言うのは、「神・宇宙」の意思は、先へ進むことで、存在する事が出来るからである。
宇宙は、全てが、振動することで成り立ち、存在をしているのである。
と言うことは、先に進むこと自体が、存在を継続出来る理を、意味しているので、振動を止めるわけには行かないのである。
もし振動が止まれば、此の宇宙は瞬時に消滅し、永遠の闇に帰すだけだからである。
そして、其の宇宙の振動の存在を支えているのが、私達生命の存在自体なのである。
私達生命が存在しなければ、宇宙の存在も無意味なものとなり、存在自体の振動も停止するのである。
其の振動に、古代の人々が与えた名が「イザナミ(波)」である。
そして、其の継続性の名が「イザナギ(凪)」なのだ。
私達の存在は、其の「ナミ性」と「ナギ性」の二つの働きで存在し、生を継続させているのだ。
其の働きを認識できるのは、脳の仕組みが有るからである。
其の脳の在り様も、シンメトリーに成っている。
しかし脳は、左右対称に成っていて、其の働きは同じでも、左右が反作用を起こすことによって、一つの働きを完成さしているのだ。
其の働きを、例を挙げて説明するなら、人間の両手両足が有る。
手は、同じ仕組みで出来ているが、其れは、鏡に映る映像と同じく、スッカリ反対に出来ている。
足も同じだから、靴を左右反対に履くことは出来ない。
足は、反対向きに出来ているから、交互に出す事で、先に進む事が出来るし、手は物を掴んだり、子供を抱き上げたり出来るのである。
其れと同じ様に、脳の動きも出来ている。
簡単に言えば、左脳が出す電気信号で右脳が反応し、右脳が出す信号で左脳が反応して、情報を創出しているのだ。
其れは、自分の脳内だけではなく、男女間の脳でも行われている。
脳は、肉体全体の情報を管理するセンターである。
だから、女性の体の脳は雌用に出来ているし、男性の体の脳は雄用に出来ている。
其れが、両方相俟って、進化の道を歩いているのである。
男女の脳の違いが、二つで一つの働きを、醸し出しているのだ。
そして更に、此の世の人間と、霊界の人間の意識も、左右対称に成っている様である。
私に、何かを告げて来る、霊界より上の神の声は女性だが、田記さんに告げて来る神の声は男性である。
其れは、受身と働身の関係が、霊界と人間の間にも、次元を超えて存在する事を証明している。
其の世界を、もっと突き詰めて行けば、木の葉の表裏の関係にまで行き着く。其れは、太陽の方に向かい光りを受ける表側と、其の表側の支えに成り温度調整を図っている、毛が澤山生えた裏側の世界である。
其の、裏の存在がなければ、表も存在出来ないのである。
つまり、其れが表裏一体の世界で、片方だけの存在は、在りえないのである。
其の、木の葉の表裏一体の関係世界が、我われ地球の生き物と、宇宙の関係にも言える。
更に、宇宙の物質存在と、暗い宇宙空間の関係性にも、同じ関係見出すことが出来る。
木の葉の表裏は、自分の為に反対側を必要としているのではなく、相手側の存在を支える為に、自主的に存在を始めているのである。
おそらく、雌花と雄花の関係も、同じ様な関係から、発生したものと考えられる。
動物の存在システムも、元の処は植物と同じだから、感情を外してしまえば、同じ次元で動いていると考えられる。
其れが、人間の無意識にも存在して、我々の行動を支えているのだろう。
其れは、死後の世界からも、同じシステムで、働き掛けて来るのだ。
女性は、霊界からの働きを受け入れ、男性は、霊界に良き働き掛けを起こそうとする。
其のシステムが、上手く調和した時に、此の世界は安定するのである。
此処のところ、其の原点の働きが、明確に認識されて来ており、私は、此の様な文章を書く事に成ってしまった。
上手く説明は出来ないが、是が、宇宙の陰陽のシステムを理解する為の、参考と成れば幸せである。
其れに、此の文章は、久振りに、顕在意識だけで考えて書いた物だから、私自身の文章であると言える物である。
平成18年3月24日
礒邉自適
2006/3/24
再生される水の惑星
18・3・24
今朝は、水に蔽われた、丸くて美しい、地球の映像から映し出されて来た。
其の地球は、全面が透き通って、水色に輝いていた。
其処には、大地は全然見えない。
其れは、地球の地殻が、完全なバランスをとって、円形に成っているので、地表は全面3000mもの深さの水に蔽われてしまい、大地は無くなり、緑の働きである炭酸同化作用が止まるので、全ての有機物は消え、地球は美しい宝石の様な無機質の星に生まれ変わっていた。
