映画が持つ“力”  映画つれづれ

7/28の毎日新聞朝刊・山口版に、次の記事が!

[以下、毎日新聞より引用]
 姉妹都市の下関市と韓国・釜山市が陸上競技を通じて友好を深める関釜親善陸上競技大会が22日、11年ぶりに釜山市で開催された。下関市から高校生32人と役員8人が参加。21〜23日の3日間の滞在中、競技のほかに交流会を開くなどして友好を深めた。

 大会は現在の関釜フェリー就航を記念して71年に始まった。両市を交互に会場にして回を重ねたが、韓国の経済危機で96年の下関大会を最後に途絶えていた。

 その後も交流が続いた下関市陸上競技協会と釜山市陸上競技連盟は復活の道を模索。大会を舞台に下関の女子高校生と釜山の男子高校生との恋心を描いた映画「チルソクの夏」(03年)も機運を高めるのに一役買い、昨秋、釜山側からの要請を受けて再開が決まった。

 <中略>

 来年は下関市で開かれる。陸協によると「チルソクの夏」でメガホンを執った佐々部清監督や出演俳優らも参加する意向だという。

          ★★★★★★★

一本の映画が、国と国の、ひとつのかけ橋となっていく・・・。何と素晴らしいことだろう。これも「映画の力」だろう。来年、釜山から来られる選手に、心から「下関へようこそ!」と言いたいな。

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『夕凪の街 桜の国』好調!!  映画つれづれ

「夕凪の街 桜の国」、東京初日は大盛況だったようです。本当にうれしい!感激です!

舞台挨拶も、大変に感動的なものだったようで、映画に感動した観客の皆さんの暖かい心からの拍手に、田中麗奈さん、麻生久美子さん、中越典子さんら女優の皆さんは全員が涙ぐまれたとか。

佐々部監督を中心としたスタッフ、キャストがこの映画に込めた「想い」が皆さんに伝わったんだな、と思うと感激しました。「映画」が持つ底知れない力を改めて感じました。舞台挨拶の模様はこちらをごらんください。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070728-00000001-cine-movi

さて、僕がよく見ている映画サイト「映画生活」では、「夕凪〜」がユーザーの満足度95点で2位の「キサラギ」、3位の「ダイ・ハード4・0」、4位の「サイドカーに犬」を抑えて、なな、何と1位に!!!!素晴らしい!!!そちらは、こちらです。

http://www.eigaseikatu.com/

何にしても、盛り上がってきました。佐々部監督の地元・山口では、8/7下関の1000人上映会を皮切りに、各館での上映が始まります。東京での熱が、山口、そして「桜の国」全体に広まることを期待します。


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『夕凪〜』きょう全国公開!!  映画つれづれ

きょう、7月28日。いよいよ、東京を中心に「夕凪の街 桜の国」全国公開です。

残念ながら山口は下関東宝が8/11、テアトル徳山、ワーナーマイカルシネマズ防府が8/18公開で、ちょっぴりあとでの公開になります。

きょう公開の地域にお住まいの方々、ちょっと足を伸ばせば行けるよ、という地域にお住まいの方々、ぜひ、劇場でこの映画をご覧ください!!

この映画は、きっと皆さんの「心の宝物」になるはずです!!

「一本の映画で人生は変わる」「映画を見ることで、人生の大切な何かを見つけられる」「映画を見ることが、人としての優しさにつながる」。

おたっきーは、小学校4年のとき以来、映画館に通い続けてこれらのことを確信しました。僕自身、映画からたくさんの勇気や愛、社会を生き抜く力をもらいました。

そして、この映画「夕凪の街 桜の国」は、久々に登場した、そんな「映画の力」を持った、日本映画だと確信しています。

僕のことばが本当かどうか、ぜひ、皆さんの目で確認してください!

