平生町の『回天』レプリカ  映画ゆかりの山口の場所を訪ねて

 この新カテゴリーでは、山口県の中で、映画ゆかりの地をいろいろと紹介していきたいと思います。

 まずは、MOVIX周南では11月末までの公開が決まった「出口のない海」から。この映画、人間魚雷「回天」が題材ですが、「回天」の基地は、山口県の周南市大津島、光市の光井港、平生町の阿多田半島、大分県の大神にありました。

 そこで隊員たちは厳しい訓練を積み、潜水艦に「回天」を積み込んで出撃して行ったわけです。現在、大津島には千点もの遺品、資料を収蔵した「回天記念館」と、「発射訓練基地跡地」が今も残り、映画のラストシーンの舞台にもなって多くの方が訪れています。

 原作を読むと、主人公並木のモデルは出撃後、生き残って光基地に帰り、終戦直前の訓練で亡くなった東大法学部から学徒出陣された和田稔さんと思われ、映画でも主要な舞台は光基地となっています。

 残念ながら、今の光基地跡地は「回天の碑」があるだけで、企業用地の一部となって当時の面影は何もありません。映画の「光基地」は下関市の海岸で撮影されています。残念ながら光では撮影していませんが、「山口から出撃した若者たちは山口の海で撮影を」という作り手の想いが感じられます。

 「回天」の主要な資料、遺品などは大津島に集約されています。だから、映画で生き残った伊藤整備兵は、光基地の跡地ではなく、並木ら、英霊たちの遺影や資料、写真が今も残り、多くの人に伝えている大津島に渡って並木のボールを海に投げ入れたのかもしれません。

 ちなみに、佐々部監督はこの映画を撮影するにあたり、大津島の回天記念館を何度も訪ね、実際に戦死していった回天烈士たちの遺書、遺品を目にして、「彼らの思いを伝えれば、きちんと『伝わる』映画になる」と思われたそうで、その言葉を実際に「並木の遺書」として使っています。映画に重みが出たのは、そういう作り手の志があった訳です。

 写真は、平生町の阿多田交流館前に展示してある、映画で実際に使った原寸大のレプリカです。実際の回天と同様鉄製で、このタイプは映画で実際にスクリューや舵を動かし、訓練シーンなどで使用されたものです。

 阿多田交流館は平生基地があった場所近くにあり、ここでも回天の資料や遺品の一部を展示し、現在は「出口のない海」の資料、パネルも展示しています。このレプリカは地元徳山のプラントメーカーが「回天で出撃していった若者たちを思い」作ったものです。ベニヤ板で作ろうと思えば作れたはずですが、本物の鉄製レプリカにこだわったのは、その質感を含め、役者さんたちの演技にリアル感を出すためだったようです。

 実はそのメーカーは、社長さんに強烈な戦争体験があり、回天記念館前のレプリカ製作も担当したのです。ですから、並々ならぬ想いが、このレプリカに込められています。レプリカは2基作られ、もう1基は11月初め、周南市の徳山港に置かれるようです。回天ゆかりのメーカーに発注したスタッフの想いも、並々ならぬものがあったようです。

 平生基地は映画には出てきませんが、阿多田交流館は周囲に海や自然もあって、回天記念館とはまた違う趣もあって、とってもいいところです。クリックすると元のサイズで表示します

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フラガール  新作レビュー

見た日/10月某日 ★★★★

 笑って泣ける良作。

 役者に対して肉体的・精神的に高度な課題を与え、物語の背景に確かに存在する、それをこなしていく凄まじいまでの葛藤を感じるというドキュメンタリー的な視点を、フィクションの面白さに身をゆだねながら楽しむという「スウイングガールズ」「ウォーターボーイズ」と同じ構図を持った作品。

 昭和40年(僕が生まれた翌年だ)。福島県の炭鉱町では、国のエネルギー政策の転換から、大幅なリストラが進み、閉鎖は時間の問題になっている。そこで炭鉱会社は雇用の確保と経済立て直しに、鉱山による温泉利用を目指し「東北にハワイを」という突拍子もない計画を立て、ハワイアンセンター建設を始める。その目玉としてフラダンスチームを設立、炭鉱夫の妻や娘からメンバーを募集し、東京から元SKDの講師を招くが…。

 前述の2作品と同様、この映画の登場人物にも、東京帰りの訳アリのフラダンスの先生や、なかなか振り付けが覚えられない身体が大きな女など、この手の映画に不可欠な、ちょっとリアリティには欠けるが、物語を盛り上げるためにデフォルメな味付けをされたキャラクターが出てくる。