其れが、真実の水の惑星地球なのである。
其れは、地球が、水の所有物である理を示して来ている。
其の理を示して来たのは、地球の意志である「女神ガイヤ」か、水神である「弁財天・サラスヴァティー」なのであろう。
22日の映像に、是までの地球は、闇の中に暮れて行くのが映されて来た。
そして今朝、其の地球は、宇宙のエナジーの内で、自分自身の禊ぎを行っているのを映して来たのだ。
其れを見守っているのが、全宇宙を支えている、闇の鬼灯の目なのである。
地球は二日間で、自分の古い過去を脱ぎ差って「O・ゼロ」の状態に自分を還したのである。
其れは、ようやく、九回目で地球のアセッションが、可能に成って来た事を意味している。
是までの八回は、此の時点で、人間の意識の浄化が出来ない為に、アセンションに失敗してしまったのだ。
今回ようやく、次元上昇の可能性が出て来たのである。
しかし、其の為には、是から我々人間側が、意識の改革を起こさなければ成らない事が示されて来た。
其れに失敗すれば、地球は生命の全く存在しない、只の丸い地球に戻ってしまうのである。
其れは、地球の大地が手足や頭を引っ込めて、タマゴの中の黄身の状態に返ってしまう事になる。
漸く黄身がヒヨコに変成して、成長を続け、羽根を伸ばせる状態にまで来たのだ。後は、人間の意識が浄化されて、フライト出来るかどうかに、懸っているのだ。
其のフライトの条件が、今朝は示されて来た。
最初の場面は、私が、自分の資材を全部、会社に寄贈したら、弟と会社の役員が、其れを取り合って、揉めているのである。
私は、其れを見て、「其れは 私が差し出した物であって 身内や個人の物ではないのに。」と、悲しく成っていた。
是は、地球自体の感情を、私の意識が、其のまま、直接に捉えているからだろう。人間は、自分の努力で、手にした物しか所有しては成らないのだ。
特に、個人の物と、公の物を、混同しては成らないのである。
次の映像は、地球が薄暗く映っていた。
何故、光りが当っていないのかを探ると、女性が物質に執着しているからだと理解できた。
其れは、女性が、自分の生命自体を、健康で明るいものにしなければ成らないのに、宝石や贅沢な服を欲しがり、皮膚に良くない化粧をして、貪欲な世界に落ち込んでいるからである事が示された。
女性は、健康な恋愛をし、素晴らしい神の子供を、産み育てる事が義務である。其れを放棄して、欲望の世界に身を置いているので、地球自体が浮かばれないのである。
一番悪いのは、其の女性のカルマ・業に、男性までが引き込まれてしまい、魂しいが俗界に落ちてしまっている事である。
次の映像は、牧場の柵が壊れて、馬の母子が柵の外に出ており、野性の狼に襲われている場面だった。其れは、生命の管理の在り様を示して来ている。
地球の本来の環境は、自然のバランスで成り立っていたのである。
其れが、人間だけが大量に増殖し、其のバランスを崩してしまっているのが、最大の問題である。
草食動物が増えれば、大地が裸地に成るので、ライオンや虎等が増えて其れを襲って食べ、数を減らし、生態系のバランスが保たれていたのである。
其れが現在では、人間の都合で、牛や羊を増やす為に、森林がドンドン破壊され、他の動植物が激減している。
其れは、地球意識・ガイヤにとっては、嘆きなのである。
次の映像は、私が刃物を手にし、カレンダーを見て、行動の日を決めていた。其れは、暦と人間の行動を意味している。
何故、暦が大事かと言うと、此の三次元の現象世界は、宇宙の「振動波・イザ波」で現象化しているものだからである。
我々人間は、物質の存在と、宇宙の「時間性・イザ凪」の関係性の調和を計りながら、行動をしなければ成らないのだ。
其の為には、どうしても、人間の行動と、宇宙の事象の調整を行いながら、日々の暮らしを整えなければ成らない。
其の手段として、宇宙の運行を知る為の暦が、必要なのである。
暦が存在しなければ、宇宙と人間の、中間に存在する聖霊達も、動く事が出来ないのだ。特に、神社のお祭りは、祭神の命日なので、其れをずらすと、霊界が混乱を起こすのである。
他にも、「法律・きまり」や権利の事も出て来たのが、長く成るので、此処らで書くのを止めるが、其の内容は、上記した件を良く考えれば、想像出来る事柄である。
今朝のメッセージで、私が気付いた事は、音楽や絵画などの、芸術の世界が出て来なかった事である。
其れは、其の世界は、自由であればこその世界だから、特に規制はしなくて良いとの理・ことだろう。