「生きとってくれて、ありがとう」。

この映画を見るすべての人たちに、この映画そのものがそう語りかけてくれます。
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「夕凪の街 桜の国」広島公開!  佐々部監督の世界

佐々部清監督の新作「夕凪の街 桜の国」が、ついに21日、広島で全国に先駆けて公開された。

間違いなく断言するが、この映画は今年の日本映画界にとって最も重要な一本となる映画であり、これまで多く作られてきた「原爆」や「ヒロシマ」を描いてきたドラマや映画とはある面一線を画す、新たな視点で作られた「原爆」映画である。

その「視点」とは、ぜひ劇場でご確認いただきたいが、僕が感じるに、ひとつは被爆者が感じた「想い」というか被爆者しか感じることができない「想い」、そして「戦争」「原爆」の悲劇を「現代」の家族から描いた、という点である。

戦争の悲惨さや反戦という表面的なメッセージに終わらず、日本人として生まれた意義や家族のあり方、人を思う大切さなど、私たちが現代に生きるうえで大切なことがいっぱい詰まった映画である。ぜひご鑑賞いただきたい。

さて、僕は広島公開初日、記事を書かせていただいている雑誌の「取材」目的もあって広島に行き、舞台挨拶があった回を取材させていただいた。

改めて感じたのは、監督以下、全キャスト、スタッフがこの映画に並々ならぬ思いを持って臨んだ、ということである。田中麗奈さんは撮影前、この映画のテーマのひとつである「誰かの子どもとして生まれてきた」ことを感じたくて、わざわざご両親と一緒に広島を訪れ、撮影時も招いた、という。また麻生さんもまた、広島ロケには参加してないにも関わらず、撮影前にわざわざ広島、長崎を訪問されたのだという。

監督が挨拶で言われた「この映画は、日本人にしか作られない映画。誇りを持って作り、誇りを持って公開できた」という言葉に全てが集約されていたように思うが、役者さんたちの熱い心意気に、佐々部監督も感心されていた。

東京など全国主要地は28日、山口は8月中旬公開だが、待てない、という方は、ぜひ、広島の空気を感じながら、広島でご覧いただきたいと思う。
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しゃべれども しゃべれども  新作レビュー

見た日/7月某日 ★★★★

知り合いの映画関係者の方から「いい」と聞くも、公開時、地元で上映しておらず、小倉で一時期上映するも間に合わず。あきらめかけていたところ、いつもこのブログにトラックバックを頂く朱色会さまのブログを読み、「こりゃあ、やっぱり見なきゃ!」と思い、先日所要で上京の折、まだやっている上映館を調べ、飛行機が飛ぶ3時間前にやっと見た。

さて、ではレビューである。

僕は、文章も書く仕事もしているが、しゃべる仕事もしている。

どちらも「伝える」ということでは一緒だが、活字より言葉の方が何倍も伝わりにくい、と思うし、しゃべる、ということは、書くこととはまた違う努力が必要だと思う。

でも、日常生活において、人はほとんど「しゃべる」ことで意思を伝達している。だからこそ、人と人のコミュニケーションは難しいし、誤解もしばしば生じる。

「言葉」の「言い方」は、決して気持ちのモチベーションと一致しないことがある。どんなに辛くても、嬉しくても、怒っていても、その気持ちをうまく「言葉」にできず、自分の思う通りの「言い方」にならず、もどかしく思ったことがある人はたくさんいるだろう。

そういう意味では、「伝わりやすさ」という意味では、ストレートに気持ちを表現できるのということで、文章の方が利があるかもしれない。

この映画は、そんな「しゃべること」のもどかしさ、難しさ、そして、決して「しゃべること」が苦手でも、心があれば相手に気持ちを伝えることは必ずできる、というメッセージを、「落語」という「しゃべる」日本の伝統芸能を通して描いた秀作である。「落語の世界」を上手にマクラに使いながら、現代に生きる人たちのコミュニケーションの難しさや大切さを、はっきりと声高ではなく、淡々と静かに描いている。

「落語」、とくに古典落語は不思議な世界である。物語は落語ファンなら誰でも知っている。それでも寄席が賑わうのは、その落語家しか表現できない「語り口」があるからだ。オープニングで語られる、いわゆる「マクラ」はその落語家のオリジナルだし、あとに続く物語も、同じ話なのに、演じる落語家によってまったく受ける印象は違う。

