佐々部映画の『家族』  佐々部監督の世界

佐々部監督作品を紐解くキーワードの1つに、「家族」がある。

 監督自身、講演やインタビューなどで「僕にとって一番大切なのは家族。2番目が映画」と発言されているが、監督が作る作品には、確かに「家族」という存在がどの作品にも必ず大きなキーワードになっている。

 例えばデビュー作の「陽はまた昇る」。この作品は、新型ホームビデオデッキ機の開発に賭ける、企業戦士たちの話である。主人公やその部下、上司たちとの対立、会社内外での駆け引きが様々なエピソードとなって鮮やかに描かれるが、佐々部監督は主人公、加賀谷を支えながらも病気になってしまう妻、息子との対立を挿入することで、作品そのものを重層にした。

 決して長いエピソードではないが、さりげなく家族の描写を入れることで、なぜ加賀谷がいろいろなものを犠牲にしてまで新機種開発に取り組むのか、という理由が浮かび上がる。自分の家族を守り、従業員の家族を守るために絶対に譲れない、という主人公の意志と想いが観客に伝わり、感動が幾重にも重なる。

 佐々部映画の「家族」は決して幸せばかりではない。「カーテンコール」の安川家には、不幸の連続が襲いかかる。最後はお母さんが亡くなり、父と娘は離れ離れになる。「チルソクの夏」の遠藤家も裕福ではない。流しの父親は、カラオケの台頭で、仕事がなくなりつつある。「半落ち」の梶家は、長男が白血病で亡くなり、妻はアルツハイマーに犯され、夫は妻を手にかけてしまう…。

 こうやって文章に書くと正に不幸のオンパレードだが、どの家族も、どんなどん底にあっても、お互いを信じ、肩を寄せ合いながら、懸命にもがいて生きようとする。そして、佐々部映画の家族は、必ずラストには何らかの希望を見出し、「笑顔」で生きることを選択する。

 妻を殺した「半落ち」の梶でも、最後はある意味「家族」である骨髄提供者の少年の言葉によって救われ、生きる決意をするではないか。この少年の「言葉」は原作小説にはなく、佐々部監督の脚本によるものなので、正に佐々部テイストと言っていいと思う。

 私たちの現実の「家族」も、死に別れや確執など、辛いことはたくさんある。でも、「家族」だからこそ、お互いを信じ、乗り越えられる絆があるものだ。佐々部映画は、そんな「家族」の大切さを、とてもリアルに感じさせてくれる。そしてリアルだからこそ、そこに「希望」を感じることが出来るのだ。
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