寧ろ、其の世界こそが、地球が、自分を演出できる、唯一の世界だからなのかも知れない。
私がこうして、自由に文章を打てるのも、私が、何事の制約も受けていないから出来る事である。
私に、絵を描ける技術があれば、毎日見せられている映像を、絵にて表現出来るのだが、其れが出来ないのが残念である。
しかし、其れが出来るのなら、私は絵描きに成っていて、是を職業化してしまっているだろう。
そして、そう成っていれば、現在の私が、存在しない事に成るのだから、全てが今の侭で良いのだ。
何も出来ない私だが、私は22年前に、自分の禊ぎ祓いを既に済ましているので、新しい神の世界に生きて居る。
今から、禊ぎ祓いを受けなければ成らない人達は大変である。
其の禊ぎ祓いは、未だ、私の身内や、周りの人達も殆ど済んではいない。
是から起きる、地球の身震いに、どれだけの人間が、振り落とされないで、しがみ付いて行けるのか、其れは、私にも解からない。
しかし、私が、事象の壁を抜けた時よりは、何分の一かの衝撃で、通過出来るだろう。
其れは、私は、自分で扉を造る必要があったが、現在は、私が開けた扉が既に存在するからである。
後は、其の扉に、大勢が一遍に押し掛けて、将棋倒しに成って、自滅しなければ良いだけである。
しかし、私はこうして、毎日映像を見せられ、パソコンに打たされているが、霊界のネタが切れないのには驚かされる。
其れは、宇宙の森羅万象が、一時の休みもなく流転しているからだろう。
何故、宇宙は、休み無く流転出来るのか。其れは、固定化された実体が無いからである。
固定化した物は、もう流転出来ない。だから、現在の現象世界にしがみ付いて固定化している者達は、未来世界に入る事は出来ないのだ。
イエスキリストや、釈迦牟尼佛や老子が、何故、自由に成る理を説いているのか、其れは、森羅万象の流転の中で、自分の意識も、其れに参加して、其れを楽しむ為である。
私はこうして、毎日、其の森羅万象の世界を楽しんで居るのである。
そして、其の事自体が、新しい未来を、創造している事に繋がるのである。
其の理由は、私の意念する事が、天界のスクリーンに映り、其れが、神の意識で消化されて、私の脳に映り出されて来るからである。
だから、私の五感が、何をどう捉えるかに、未来は懸っていると言える。
其の、私の脳で蠢いているのは、食べ物の中に宿る、太陽の気持ちを受けた、細胞達の「いのち」である。
其の「いのち・命」の最大の扉は、天皇家や伊勢神宮に存在するのだが、其の鏡の扉が開かれるとの情報は、未だ、私の耳には届かない。
私達は、4月1日から悦子さんの誘いで、高千穂の岩戸を開く為に集まりをする。其れは、6月11日の「みいつ建国」の儀式に繋がるものである。
今朝、私が気付いたのは、昨年の5月16日のメッセージに、この事に繋がる内容が示されていた事である。
其の文章の一部は 【女神の声】
・・・仏陀が身近な処に在って、無意識の世界に誘い込んでいるのだろうか。
1984年6月4日(旧暦5月5日)に無意識の世界に飛び込んでから、今年の6月4日で丸21年が経つ。
今年の6月4日は旧暦の4月28日で、旧暦の5月5日は新暦の6月11日と成っている。その頃迄に、21年前の日々の様に、自然の中に純粋に溶け込んでいる自分が在るだろうか。
私の内側で喜んでいる女神が、何を望んでいるのかは未だ解らないが、良い方向に進んでいる事だけは間違いないだろう。
2005年5月16日
と在り、昨年の6月11日は旧暦の5月5日であったことが分かる。
どうやら、太陽暦と旧暦(月の運行)の暦の関係は陰陽に成っていて、二匹の蛇が絡み合う様に進んでいるらしい。
其れは、太陽光線に当る、木の葉の表裏の関係に似ている様である。
其れは、どちらかの存在が消えれば、片方も存在出来なく成る理を示している。
是で、神々が、日付の数字に合わせ、物事を儀っている事が明白である。
だからこそ、マヤの人達は「時間の操縦士」に、生きた心臓を奉納してまで、翼を持つ蛇に使えていたのだ。
だからと云って、私には、其の様な趣味は無いので安心して貰いたい。
今朝の地球の姿は、これ等の、昔に行われていた人間の間違い事も、全て禊ぎ祓って、再生しようとしているのだ。
今朝の映像の説明は、是ぐらいにして措こう。脳味噌が、疲れて来た。
平成18年3月24日
礒邉自適
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