この映画の落語家の主人公も、古典落語への思いは人一倍強いものの、自分の落語は師匠の物真似から脱しきれず、常に悩んでいる。そこに美人だが、ぶっきらぼうでコミュニケーションが苦手な若い女性、口が悪く解説が下手な元プロ野球選手、口は達者だが大阪から引っ越したばかりで学校ではいじめられている関西弁の小学生が、ひょんなことから主人公に落語を習うことに・・・という話だ。

主人公は落語家で、しゃべるプロなのだが、生きる不器用さに関しては生徒たちと変わらない。この映画では言葉でなかなかコミュニケーションが取れない人物たちの不器用な生き様が淡々と描かれ、最後辺りは「一歩」成長はするのだけれど、その「成長ぶり」があからさまに描かれてないのがいい。

見ている方はもどかしくて、ある面イライラするが、現実社会でも人はそう簡単に成長はしない。でも、その「一歩」を踏み出すことが実は一番難しいし、とっても重要なことだったりする。その「一歩」を平山秀幸監督は、心地よく、落語という独特な江戸の気風とともに、スクリーンで届けてくれる。

<注意!ここからあるていど、ネタバレします!留意した書き方はしますが、読みたくない人は読まないで!>

僕が一番心地よかったのは、クライマックス近く、ヒロインが落語をするシーンで、主人公の一世一代の舞台シーンとある共通の表現があったこと。ここは、お互いに話し合ってなくても、いわゆる「言葉」で気持ちが通じる、いいシーンだった。ある映画雑誌によると、平山監督はこのシーンを「直接ではないが、この映画の最大のラブ・シーン」と語ったそうである。

お互いに向き合わなくても、「言葉」は心に伝わる。そんな瞬間を描いたこの場面が、この映画の「肝」のような気がした。

「学校の怪談」以来、平山監督の作品は注目しているが、全体のたたずまいも含めて感心したのは異世界にまぎれた女性の孤独を描いた「ターン」以来である。
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椿山課長の七日間  DVD・ビデオレビュー

見た日/7月某日 ★★★

肩の凝らない作品が見たい、と思ってレンタル。

劇場公開時に見逃し、正直、あまり期待せずに見たが、これがどうしてどうして、なかなか面白くて、一気に最後まで見た。

死者が現代にひととき蘇り、自分がやり残したことを片付ける。今までもあったシチュエーションである。この手のもので一番の傑作は、やはりウォーレン・ビーティー(当時はビューティー)の「天国から来たチャンピオン」だろう。

この「天チャン」は本当に傑作中の傑作。フットボールのスター選手が事故で亡くなるが、間違って亡くなったため、あまり評判がよろしくない老人の身体を借りて現代に帰ってくる。そこで起こる恋や試合などの騒動を描くのだが、面白いのは蘇った姿も若きウォーレン・ビーティーが演じていて、僕たち観客の目に映る主人公は若いのだが、劇中の登場人物たちは彼は老人にしか見えない(はず)訳で、その見せ方が面白かった。

つまりは僕たち観客は「天国」の目を持っているという訳で、虚構なはずのスクリーンの中こそが、真実が見えない「現実」という訳だ。この仕掛けで、僕たち観客は心地よく映画のトリックに騙されながら、すばらしいラストを迎えることができる。その余韻が残るラストシーンはその後のさまざまな映画に影響を与えたが、今見ても本当に感動する。

僕は佐々部監督の「四日間の奇蹟」を見たとき、この「天チャン」を思い出した。まったく違う話なのだが、まったく違う人間が入れ替わるシーンを美しい風景の中でリアルに撮っている様や、ラストの余韻が、僕にとってはこの「天チャン」を思い出させてくれたのだ。ちなみに佐々部監督の作品群の中でも「四日間〜」はもっと高く評価されてよいと思う。

ちょっと脱線してしまった。これ、「椿山課長・・・」のレビューだった!さてさて、よーく見れば、原作は浅田次郎だ。どうりで、物語は面白いはずで、よーく計算されていて、最後まで意外な展開も見せて引き付けてくれる。