 「映画」を見るとき、この「デフォルメ」されたキャラクターに乗れるか乗れないかでその映画に感動できるかどうかかなり重要になってくる。この「フラガール」は、物語の重要な要素である「炭鉱の閉鎖=時代の変化」という社会的な背景を、冒頭の鉱山を表現したCGを含め、炭鉱で働く男たちなど、しっかりと描き込んだこと点が良かった。

 ダンスによって新時代を切り開き、懸命に生活を守ろうとするダンサーたちと、炭鉱に執着し、山が捨てられない男たちをきちんと対比することで、デフォルメとリアルの間のキワキワではあるが、なぜ彼女たちがあれだけ懸命にダンスを踊るのか、説得力を持った説明がされている。そのお陰で、逆に滑稽なまでにダンスに取り組むフラガールたちが愛しく思えてくる、稀有な作りになっていた。

 ダンサーたちも、男たちも、取り組むスタンスは違うが、自分たちが先祖代々世話になってきた山を、心から愛していることに変わりはない。その慈しみが全体のトーンになっているので、この映画は心地よく、優しい。

 ただし、中心となる先生役の松雪泰子のエピソードと、リーダー役の蒼井優のエピソードが少々バラバラで散漫なため、途中、ちょっぴりもたつく点があったことは残念で、ラストに向けての展開もちょっとくどく、寺島進演じる借金取りのエピソードは不用では?とも思ってしまった。

 でも、ラストのダンスシーン(ここは現在のハワイアンセンターで撮影したのだろう。ちょっと昭和40年代の匂いがここだけしないのはご愛嬌)での見事なダンスシーンで、その不満も消し飛ぶ。「スウイングガールズ」もそうだったが、この手の映画はラストの役者たちの達成感から来たと思われる本物の涙と、2時間感情移入してきた物語としてのクライマックスがダブルになって感動を与えてくれる。

 しかし、ともすれば「バックダンサーズ!」のように、せっかく役者が必死の思いをしてパフォーマンスを披露しても、そこに到る物語が破綻していると、見てくる方はちょっと辛い。その点で言うと、この映画は中盤から後半にやや難点はあるものの、十分合格点だと思う。蒼井優のまぶしすぎる笑顔がいい。
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『泣ける』映画『泣けない』映画?  映画つれづれ

 最近、映画の価値基準を「泣ける」「泣けない」で判断しているような嫌いがある。これにはすごーく違和感を感じる。

 どんな映画でも、1つの物語、映像表現を通して人間の感情を喚起させるものであるから、当然、いろいろな表現方法があって当然であり、そこに喚起される感情も、微妙なものから大げさなものまで多種多彩であるべきだろう。
 
 だが、最近、とくに若い人の間で「泣ける」から「いい映画」で、「泣けない」から「悪い映画」と独断し、映画館に「泣くために」行くという傾向が強すぎるように思う。これはちょっと危ないな、と思ってしまう。

 映画界もそれに呼応していて、そういう若者が「泣ける」映画を分析し、リアリズムやディティールは無視しても、そういう「泣ける」映画を作る。

 とは言っても、作り手にも意地があるから、物語をベタベタにしながらも、ストーリーの仕掛けに工夫し、「泣ける」だけでなく、そこにスケール感を出したり、ちょっとリアリティを出したりしようとする。

 僕は「LIMIT OF LOVE 海猿」を高く評価したが、それは今までの日本映画にないスケール感を展開した点であって、「面白い」という点ではかなりのものではあったが、物語的なリアルさなど、作品の総体としては決して高く評価できる映画ではなかった。もちろんこういうものも日本映画には必要と思うが、こうした作品ばかりで、まっとうな作品も「泣ける」「泣けない」だけで評価されてはたまらない。

 日本映画にも良心的で高い評価を受けている作品もあるが、それは観客を選ぶ単館系が多く、いわゆるメジャー系の作品は、たちまち、この無粋な若い観客たちによる「泣ける」「泣けない」の評価にさらされているようで気になる。だから、メジャー系映画会社はこぞって少々物語に破綻があろうと、リアリティがなくとも「泣ける」映画を目指す。

 「日本沈没」など、その代表的な作品で、映画会社の要望により、樋口監督は、どうしようもない低レベルの「泣ける」場面を受け入れた代わりに、ひとりよがりのオタク的なこだわりと特撮を入れてもらったように見え、そこには媚びた姿勢さえうかがえる。これが映画作家のやることだろうか。もちろん商業ベースもあろうが、「あまりにも」である。

