2005年4月22日の古い画像だが、この3月31日で解雇された失業者が、三男坊を高校に送って、仲間と常陸太田市の企画課に上った。右奥は市議会議員で手前の右が旅館の主人、左側は奥が課長で手前が当時の武藤係長・・・・。まさかこの後の植木とかいうのが狂った頭してるのは知らずに黙って様子見てたが、一向に音沙汰もなく、「あれーっ?」(笑)この頃から市は狂ってた・・・というより素人集団が一市一町二村の合併に訳も分からず頓珍漢が迷いに迷って知らない道を手探りでって。。。思えばすっきり
2年待っても何も動かぬ行政に呆れながら、NPOの資格取得に動き、運営協議会を経て国土交通省に過疎地有償運送の許可を求めた。この頃までは協力的に動いてくれた新聞がカメラマン連れて取材に訪れて
新聞一面で宣伝してくれた。あわてた市役所が遠回りして無料だった市民バスを直通にして200円の定額料金をマネ、市議会議員やめたタクシー会社の社長を窓口に週に1日だけの乗合タクシー2千万円で走らせたという狂気(呆)呆れながらも行政を動かした実感はまだ感じずにいた。
介護2級のヘルパー受講証
会社廃業で解雇される前に、会社に金出させて取得した2級ヘルパーの講習修了証と、国土交通省が自分たちの天下り機関に創った「自動車事故対策機構」の講習手帳。元労組委員長の口封じに、2日間の受講で19台までの運行管理できる基礎講習を終了させた。この世に甘いものはなく、水戸の文化センターに2日通わせ、18,000円を講習料とする追剥にこの世の悪を見たのを忘れない。失業者になる前の2月20日の事だった。
2年が過ぎて、看護師やめて家に戻った長男連れて竜ヶ崎警察署まで「青パトの講習会」に参加し修了証をいただいた。小里村と賀美村が合併して里美村だったが、村政50年で5000人の人口減らして常陸太田市に合併になった田舎行政の失敗例。小里村に防犯団体はあったが賀美にはなく、青少年の健全育成や寺子屋を考える身には当時騒がれていた「共助・協働」もあっていつでも動けるようにと準備していたが、11年経っても未だに防犯の必要性に気付く者は見当たらない。定款の一部変更が警察署に求められる所為もあるだろうが、人口減少に伴って泥簿が増えるのを思えば、子どもが犠牲にならない内に何とかしたいと思ってる。
2年前につくった乗務員証(笑)
俺が作るものはすべてがあか抜けない^^
輸送が介護と街づくり・・・を最後の仕事と考えて11年やってきたが、「知恵と知識・技術は貸してやるから必要とする金は行政が持ってこい」と安い運賃で頑張ってきても、肝心かなめの行政が身体障害者の集まりでなんともならず風前のともしびって頭来るよな。サービス残業が高プロでコストカットだってさ(笑)
今も残酷社会だけど
古い写真ってのも残酷だよな
行政にはさ
くりっくないのに半分が監視(笑)
怖いね
楽しい田舎暮らしを教えて
「最高の爺ちゃんだった」って
孫に自慢させたいだけなのにさ
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