ただ、せっかく西田敏行という稀代の演技派であり、最高のエンターテイナーでもある俳優さんをキャスティングしながら、西田氏が絶世の美女の伊東美咲と入れ替わる、という面白いアイデアを、十分生かしきれてないのがちょっと残念な作りになっている。

伊東美咲の演技力云々の前に、美女に西田敏行の魂が宿っているのだから、もっと面白いシチュエーションが演出で表現できたと思うのだが、この映画は原作で描かれた物語を消化することに一生懸命で、その辺りがはしょられた、という印象を受けた。唯一、エレベーター内での綿引勝彦と西田敏行のシーンのみに、その面白さが味わえるが、もっとその設定を生かしてほしかった。

ところで、西田敏行の妻役で、かつて角川映画3人娘の1人でありながら、いまいち作品には恵まれなかった(でも斎藤光正監督の「伊賀忍法帳」は傑作!)渡辺典子が出ているのにビックリ。僕は当時、彼女が大好きだったので、テレビドラマなどでは時々見かけていたが、彼女がスクリーンに元気な姿で復帰しているのがうれしかった。
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見た日/7月某日 ★★★

松雪泰子がいい。彼女が薄汚い食堂で無口で働いているだけで、その「過去」が伝わる。

産婦人科病院から誘拐され、40日間経って見つかった新生児。17歳になった彼は、母親から愛されず、家庭内暴力を繰り返す。ある日、事件を知った彼は、「本当の母親」を求めて、かつて40日間過ごした女性が経営する沖縄の食堂を訪ねる。事実を隠して住み込みのアルバイトを始めた彼とその女性の間に、親子とも恋人ともつかない感情が漂う・・・。

こうストーリーを書くだけで、なかなか興味をそそる物語だな、と思う。

物語は割りとゆるやかなのだが、全編を覆うスリリングな雰囲気と、中盤からの意外な展開でグイグイひきつける。

前半の説明不足からか、かつて自分を誘拐した女性を訪ねる主人公の心情やヒロインの事件当時の心情が今ひとつ伝わらず、ちょっと感情移入しにくいところもあり、ラストの処理にもかなり不満が残るが、「ホワイトアウト」の若松節朗監督はこの題材がかなり気に入ったのだろう。丁寧に登場人物たちの気持ちの動きを撮りあげており、とくに松雪泰子の演技は秀逸で、監督と女優がいかにこの作品を練り上げたか、その入れ込みぶりが伝わる。

暴力的な夫を演じた寺島進も、いつものキャラクターではあるが、その粗野や感じはさすがで、映画をより緊張感あふれるものにしている。

寺島さんは「みすヾ」の現場を取材させていただいたときにお見かけしたが、自分の出番がないときも現場に来て本番を見守り、常に脚本を持ってチェックし、スタッフと演技について話し合っているその真摯な姿に感動したことがある。

この映画を見て、圧倒的な存在感を見せる寺島さんを見て、そのときのことを思い出した。


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すばらしき特撮!  トクサツ魂!!

このブログを熱心に読んで頂いている方はご存知だろうが、僕は映画オタクではあるが、生粋の特撮オタクである。今でも日本特撮の動向には並々ならぬ興味があり、映画だけでなく、テレビの方も現役の番組は欠かさずチェックしている。

4年前には自分で実行委員会を立ち上げ、地元映画館を借り切って「周南怪獣映画祭」を開いたこともあるし、「ゴジラファイナルウォーズ」公開時は、ゴジラ・スーツ・アクターで私が住む山口県下松市御出身の喜多川務氏を招いてのトークショーを企画したこともある。

ちなみに4年前の「怪獣映画祭」のプログラムは、かのガイナックス製作!幻のDAICONFILM作品にして樋口真嗣特技監督の「八岐之大蛇の逆襲」、当時バリバリの新作「ゴジラ×メカゴジラ」、マニア狂気の「大巨獣ガッパ」、「海底軍艦」、そして「東宝特撮映画予告編集」という、ものすごいプログラムだった。