 僕も生粋の特撮オタクで、樋口監督の特撮へのアプローチ、小松左京作品への思い入れは共感できるのでレビューで星は3つにしたが、観客を小ばかにしたような作品自体には多少腹も立った。これが配給収入30億円を超える大ヒットをしているというから驚く。本当に一般観客は馬鹿ばっかりなのか?と思ってしまう。

 こうなると、作り手の「志」の問題になってくると思う。もちろん商業映画だから、時代性に即した「泣ける」映画を目指すことを否定はしない。でも、そこにこだわり過ぎて映画として大切なリアリティや物語性を無視することはいただけない。で、最近気になるのは、受け手側、観客の感性で、映画サイトの掲示板などを見ていると、批判とはまた違う、ちょっと的外れな感想が多いのが気になる。

 僕が応援している「出口のない海」にも、一般映画サイトの書き込みを見ていると、実に気になる記述が目立つ。「『男たちの大和』を思って見に行ったら期待外れ」「華々しく散ると思ったら肩透かし」「感動できない」…。もう、ビックリである。

 もちろん、素直に感動している評も多く、ほとんどの方々は作品にいい印象を持っているようだが、この映画は松竹のバリバリメジャー作品で、昨年「男たちの大和」という、バリバリスペシャルスーパーベタベタな作品(泣かす意図は感じられたが、それ以上に作り手の良心と熱意は十分に感じられた良作ではあった)があっただけに、この「泣ける」「泣けない」の評価にさらされてしまったように思う。
 
 「出口のない海」は、戦争の矛盾や悲しみを、静かではあるが、人の感情の起伏をしっかりと表現しながら描いた秀作である。メジャー系の娯楽作品としても、冒頭の潜水艦のシーン、豪華なキャスティング、出撃シーンの緊迫感など、十分に及第点を与えられる作品だと思う。確かに華々しさや派手さはないが、ひとつひとつのセリフが深いし、僕は初見のときは「男たちの大和」より何倍も泣けた。映画自体も別に小難しい映画ではない。普通に見れば、素直に泣ける映画だ。

 つまりは過剰に「よーし、泣くぞ!」と構えて見るベタ好きな観客の「泣けるスイッチ」とは別のところにスイッチがある映画なのだ。

 大体、「華々しく散る」特攻映画で「泣きたい」と思うことが異常だと思うし、前述の感想群からは、戦争映画というだけで、「悲惨で人が死ぬ内容だから泣けるのでは」という見る前の先入観が垣間見える。これはちょっと恐い。この映画の作り手はこんなことは絶対に考えてない。真摯に人間魚雷という狂気の兵器を描き、伝えることに重点を置いており、そういう観客とは根本的な点でずれている。

 最近評判の本「他人を見下す若者たち」(速水敏彦著/講談社現代新書)に、興味深い記述がある。これによると、最近の若者は、個人的な関心は高いものの、社会的な関心は薄く、他人を見下す傾向が強まっていて、そんな若者たちは映画でも何でも、「泣ける物語」を求めている…。そして、そんな「泣ける物語」を求めていることは、自己を確認するための一種の自己調節の道具として使われている、と分析。これは本当の「悲しみ」ではない、薄っぺらなものだと断じている。

 ベタな映画もよいし、僕も感動はするけれど、他人を見下すような若者の個人的満足を満たすだけの映画が作られていい訳がない。ベタと良作のバランスが取れた「ALWAYS〜三丁目の夕日」のような映画もあるが、もっと行間が読める、想像ができる映画で、娯楽的要素もある映画が増えてほしい。事実、しっかりと作られた芸術的にも娯楽的にも最高レベルの「七人の侍」も「砂の器」も十分泣けるではないか。

 佐々部監督の諸作品は、素直な感動ができるからこそ応援している訳で、「陽はまた昇る」「半落ち」「チルソクの夏」などは、決して観客には媚びずに、人間の感情を刺激し、きちんと「泣ける」映画になっている。意図的に「泣けるスイッチ」を機械のように刺激する「日本沈没」とは根本的に作り手の意識が違う、と思う。これは先程述べた「志」の部分とつながる。

 「泣ける」映画は心地よい。でも、世の中の軽薄な流れに呼応し、そこに作り手の嫌らしい「泣かしてやる」意識が入った映画は、底が浅くすぐに分かるし、そんな映画ばかりがヒットするのはあまりに悔しい。 
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ワールド・トレードセンター  新作レビュー

見た日/10月某日 ★★★

 残念ながら評判の「ユナイテッド93」は地元、隣り街、そのまた隣り街の映画館・シネコンでは上映されず、わが町から高速道路で1時間半のシネコンでやっていたが、そこまで行く時間が取れず、劇場では未見になってしまった。残念!!

