計
231 5,000 183,500 67,887
宣伝が足りなかったのか・・・・・市民バスのアイタク潰しの効果か・・・・乗車数が231人とは・・・・・・・値上げが失敗だったと諦めよう(笑)
それでも・・・・この、人の健康な心までもワイロ政治に奪われた腐った時代に・・・・
67,887円ぽっちの燃料費で183,500円も稼げて・・・・5人もの欠陥行政証明者がこっちに来た・・・・と考えれば将来は明るい・・・・レインボーッと叫べる日は必ずやって来るさ・・・・・なぁ^^
実利が12〜3万円でどうやって生活するの?
かすみ食って生きてるの^^
なんて・・・・また心配されそうだが・・・・借金は待ってもらって・・・・生活保護の46,000円と子どもらの援助で何とかなりますからご心配メサルルナ(笑)そのうち何とかなるだろう(爆)
ドゲンシテン ヤラント イケンコッタヨ
オイニモ ワイニモ ヒトツグライアロ な
「昨日、学校に来てたでしょ、車見ました」
夕べ塾に送った中学生に言われ、今夜は、2ヵ月ぶりに帰りを予約してきた女の子に言われて気分良くして講釈師^^子ども相手にひとの道・・・・教育なんぞを紐解いてみた(^-^v
何故、学校だけで足らずに塾に行く必要があるのか???
分からなかったら、授業中にセンセイに聞けばいい、分からないままに時間を過ぎると言うことは、もっと分からなくする愚かさだ、質問がなければ先生はみんなが分かったと勘違いして先に行く、外にも自分と同じように分からなくなったのがいると思え、恥ずかしいとか、みっともないなんて間違っても思うな、学校に居る時間だけは間違いなく、おまえ達が主役でセンセイは脇役だ、おまえ達に分からせようと学校を職場にしている、おまえ達が居なくなったら、センセイらも働くところがなくなってしまう、だから、真面目にやるしかない、「そこ分かりません」って言うのセンセイも待ってるんだよ、「塾が有るからいい」なんて考えるな、おまえんちは金が有るから塾に行けるが、同級生には送ってもらえないのも、行ける金も無いのが居る、そんな仲間のこと考えたことあるか?もしも、それでも、センセイが教えてくれなかったらオレに言え、分かったか・・・・・・義務教育にかかわらず、教育は無償でなくちゃならないんだよ・・・・教育に金が掛かるということは競争の教育が蔓延して、難しくするほどに金が掛かるということで、教育産業だけが儲かる仕組みにつくられる、・・・・この次乗るまでに・・・・文部科学省と教育産業、政治家だけが笑って・・・・・死にそうになってる子どもと・・・・・・大学出ても就職できずに困ってる人間の・・・・マンガ・・・・・描いて来い・・・・・・良く出来てたら・・・・・タクシー10回・・・・タダで乗せてやる^^
メン玉まん丸にして聞いてた中学生・・・・
「
10回とディズニーランドね」・・・だと(汗)
大人をからかってるね(笑)
500万円狙って助成金申請したの知ってるわけ無いのだが・・・・
中学校がしゃべるわけないのだが・・・・・
不登校の仲間の居ることオレに教えたやつだからなあ・・・・
女の子はわかんね・・・・・
「仙台まで高速バスで往復8千円、仙台から東館往復新幹線使っても学割で12,000円、お土産代も一緒に送ってくれたら正月帰りますけど・・・・」
こんなメールで・・・親脅す大学生もいる^^;
おまえ達を幸せにするために生きてるんじゃねえ・・・・
オレが幸せになりたいからつくってやったんだよ・・・・
「あっそ?」だと^^
子どもだって簡単にはだまされちゃくれないぞ・・・・あほうたろうくん(笑)
こんなすごいのも出て来た(^-^/
ゆみちゃんとこからの・・・・
中川村村長 曽我逸郎
長野県戦没者遺族大会と長野県戦没者追悼式に出席した。いろいろ考えさせられることがあった。
最も気になったのは、たくさんの来賓の方々が挨拶をされ、追悼の言葉を述べられたが、どの言葉も、その場を耳障りよく流れていくことに気をつかうばかりで、真剣に突き詰めて考えられたものではなかったことだ。
「戦争で亡くなった方々の尊い犠牲があって、現在日本の平和と繁栄があることを、私たちは一瞬たりとも忘
れてはならない。」
登壇したおそらくすべての人がこのようにおっしゃった。様々な戦没者追悼式で必ずといっていいほど言われる言葉だ。しかし、本当にそうだろうか。戦争の犠牲がなければ、平和と繁栄は得られなかったのか。私にはそうは思えない。もし戦争がなくて、平和のまま、犠牲になった兵士や市民が元気に活躍し、それぞれの夢や計画に邁進しておられたら、今の世の中は、もっともっとよいものになっていたのではないのか。戦死した皆さんは、戦争で犠牲となることを強いられることによってではなく、農業や得意とする技術やみずからの構想を実現することによって、日本や社会に貢献することを望んでおられた筈だ。私たちは、かけがえのない人たちを失ったのだ。破壊と殺戮が、どうして平和と繁栄に貢献するのだろうか。
戦争による死を、「無駄ではなかった、意味があった」と信じたい遺族の方々の感情はよく分かる。しかし、「平和と繁栄のためには犠牲が必要だった」という考えは、危険な芽を孕んでいる。「今後も平和と繁栄のためには時として犠牲が必要となる。」こういう考えを誘い入れかねない。勿論、演壇に立たれた方々がこんなことを主張された訳ではない。しかし、深く考えていないために、突き詰められればこういう考えを容認することになる。
「世界の恒久平和実現に向けて一層の努力を傾けることを、戦争の犠牲になった皆様の前でお誓い申し上げます。」
壇上からの言葉の多くは、こういう形で締めくくられた。それと同時に、多くの方が、「今も繰り広げられるさまざまな地域紛争に心が痛む」とおっしゃった。なのに、なぜ、「テロとの戦争」に加担していることは不問に付すのか。誤爆その他で幼い子供を含む多くの一般市民が犠牲になっているにもかかわらず…。それを私たちは私たちの税烽ノよって支援しているのに、なぜ知らないふりをするのか。戦争ができるように憲法を変えようとする動きに、なぜ何も言わないのか。
「テロとの戦争」と誰かが名づければそれでいいのか。「自由のため」の戦争ならいいのか。「平和のため」の戦争ならいいのか。「繁栄のため」の戦争ならいいのか。「国益のため」の戦争ならいいのか。もしそういう条件付きでの「恒久平和」の希求なら、そのように言うべきだ。しかし、そんなものは恒久平和とは言えない。
だから、思考を停止して、その場その場の空気の中で耳障りのいい言葉を流すだけになる。本心では戦争を否定する覚悟はない。
愚かな政治が始めた愚かな戦争の愚かな作戦に引きずり込まれて、餓え、あるいは熱帯の熱病にうなされ、あるいは極寒の地に凍えて、家族を思い故郷を思いながら、夢を奪われて亡くなっていった方々の無念を真摯に思い致せば、耳障りのよい場当たり的な言葉で済ますことはできない筈だ。真剣に覚悟を決めて絶対的に戦争を拒絶することこそが、戦争の犠牲になった方々の心に適うことだと信ずる。
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わたしは、911事件の真実を知らせることが、事件で犠牲になった人や、それをきっかけに始められた「対テロ戦争」で犠牲になっている人たちの本当の弔いになると思っているのです。わたしたちが戦争を卒業し、暴力を過去のものにすることが。
エライッ!
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