このブログは一般映画中心で、あまり特撮については論じてないが、そろそろ眠れる特撮魂も全開していきたい!過去作はもちろんだが、できるだけ皆さんの目に触れやすい現代作品を中心にレビューしていきたい、と思う。

今、日本のテレビでの現役特撮物と言えば「獣拳戦隊ゲキレンジャー」「仮面ライダー電王」、そして春に放送が終わってしまったが「ウルトラマンメビウス」ということになろう。特筆すべきは、この3作品、全て30年以上続いているシリーズ物ということだ。

逆に言えばそれしかないのかよ、ということにもなるが、それほど戦隊シリーズ、仮面ライダーシリーズ、ウルトラマンシリーズとも、もともとのキャラクターが魅力的である、ということが言えるだろう。

面白いのは三つのシリーズとも、時代やビジュアルの変化とともにキャラクターや物語性も大きく変化していること。毎年開かれている日本SF大会において、参加者が選ぶ賞に星雲賞というのがある。この星雲賞、その年の優れたSF作品を表彰するもので、小説がメインではあるが、メディア部門というものあって、映画やテレビ作品も対象になっている。

「SF」というか、いわゆるファンタジー的な物語を好き、という次元では国内最高峰、筋金入りとも言える日本SF大会参加者が投票で選ぶ、という点でこの賞、かなり信用できるのだが、実はこの賞に、この3つのシリーズからそれぞれ唯一選ばれている作品がある。

その作品とは、意外にも「特捜戦隊デカレンジャー」「仮面ライダークウガ」「ウルトラマンティガ」である。メディア部門が設けられて久しいが、歴史があるこの3シリーズから特にこの3作品が選ばれている点が実に興味深い。まあ大昔なら高いSFマインドを誇った「ウルトラセブン」なのかもしれないが、近作においてこの3つが選ばれたことに意義がある。

確かにこの3作品は、それまでの同シリーズを大きく変えた、エポックメイキング的作品であり、SF性だけでなく、ドラマとしても非常に優れたものだった。「デカレンジャー」は、それまでの戦隊物において不思議に避けてきた警察物に挑戦した意欲作で(ゴレンジャーは「イーグル」という国際防衛組織ではあったが)、それまでの戦隊物は何故か町が破壊されても警察も軍隊も出動せず、不思議と民間人の戦隊が出て行って敵をやっつけていた(「デカレンジャー」以後は、今でもそうだが)。

「デカレンジャー」の魅力は、刑事ドラマの典型的なパターンを戦隊物にあてはめた点で、犯罪者や犯罪のプロセスに焦点を当てることで刑事たちの個性の書き分けやドラマとしての面白さが際立ち、現在の「ゲキレンジャー」を含めても、ここ10年の最高傑作だと思う。

「クウガ」は久しぶりのシリーズ復活作で、今や日本映画界若手俳優陣の至宝になったオダギリジョーのデビュー作なのだが、この「クウガ」は「仮面ライダー」という名前は劇中に一切登場せず、もし怪人が現代に現れたら、という「リアルさ」にこだわり抜いた画期的な作品だった。

画期的、と言えば「ティガ」もそう。ウルトラマンは遠い宇宙からやってきた、という従来の設定を破棄し、ウルトラマンは人間がもともと持つ潜在能力としての姿、という設定にしたことで、人間が本来持つ悪と善にという二面性を描き切り、最終回は世界中の子どもたちが「ウルトラマン」に変身する、というある意味宗教的なテーマをも含んだ作品だった。

ティガで表現した「ウルトラマンと人間の関係性」というテーマは、このあとの諸作品を経て、劇場版「ULTRAMAN」、「ウルトラマンネクサス」、そして最新作の「ウルトラマンメビウス」は、このテーマの完結編とも言え、ティガから描いてきた新しいテーマに、昭和のウルトラマンシリーズのドラマを融合させた、見事な作品だった。