 その代わりと言っては何だが、同じ9・11を取り扱ったこの映画を見てきた。ドキュメンタリータッチにこだわった「ユナイテッド93」とはまた違って、こちらは事実を正確に映画化することには務めているものの、主役にニコラス・ケイジというスターを据えて、正攻法の感動できるドラマを作り上げている。

 うーむ、オリバー・ストーン監督、そう来たか、という感じである。この映画は同時爆破テロで崩れ落ちた世界貿易センタービルの下敷きになった警官2人の救出劇に絞り、その救出に携わった人たちと、警官2人の家族に焦点を当てて描いている。

 ほとんど予備知識なしで見たので、正直、こういう話とは思わず驚いた。監督がオリバー・ストーンなので、もう少しテロ全体や思想的な表現もある映画かと思ったら、映画のほとんどは生き埋めになった2人の手に汗握るサバイバルと救出劇、奇蹟を信じて待ち続ける家族を描いたまっとうなスペクタル大作だった。

 これはこれで感動するが、「9・11」という事件像そのものに迫るものではなかったところはちょっと肩透かしの感もある。だが、この事件は今もなおアメリカ人をはじめ、多くの人の心に痛みを残しているし、わずか5年後に描くには、このとてつもない悲劇の中の「希望」の物語を描くのがベスト、とオリバー・ストーンは判断したのだろう。悲惨な部分を「ドラマ」として描くには、正直まだ時間が必要なのかもしれない。

 その選択は正しいかどうか、観客としては、現時点ではドキュメンタリータッチの方の「ユナイテッド93」を見て初めて完結するのかもしれないが(だから早く見たい!DVDを待つしかないのね…)、こういう救出劇があったことは正直知らなかったので、こういうアプローチも個人的には受け入れられた。

 瀕死の中での家族への想い、生まれ来る子どもへの想い…。それは万国共通だろう。僕にも幼い子どもがいるので、その辺りの描写はちょっと辛かった。
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イルマーレ  新作レビュー

見た日/10月某日 ★★★

 元になった韓国映画は未見で、このハリウッドリメイク作のみの批評になってしまうが、ファンタジーながら丁寧に作られたラブ・ストーリーで、主役2人の魅力もあって最初から最後まで、かなり面白く見られた。

 湖のほとりのガラス張りの家から市街地に引っ越した女医さんが、引っ越す直前に家のポストに手紙を入れると、なぜか時空を越えてその手紙が2年前のその家のポストに届く。そこには建築家が住んでいて、その建築家がそのポストから返事を出すと、時空を越えてその手紙が女医さんに届く。

 2年という時空を越えて、2人の思いは近づき、やがて恋愛感情となるが…というロマンチックな話。

 アイデア自体はいかにも韓国映画らしい思いつき的な発想で、時空を越えて手紙を届けてくれるポストなんて、ドラえもんの秘密道具のようだが、2年の時を隔てた恋愛、というのがなかなか秀逸なシーンを生み出していて、2人が劇的に出会うときも、建築家は全てを知って万感の思いがあるものの、女医は過去の出来事なのでその意識がない。そこに生まれる切なさは、キアヌ・リーブスの熱演もあってなかなか泣かせる。

 2人がレストランで待ち合わせをしても、片一方は明日でも、もう片一方は2年後な訳で、そこに意外なサスペンスも生まれて、見ていてもドキドキする。2人の職業を医師と建築家とした点も、生命の重さや建築=人生を構築する、という隠れテーマが見えて作品を重層的にしている。

 ただし、肝心のポスト君がなぜ時空を越えるのか、何の説明もないまま淡々と話が進むので、リアリティあるお話がそのあとに展開されてもファンタジーと割り切れず、ちょっと感情移入するまで時間がかかったのと、最後のタイムパラドックスを吹き飛ばす展開は強引で、少々乗れなかった。でも、サンドラ・ブロックは相変わらず美しいし、スピードのカップルも成長したなあ、と少々感慨もあったりして…。

 デートムービーとしては、かなりいい出来だと思う。評判の韓国バージョンも見てみたい。


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スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ  新作レビュー

見た日/10月某日 ★★★

 スケバン刑事ですか!!!見てましたなあ、TとUは。Vはもうやめて、という感じで見てなかったが。もともと原作マンガのファンで全巻持っていたが、原作者の和田慎二氏は活躍のフィールドが少女マンガ雑誌だったので当時はあまりクローズアップされなかっように思うが、70年代後半から80年代にかけてこの方が書かれたアクション、SFマンガは本当に傑作中の傑作。とくに「スケバン刑事」は読み出したら止まらず、ハリウッド映画もひれ伏すほどの傑作ハードアクションコミックだった。

 で、テレビドラマ版は原作と比べるとかなりユルい出来で、そもそも原作ではキリリとして長身のサキを、タヌキ顔で当時バリバリのアイドルだった(その後、「トットチャンネル」などの傑作群でスゴイ女優さんにはなるが)斎藤由貴にすること自体に無理があった。しかし、可愛いアイドルがスケバン言葉を使うというミスマッチ感覚と、チープなアクションの中にも、実はキラリと光るセリフやストーリー展開がある妙な魅力でこのシリーズは異彩を放って、僕のオタク魂にも大いに火をつけた。とくにパート1での新田一郎(スペクトラム!!)作曲による劇伴(BGMね)は最高で、今でも燃える仕事のときは口ずさむほどである。

 そして、パート2の南野陽子主演「スケバン刑事U少女鉄仮面伝説」は、もう美少女アクション物の大傑作で、少女時代から鉄仮面(!!)を付けられ、土佐(!!!)で育った五代陽子が、「何の因果かマッポの手先」になって2代目麻宮サキを名乗る、というものすごい展開。ここで今回でも踏襲されているシリーズのヒナガタが出来上がるのだが、鉄仮面という設定によってサキの孤高感が高まり、設定は原作とは離れたが、作品が持つテーマ性は逆に原作に近づいた。これは原作コミックの中で和田氏も絶賛していた。

 ちなみに、このパート2を元に田中秀夫監督で映画版「スケバン刑事」が作られているが、これはかつての東映アクションを見事に継承した傑作で、当時流行の「ターミネーター」などのハリウッド娯楽映画の様子も取り入れ、どんでん返しもあったりする、痛快娯楽作に仕上がっていた。

 という訳で、今回の映画版「スケバン刑事」は、原作の純粋な映画化ではなく、テレビシリーズの続編的な作りになっている。だが、監督の深作健太氏、さすがにバイオレンスの巨匠の血を引くだけあって、原作のテイストであるハードバイオレンスの要素と、麻宮サキの孤高性はきちんと抑えている。

 テレビシリーズのファンには「これはスケバン刑事ではない」という意見もあるようだが、もともとテレビシリーズも荒唐無稽な出来だったことを考えると、テレビ版のコアな部分(例えば斎藤由貴や長門裕之の出演)を継承しながら、原作のイメージを大切にしたアクション映画に仕上げた点は実に正しい。

 全体の流れやラストの戦闘シーンなど乾いた感じの画面は往年の東映セントラルアクション(「遊戯」シーズなど)のテイストで見応えがあった。スタッフを見ると照明の渡辺三雄さんをはじめ、東映アクションを支えてきた往年のスタッフたちが多く参加していてうれしかったが、深作監督もいよいよ2代目としてエンジンがかかってきたな、という感じだ。脚本が「野獣死すべし」などの傑作アクションを書いてきた丸山昇一氏というのもうれしい。サキのセリフなどに、往年のキレがうかがえた。

 あややは目に力があるし、存在感もあり演技もいい。ただ、アクションの切れは今ひとつで、残念ながら敵役の石川梨華の方がアクションは切れがあった。しかし、最後のボンテージ・戦闘服は仮面ライダー2号のようだがカッコいいし、立ち姿にオーラもあるので許そう。

 敵のスケールがいまいちだったり、敵が犯罪を犯す動機が今ひとつだったり、欠点は多多あるが、テンポもいいし、演出、キャスティングにも見るべき点が多い作品だった。こういう日本映画にしかできないアクション映画はまたぜひたくさん作ってもらいたいし、ぜひ、パート2を作るときは信楽老など、原作に出てくる巨大な敵にサキを立ち向かわせてもらいたいものである。 
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プロークバックマウンテン  DVD・ビデオレビュー