そうそう、ウルトラマンメビウスについては、この作品に出てきた「ウルトラマン80」が06〜07年の日本オタク大賞を受賞したことも特記しておきたい。

今、日本の特撮界を支えるクリエイターたちのレベルはすこぶる高い。その多くは平成「ガメラ」シリーズが大きく影響しているのだが、そのクリエイターたちが劇場映画をどんどん手がけるようになって、日本人にしか作れない、ハリウッドを凌駕するSF映画やドラマをたくさん作ってほしい。

ちなみに、以前僕がマイベストで紹介した日本のSF映画ベストテンは次の通りだ。これが「特撮映画ベストテン」だとちょっと順位も変わってくるのだが・・・。

@「ゴジラ」(1954)
A「ブルークリスマス」
B「宇宙からのメッセージ」
C「星空のむこうの国」
D「時をかける少女」
E「ガメラ2〜レギオン襲来」
F「吸血鬼ゴケミドロ」
G「妖星ゴラス」
H「ゼイラム」
I「ガンヘッド」

ということで前触れが長くなったが、今度はぜひ「メビウス」辺りから今の日本特撮の心意気の高さを評していきたい。
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チルソク(七夕)の夜に想う  映画つれづれ

7月7日。そう、この日はチルソク(七夕)である。

この日、下関では「チルソクの夏」の上映会が開かれた。

毎年この日、下関では「チルソク」を上映している。とくに今年は佐々部監督や臼井プロデューサーをはじめ、俳優さんたちも勢ぞろいして、豪華だったようだ。

「ああ、行きたい!」という思いをぐっとこらえて、僕はその日、イベントの準備に走り回っていた。僕は毎年七夕の日は地元で7月7日午後7時から始まる「777(トリプルセブン)コンサート」という野外での音楽イベントに昔から深く関わっている関係で、毎年、この日の下関でのイベントには行けないのである。

でも、せめてもの思いに、と昨年から出演するアーティストの方に、必ず「チルソクの夏」のテーマ曲の演奏をお願いしている。

今年も二胡とアルパのユニット、Alphaの皆さんに「チルソクの夏」からテーマ曲「チルソクの約束」を演奏していただいた。雨が心配されたが、何とか晴れた。星は出なかったが、七夕の夜空に響く「チルソク」のメロディーは切なく、僕の胸を打った。舞台裏は相当バタバタしていたのにも関わらず、そのときは思わず泣いてしまった。

このメロディーは、いろいろなことを想起させてくれる。恐らくその時間、下関で上映されているであろう「チルソクの夏」のいろいろなシーンを思い浮かべながら、映画への愛情でここまで頑張って来た自分を振り返りながら、いろんなことを思った。

僕と佐々部監督を出会わせて下さった方は、若くしてこの世を去られた。「『チルソクの夏』という映画を、下関のもので終わらせたくない。山口県全体に広げ、そこから全国に発信したい」。その方はそう僕に熱く語られ、僕はその熱に動かされた。

県の東部で上映の支援活動をすることになったのも、その出会いがあったからだ。そこから僕は映画の支援に目覚め、今に至っている訳で、その方との出会いがひとつの「人生の分岐点」だったわけだ。

そのとき、その方の情熱に誘発されて考えさせて頂いたのが、下関から山口、そして周南のチルソクファンがひとつの旗に「想い」を書き込み、気持ちを一つにして東京での上映館に持っていって気持ちをリレーしようという「チルソク・サポーターズ・フラッグ」である。

そのフラッグ、今も下関で大切に保存されている。佐々部映画のエキストラ劇団、劇団巌流第二級(僕も一応団員です!)のブログを見ると、今回の七夕上映会の告知の記事でこのフラッグの写真がアップされていて、そこに書かれている皆さんの寄せ書きを見ると、これもうれしくて涙が出そうになった。
http://gekidan-ganryu.at.webry.info/200707/article_1.html

そのフラッグは、その亡くなった方との絆の「旗」でもある。うかがえば、その方は最後の最後まで「チルソク」のサウンドトラックを愛聴されていたそうだ。いわば、このメロディーは出会いと別れのメロディーなのだ。