見た日/10月某日 ★★★★

 これも見逃し、仕方なくDVDで見た作品。

 いやあ、一言で言えば、劇場で見たかった。こういう人間ドラマこそ、大きな画面で集中して楽しみたい。スペクタルもいいけど、丁寧に撮られた静かな作品ほど、実は大きなスクリーンでいい音響効果の劇場の方が楽しめる、というのが僕の持論。でもこの作品は、DVDでの鑑賞ではあったけれど、この数年で見た洋画の中ではトップクラスに入る感動を与えてくれた。

 これまで何度か映画の現場を見学させてもらったことがあるが、上映時間にして数分か数秒のカットにじっくり時間をかけることに驚いた。佐々部監督が「作り手の熱や情熱、思いは必ずワンカットワンカットに込められ、スクリーンに映る」と言われたことがあるが、この映画を見ていて、その言葉を思い出した。実にワンカットワンカットを丁寧に撮っていて、ひとつひとつのシーンに監督、スタッフ、俳優がかなりの準備を費やし、集中して撮影していったことが感じられる。

 保守的な中西部を舞台にした、カウボーイ2人の同性愛の物語なのだが、同性愛といっても覗き見的な色合いはこの映画には一切ないし、ラブシーンもきちんと描かれるが、変ないやらしさも全くない。まず、舞台となるブロークバックの山々の描写が実に美しい。物語は実に純粋で切ないラブストーリーで、ラスト近くの展開には、思わず胸が締め付けられる。

 ブロークバックマウンテンの山麓で羊追いの仕事に従事し、知り合ったイニスとジャックはテントの中で愛し合う。やがて別々の暮らしをして、お互いに家庭を持って普通に暮らすが、時折会いながら、お互いに芽生えた愛を確信する。2人はブロークバックでの楽園の日々に戻りたいと心の底では思いながら、日常は捨てきれない。だが、2人の思いは隠しても周囲に気づかれる感情であり、それぞれの日常生活は次第に破綻していく…。

 後半はとくに切ない。同性愛の場面を奥さんにしっかり見られて家庭が破壊していくイニスもそうだが、イニスへの思いを秘めながら、家庭生活が辛くて仕方ないジャックも実に切ない。はっきりとした周囲の差別行動は描いてはないが、保守社会では許されない秘密を抱えてしまった人間が、常に周囲を気にし、恐怖を抱えながら日常生活を送る難しさと、その中で感じる気持ちを描いていて、心に迫る。

 台湾出身で、アメリカ社会で映画を学びながら「常にアウトサイダーだった」というアン・リー監督だからこそ、この映画が撮れたのだろう。「デイ・アフター・トゥモロー」では猫背の弱弱しい高校生だったジャック役のジェイク・ギレンホールが、実にセクシーで繊細でビックリ。最近は「ジャーヘッド」や「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」でもいい味を見せていたが、同じ人とは思えない。本当に俳優という職業は、実にすごい職業だと思う。

 
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見た日/10月某日 ★★★

 劇場公開時に見逃したので、DVDで鑑賞。

 チャン・ドンゴンかっこいい。ノンストップで最後まで見られる。いわゆる「シュリ」「JSA」「ブラザーフッド」から続く、南北分断の悲劇をテーマにしたアクションだが、一連の作品より娯楽性を強く出していてかなり楽しめる作品になっている。ただ、テーマ性はかなり重い。

 少年時代に韓国への亡命を拒否され、家族や親族が殺され、姉と2人で逃走し、今は海賊となっているシン。彼は秘密兵器を積んだ米国籍の船舶を襲撃し、南北半島を壊滅する作戦を企てる。彼を追う海軍将校は、ロシア領土で娼婦となっているシンの姉に接触するが――。

 物語は、己の使命と、その境遇に触れることでシンに感情移入し、奇妙な友情を感じながらシンを追い詰めて行くイ・ジョンジェ扮する将校を中心とすることで重みを増して行く。イ・ジョンジェはなかなかの熱演で、姉役の女優さんもいい味を出している。

 シンのすさまじいまでの憤怒ぶりの原点となる脱北のエピソードは監督の想いが深いのか、かなり濃く描かれる。「JSA」「シルミド」もそうだが、国家の運命に翻弄される人々の悲劇を描いたら、韓国映画の右に出るものはない。

 聞けばこの監督も父親は北朝鮮出身という。シンの少年時代を巡る描写が多いことがこの映画の欠点、という指摘も雑誌で見たが、ここの部分は譲れなかったのだろうな、という熱い思いは十分画面から感じた。ただし、アクション映画としては先が読める展開と、確かにテーマ性にこだわり過ぎてテンポが失速する感があったのは否めないと思う。
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