長島茂雄は「野球とは人生そのものだ」と言ったが、僕は「映画とは人生そのものだ」と思う。一本の映画が人生を変えることは、必ずある。だからこそ、いい映画に出会いたいし、いつまでも映画の近くにいたい。そのためにも、いい仕事もしたいし、家族も大切にしたいし、いい出会いもどんどんしたい。

そんな気持ちを描きながら、下関での上映会のことを思いながら、そのメロディーをしみじみと聞いたのでした・・・。

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舞妓Haaaan!!!  新作レビュー

見た日/7月某日 ★★★★

面白い。まず、脚本がハイテンションでハチャメチャ。メチャクチャな展開と設定ながら、それでいて、登場人物たちのキャラクターはしっかり描かれている。

映画やドラマって、やっぱりそこが大切だと思う。SFであろうがコメディであろうが時代劇であろうがホラーであろうがポルノであろがアニメであろうが、人間の営みを描いているからには「人」を描けてないと絶対に面白い作品はできない、と思う。

このクドカンの脚本を、恐らく水田伸生監督はニヤニヤしながら読み、映像化させていくことにある意味の喜びを感じたのではなかろうか。監督の「ここはこんな風にしたら面白くなるぞ」という意気込みが画面からも伝わる。監督が受けるインスピレーションを増幅させる力があるのがいい脚本だと僕は思うが、そういう意味ではこの映画はまずは脚本がいいのだろう。

水田監督の前作「花田少年史〜幽霊と秘密のトンネル」はオープニングの疾走感が痛快だったのに、後半に進むにつれテンポダウンしてしまったちょっぴり残念な作品だったが、前作での反省が生きたのか、今回は最後までテンポもテンションも下がらない。

この映画、植木等さんの遺作でもあり、作品に漂う空気感や雰囲気が似ていることから、かつての「無責任シリーズ」と比較する評も見られる。中には全編「無責任」だった往年のシリーズに比べ、この映画では後半に「情」もしっかり描かれることから、批判する人もいる。ただ、テレビと同じ感覚で映画を見ていた当時と違い、今は高い料金を払い、観客が映画にさまざまな価値を求める時代。「ただ笑える」だけでは今の観客は納得しない。決していいことではないが、ジーンと来るシーンも入れなければ、到底満足してくれない。

そういう意味では、この映画の脚本家、監督はその辺は十分承知しながらこの映画を作っている気がする。最後の「情」の部分も、ウエルメイドになりすぎず、メチャクチャな展開の延長線上に持ってきていることでバランスを取っていて、笑いだけの映画にしなかったことがうまく利いていて、鑑賞後の印象を心地よくしている。

しかし、果たして、そういう要素を入れながらも、僕が知っている年配の女性は、この映画のあまりにもハチャメチャな展開に「ついて行けない」と途中で席を立ったそうだ。「面白いが、舞妓文化に対する敬意のかけらもない」という批評も読んだが、まあクドカンの脚本にリアリティを求めても仕方ないだろう。「楽しませよう」という作り手の意思がある意味観客を選んでしまうことはよくあるが、最近は万人受けする映画が多すぎるから、そういう映画はいっぱいあっていいのだ。

「何だ、この映画!」「観客をバカにするな!」という評価と、「こんな映画見たことない!」「新鮮で楽しい!」なんて評価は表裏一体であり、どんな楽しみ方をするかは観客の自由だし、いろんな感性もあっていい。だいいち「100%の観客が面白いと思う映画」なんてありえないし、そんなことがあったらそれこそ気持ち悪い。

そういう意味ではこの映画は最後に「情」を入れたことで一般受けを狙ってはいるが、クドカン監督作「真夜中の弥次さん喜多さん」ほどではないにしろ、アクは強い。欧米では「メリーに首ったけ」など、思想性も何もない強烈なオバカコメディ映画はたくさんあるが、この映画のような、強烈なオバカ映画がもっと日本映画で見たい、と僕は思う。
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スケバン刑事  DVD・ビデオレビュー

東映ビデオさんが、往年の名作・傑作群をDVD化・再販していて、この作品もその一環でDVD化された。このシリーズはほしいもの、見たいものが目白押しなのだが、この作品は当時、大好きだった作品で、レンタルショップで見かけて思わず借り、久しぶりに観た。1987年2月公開というから、もう20年前である。

タイトルは「スケバン刑事」だが、この映画は同名のテレビシリーズのうち、パート2にあたる「スケバン刑事U〜少女鉄仮面伝説」の後日談を映画にした、という作りである。戦いを終えたヒロインたちが、つかの間の平和を楽しんでいるとき、地獄城と言われる孤島の学園から脱走してきた生徒たちと出会う。そこは、生徒たちに地獄の軍隊訓練をしている学園で、サキたちは生徒たちを救うため、島に潜入する・・・。

もともと「スケバン刑事」は、和田慎二氏の原作コミックが傑作中の傑作で、僕は当然全巻買い揃えていたし、チープさの中にも独特なセンスが光っていたテレビシリーズも好きではあったものの、世評の高さとは逆に「1作目の斉藤由貴の方が可愛いわい!」とパート2はそんなに熱心には見ていなかった。

このテレビシリーズのパート2、何と、主人公はベタベタな土佐弁(!)をしゃべる。何しろヒロインは幼少期から鉄仮面(!)を被らされていて、スケバン刑事になることで自分の宿命と戦う、というメチャクチャな設定なのだ。ただ、これは原作者も指摘しているが、鉄仮面という枷をヒロインに背負わせたことで、敵と戦うヒロインの心情が鮮やかに描かれ、原作とまったく違う話ながら、かえって原作の魂に近づいた。だけど、僕は最終回辺りは毎週見入ってはいたが、当時、南野陽子が多少苦手だったこともあってちょっと距離を置いていた。

このシリーズ、大体どう見てもスケバン(もう死語ですね)に見えない可愛いヒロイン(アイドル)に無理矢理ヘタウマなアクションをさせ、スケバン言葉を喋らせる、ちょっとサドマゾ的な嗜好も見えて、そこがマニアにはたまらなかったりするのだけど、作りはかなりチープ。でも、ドラマとしてはこのパート2が最も出来もよかった。

そしてこの映画版である。これがなかなか、あーた、「いいじゃん!」という作りなのである。強大な敵に傷つきながらも立ち向かうヒロインたちが美しい。東映ならではのケレン味もたっぷりで、かつてのお得意のヤクザ物や時代劇を少女活劇という形に変えた、大快作になっている。敵役の伊武雅刀はもろターミネーターの特殊メイクで楽しませてくれるし、爆発シーンも派手で、空撮もあったりして映画としてのスケール感もある。

今、見直すと、ヒロインたちのアクションは相変わらずのヘタウマで、スタントマンたちが懐に飛び込むようにわざわざ倒れてくれるのがよく分かるし、ヨーヨーでヘリコプターを墜落させるシーン(!)などは荒唐無稽にカラシを塗って擦り込むほどに無理があって笑ってしまうのだが、作品自体に妙なパワーがみなぎっている。設定やアクションをリアルにして復活した新作「スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ」も面白かったが、正直、作品としてのパワーはこっちの方が上である。

この妙な面白さの要因は、やっぱり監督にあるのだろう。この作品のメガホンを取った田中秀夫監督は、東映の宇宙刑事シリーズなど、テレビの特撮ヒーロー物の演出家として活躍した人で、いわゆる本編の監督作はこの作品と翌年のシリーズ第二弾「スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲」しかない。

だからこそなのだろうが、この映画は田中監督の気合が伝わってくる。全編に漂うケレン味は、荒唐無稽を面白く見せる、という特撮物で鍛えたベテランの手腕であり、東映伝統の職人技なのだ。最近のアクション映画はリアルなのはいいのだが、このケレン味を忘れている。確かに、主人公が見栄を切っている間に敵はどうしてんの?なんて疑問はあるけれど、この作品を懐かしく見ながら、そういうのを吹き飛ばす、リアルでかつケレン味もたっぷりなアクションが見たいな、と思った次第である。

そうそう、このあと映画などでいい演技を見せながら、最近はとんと見なくなった相楽晴子がこの映画でもバツグンな存在感を見せている。
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